ピピピピッ、ピピピピッ、ピピカチッ。

ささやかながらそれでもはっきりと電子音を響かせていた時計を止める。

小鳥のさえずりが微かに聞こえ、カーテンで仕切られた窓からは薄く朝の光が射し込む。

ベッドの上で身体を起こして軽く伸びをする。そしてベッドから降りて窓に近づいてカーテンを開ける。

「ん〜・・・今日も良い天気」

窓から見える空には雲がほとんどないと言って良いほど晴れ渡っていた。

「これだけ晴れてると気分がいいわ〜・・・ねぇ、瑠美?」

くるっと身体を向けて抜き足差し足で入って来ていた瑠美に笑いかける。

「あ、あははそ、そだねっ!あははは・・・」

何やら手に持っていたものを瞬時に後ろへと隠す。・・・けれどちゃ〜んと見えてたりするのよ、瑠美。

「で、何か用?」

依然にっこりと笑ったまま話しかける。すると瑠美の額にじわっと微かに汗が滲み出た。

・・・まぁ何をしようとしていたかなんて、十分過ぎるほどわかるんだけど?・・・後ろ手に持ってる縄で。

「え!?あ、いや、そろそろ時間だから起きてなかったら起こそうかなぁーって!あはははははっ!」

額に冷や汗を浮かべながら早口にまくし立てる。

「あら、そう?とりあえず・・・着替えるから瑠美も着替えてらっしゃい」

そう言って有無を言わさずに部屋から追い出す。不服そうな顔をしていたけど私には関係のないこと。

このままここに居させると私の身が危ない。

そしてその隙にちゃんと鍵もかける。瑠美を追い払ってもまだまだ油断はできないから。

「零美ちゃ〜〜ん、起きてる〜?」

・・・ほら来た。

パタパタとスリッパを鳴らせて常時笑顔の悪・・・じゃなくてお母さんが階段を上って私の部屋の前で止まった。

「ちゃんと起きてるよ」

「あら、珍しいわねぇ〜」

・・・いつも起きてるってば。

「それじゃ・・・あら?」

ドアノブががちゃがちゃと音を立てる。お母さんがこの部屋に入ってこようとしているのだ。

お母さんがドアと格闘している間に着替え始める。

「零美ちゃん、何故ドアが閉まってるのかしら?」

ドアノブを回すのをやめて本気で不思議そうな声を出している。きっと顎に人差し指でも当てて首を傾けている事だろう。

けれどその間にも私は着替える手を止めずに声を上げる。

「お母さん、何故私の部屋に入ってこようとするの?」

質問に質問で返すけれど、お母さんの事だからそんな事は全然気にしない。

「だって、零美ちゃんのカワイイ姿を見たいんですものっ」

カワイイ姿ってどんな姿だっ!・・・な〜んて突っ込みたいけど、突っ込めば私の身が危険に・・・。

「そんな事よりお父さんは放っておいて良いの?」

今ごろはきっとリビングで一人新聞紙を広げて寂しく座っているんだろうなぁ、なんて。

・・・さすがに寂しくは言い過ぎでした。

「そんな事?いいえっ!零美ちゃんのカワイイ姿を見る事は『そんな事』なんて言葉一つでは片付けられないのよ!?」

きっとかなりオーバーなアクションで首を振ったりやや斜め上を見て拳を握り締めたりしてると思う。なんせ元演劇部だからね。

舞台ではオーバーなアクションでこそ観客に伝わるってもの。

・・・日常生活じゃあ必要ないんだけどね。

「はいはい、そーですか」

とかなんとか言いながらシャツを着て、着替え終了。鏡を見て軽く髪を直して、これでオッケー。

「だからおかーさんに零美ちゃんの・・・」

途中でドアを開けてふふんと笑ってあげる。ちゃんと腕組みをして勝ち誇った表情も忘れない。

私の予想通りにがくっと肩を落として項垂れてくれた。あー、なんだか爽快っ!

「もう着替えちゃったのね・・・はぁ・・・おかーさん、残念だわ・・・」

はぁ、なんてため息までついちゃって本気で落ちこんでる様子。

でも、同情なんて出来やしないっていうのが本心だから優しい言葉なんて掛けたりしない。

「ふ・・・ふふふ・・・」

「な、なに?」

唐突に笑い出す30代後半、人生の折り返し地点差し掛かり気味女性。

その不気味さに思わず一歩後退る。

「別に零美ちゃんだけじゃないのよ!カワイイ姿を見せてくれる娘はっ!」

ぱっと顔を上げたかと思うと次の瞬間にはくるりと回れ右をして私の部屋から出て行って、

隣にある瑠美の部屋のドアをドバンっ!と開けた。

何でそこまで・・・と思うぐらい素早い行動でした、まる。

 

「にゃーーーーっ!?なに!?お母さんっ、私まだ着替え中!!」

「やっぱり瑠美ちゃんは私の期待を裏切らないわねっ!一時はこんなスキンシップ取れないかと思ってたけど・・・
 もーここまで元気になってくれて、お母さんほんと嬉しいわーーっ!」

きっと今ごろは抱きしめられて頬擦りでもされてる頃だろう。苦しいかもしれないけど、危機管理を怠ったからよ。

大体、横でドタバタしてたんだから、危ないってことぐらいわかりそうなものだけど・・・何をしてたのかしら。

「お姉ちゃーーんっ!助けてーーっ!」

「大丈夫よーっ、少しの辛抱だからーっ」

「お・・・お姉ちゃんの薄情者ーーーーっ!!」

そうよ。誰だって自分の身が一番可愛いんだもの。だからわざわざ危険だとわかってる場所に飛び込んだりはしないのよ。

それにしても、こんなに騒いで近所には聞こえてないかしら?

そんなことを考えながら一階にある洗面所へ向かう。

・・・ところで、瑠美。にゃーってなに、にゃーって。

 

顔を洗って、リビングに行く。するとそこにはコーヒーを飲みながら新聞を読んでる父親の姿があった。

「おはよう、お父さん」

「ん、おはよう」

年頃の娘にありがちな父親に対する嫌悪などと言うのは、あいにく私は持ち合わせていなかった。

歳もお母さんと同じで40に近いはずなのにそうと感じさせない、

好青年と言っても差し支えは無いはずだ。・・・この一家、不思議だ。

「お父さん・・・いっつも思うんだけどね」

「なんだ?」

新聞から目を離して斜め前に座った私を見る。

「お母さんのあの行動、どうにかできない?」

下に降りてきても微かに聞こえる瑠美の声。何処触ってるのー、なんて言ってるように聞こえるのはきっと気のせいね。

「あー、無理だな」

きっぱりすっぱりと即答された。

「な、なんで?」

「そりゃあ当然だよ」

「お母さんには逆らえないから?」

「ブッ!」

思わず口に含んだコーヒーを吹き出しそうになってる。・・・なんで喋ってるのにコーヒーを飲もうとするのかしら。

「・・・全然違うぞ。母さんは主婦業に花屋の仕事もしてるんだから、ストレスが溜まるのは当然だろう。
 そのストレスをああいった形で発散してるんだから少しは大目に見てやれ」

さっきは吹き出しそうになったコーヒーを改めて飲む。どうやら今日は砂糖ありのミルクなしのようだ。

「・・・なんか、ちょっと嫌な発散の仕方ね。気にかけてくれるって点では嬉しいけど」

「・・・・・・まぁな」

そう言うとまた新聞を読み始める。

なんとなく座っちゃったけど、飲み物でも入れようと思って立ち上がる。

するとえらくニコニコ顔のお母さんがリビングに現れた。

「はぁー、瑠美ちゃんの反応は楽しいわーっ。
 それに比べて零美ちゃんは全然相手にしてくれないんだもの・・・お母さん悲しいわ・・・」

そりゃあね、慣れてしまえば対処のしようもあるしね。あんなのずーっとやられていれば免疫だって出来るしね。

「で、その瑠美はどうしたの?」

「もうそろそろ降りてくると思うわよ〜」

鼻歌なんぞを交えながら、キッチンに立つ母。見るからに上機嫌。足取りも実に軽やかでスキップをしているかのようだ。

それとは対照的に・・・さっきから階段から響いてくる音は鳴る感覚が短く、どことなく重い雰囲気を漂わせている。

これで部屋の中が暗ければヒュ〜ドロドロドロ〜っていう幽霊が出る時の定番のBGMを流したくなるくらいだ。

きっと臨場感は抜群・・・のはず。

それで、その音の主が階段から姿を現したが・・・なんて言うか・・・凄く落ち込んでる。

表情があまりにも暗いからついつい仰け反ってしまったり。

「瑠、瑠美?」

おそるおそる声を掛けてみるけど・・・瑠美の動作は凄く緩慢なものだった。

「・・・・・・なに?」

瑠美の絞り出した声はなんだか疲れと怒りが混じったような声だった。怒りはきっと私にだけ向けた物じゃない・・・と思いたい。

けどね・・・それぐらいじゃあ、私は動じないわよ。

ふぅ、と息を吐いておどけた表情を作る。

「別に、疲れてるみたいだなーって思ったから声掛けて見ただけ。何かあった?」

肩を竦めてわざと神経を逆なでしそうな言葉をかける。それも笑顔のオマケ付き。

「・・・んふふふ・・・お姉ちゃん・・・あとで覚えててね・・・」

こちらも笑顔でお答え。けれどもかなり陰湿なっていう言葉が必要な笑顔だけどね。

そのまま洗面所へ立ち去る瑠美。

あとで覚えておけって言われてもねぇ・・・無理な話よね。実行犯は私じゃないし。

「瑠美ちゃん、機嫌悪かったわねぇ〜」

コトリ、と焼き立てのトーストやらカリカリのベーコン、ふわふわのスクランブルエッグなんかを並べる。

ついでにサラダ付き。

「誰のせいよ、誰の」

トーストにバターを塗って一口。うん、おいしい。

「え?・・・零美ちゃん?」

「・・・自覚持ってよ・・・」

思わずため息。まぁ、元からこの人とまともに話が出来るとは思ってないけど。

その間にお母さんは何時の間にか空になってたお父さんのカップにコーヒーを注いでいた。

けど・・・瑠美なかなか戻ってこないな〜なんて思って後ろを振り返って見る。

「・・・なにやってるのかな〜瑠美?」

振り返って見るといかにも冷たそうな氷のたくさん入った水入りのコップを持っている瑠美がいた。

そりゃあもう見るからに冷や汗をだらだらと流して。

「あ、あは、あははははは・・・」

もはや笑う声もかなり乾いている。

「・・・そう、瑠美ったらそんなに構って欲しいんだ」

がたっと席を立って、一歩一歩後退っている瑠美に極上の笑みを投げかける。

「にゃっ!お、お母さんっ!?」

必至にお母さんに助けを求めている。けどね・・・

「あら〜瑠美ちゃんったら楽しそうねぇ〜」

・・・ほら。

「お、お父さんっ!!?」

・・・ふっ、無駄な足掻きね、瑠美。

「さて、そろそろ行くか」

新聞を折りたたんで、テーブルの上に置き、最後の一口を飲み干して立ちあがる。

「零美に構ってもらえて楽しそうだな、瑠美」

「―――なっ!」

にこやかにそんな台詞を言ったそのあとはもう、お母さんに持ってもらった背広に袖を通して

「何時にお帰りですか?」「いつもと同じだよ」なんていつもの通りの会話を繰り広げながら玄関に向かってる。

こっちの事なんか眼中に無しだ。

「さぁ、瑠美。楽しみましょうか。ここじゃあ、なんだから・・・上でね?」

にっこりと笑って瑠美に近づく。

「い、イヤ・・・」

首を横に振りながら後ろに下がる。目には少し涙が溜まっている。

あぁ、なんか余計にいぢめたくなるわね。

「怖がらなくて良いのよ・・・?」

ゆっくりゆっくりと壁際へと追い詰めて行く。徐々に強張っていく表情。震え出す身体・・・もうやめられないって感じだわ。

「あっ・・・」

壁際にまで追い詰められた事に気付いたのか、瑠美が小さく声を漏らす。

そんな瑠美に近づいて腕を掴む。

「イヤ・・・許して・・・」

首を振ってイヤイヤをする。

「ふふふ・・・もう遅いわよ。さぁっ、覚悟なさい」

必死に連れて行かれまいとする瑠美をずるずる引きずって、私の部屋に放り込む。

ドアを閉めてちゃんと鍵もかける。これでもはや逃げ道はない。

その一瞬の間にすでに瑠美は部屋の隅まで下がりきっていて、それ以上はどうしようもない場所に居た。

目の縁に涙を溜めて、長い艶やかな黒髪がほつれている様なんて、もう可愛いったらありゃしない。

「まっ、恨むなら自分の浅はかさを恨みなさい」

一歩一歩確実に瑠美へと近づく。当然笑みは欠かさない。

「ごめんなさい、私が悪かったです、すみません、ごめんなさい。
 だからにじり寄ってこな・・・ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、いやぁぁぁぁぁぁーーーーっっ!!」

 

――――しばしの間、我が家では笑い声が響いた。


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