広い平地一面に色とりどりの花―――桜を咲かせた木があった。色や名称が多少違えどもそれらはまさしく桜であった。
その中で一本、一際大きな桜の木があった。この中のどの桜よりも大きく、たくさんの花を咲かせている姿はとても美しかった。
この一本の桜を見上げるように立っている少女らしき人物の後ろ姿があった。
風に吹かれて散って行く花びらと共にその長い髪に、花びらがくっつくのを意に介することもなくたなびかせていた。
見上げる様に立ってはいるが、大きな目は閉じられていて、形の良い細い眉は微かに安らぎの様子をにじませていた。
しかし、そんな様子も目を開けられた時には露と消えていた。
引き締められた表情からは、何の感情も見出すことが出来ず、ただ造詣が美しい故に冷たさ以外の印象を見つけられなかった。
少女の後ろで土を踏みしめる音が聞こえた。少女が花の咲いている枝へと向けていた視線を水平に戻し、ゆっくりと振り向いた。そこには自分の顔と似ている少女が無表情で立っていた。
「―――いよいよね、姉さん」
「そうね・・・。ずっと昔からこうやって来たんだもの―――避けて通るなんて出来ないよね」
桜の木を背にした少女は諦めを含んだため息を吐き出した。冷たさすら感じさせていた表情が崩れ、何処か優しげで哀しげな表情になっていた。
「えぇ、避けるなんてことは出来ないわ。だってお互いが望むものは一緒で対立するんだから」
クスクスと静かな声の調子に甘い考えを持つ姉への嘲笑を込め、固い意志を湛えた目で見据える。
何もこんな姉が嫌いなわけではない。ただどこまでもお人好しのままでは、いずれ痛い目に遭うこともあるのだ。姉にそんな目に遭って欲しくないと思えばこその事だった。
「・・・・・・そう。仕方ないわね・・・」
聞こえるか聞こえないかの声で呟くと、先程とはうって変わって確たる意思を込めた目で見返す。
「それでこそやりがいがあるわ」
ゆっくりとタイミングを計るように一歩一歩、確実に近づいてくる。そして手を伸ばせば触れる事の出来る距離で立ち止まり、お互いの目を見る。
少しでも相手の目から視線を逸らせば、一瞬の命取りになりかねないとでも言うような緊張感に包まれている。
このままどちらも動かず、沈みかけていた太陽がさらに傾き、山際の彼方へとあと少しで消えそうな時に、吹き抜けていく風が一際強く吹いた。
まるでその風があらかじめ決めていた合図だと言わんばかりに、同時に動いた。
拳を振り上げ、お互いを見据える視線に先程よりも強く険しさが滲み、相手の気迫に負けぬように言葉にならない声を出す。
そして同時に拳を前へと突き出―――
『じゃんけんポンっ!』
――― 一瞬の静寂。姉は優しく包みこむ『パー』。そして妹は・・・
固い意志を思わせる『グー』だった。
「あぁぁ・・・」
妹がガックリと膝から崩れ落ちる。まるで絶望の淵へと叩き込まれたかのような表情をみせ、指が強く土を捕らえる。
「・・・ごめんなさい。あなたにはどうしても勝たなくちゃいけなかったの・・・」
死力を尽くして、力を出し尽くしたかのような顔をして、立っているだけでも酷く辛いと見せかける。
「あなたが道を踏み外すのを止めるのは姉である私の役目。たとえこの身が動かなくなっても私はあなたを間違った道へと歩ませはしないわ」
そう言い終わると、桜の木の裏側へと回り、手に袋を持って出てきた。
「というわけで、これは私の物ね」
袋の中に片腕を突っ込んで、取り出した物は・・・『酒』だった。
取り出された物を見るや否や、崩れ落ちていた少女は今にも泣き出しそうな顔になった。
「あぁっ!一口でいいから飲ませてっ!」
「だぁ〜め。私はもう成人してるからいいけど、あなたはまだ未成年なんだから飲ませるわけにはいきませんっ」
縋り付く妹を腰に手を当て叱り付ける姿は、玩具をねだる子供を叱り付ける母親のようである。
「だってせっかくお花見に来たって言うのに、お酒がないなんて風流に欠けるよ!」
「あなたはまだ未成年なんだから、風流なんて気にしなくてよろしい」
食い下がる妹をその手をパッと払い袋の中からシートを取り出し、さっさと花見の準備に取り掛かる。
とっくに太陽は沈んで夜の帳が降りていたが、元から夜桜が目的なのだから気にするどころか望ましいことだ。
暗く静かな黒色の中に、鮮やかな桜色が浮かび上がっているの眺めながら飲み食いをする。辺りが静かだからこそ、のんびりとした時間の流れに身を任せる事が出来る。
幸いこの場所は桜が綺麗であるけれども、場所が道路から外れている事もあって人の姿はない。
だからのんびりと桜を眺め、お酒を飲む事が出来る。
「さっ、準備も終わったからお花見しようか」
シートの上に作ってきた重箱に詰めたお弁当や割り箸、お酒や水筒入れてきたお茶に紙コップを並べて、振り返ってみるとブスっとした顔の妹がいた。
声をかけられると、不機嫌な表情を崩さずに立ち上がって、靴を脱いでシートへと座り込む。
その様子を見て苦笑しながら自分自身も対面へと座り、重箱の蓋を開ける。
3種類のおにぎりや、下味をしっかりつけた唐揚げに、味を染み込ませた煮物などなど色鮮やかに彩られていた。しかしせっかく腕によりをかけて作ったお弁当にチラッと目を向けるだけで、またそっぽを向いてしまう。
さすがにこの様子には困ってしまう。せっかくお花見に来たのにお相手が楽しんでいないのだから。
だいたい、この場所だって花見には行きたいけれども騒がしい雰囲気の中での花見は好きじゃない自分の為に目の前の妹が見つけ出して来たのだった。
はぁ、と息を吐き出すと紙コップを一つ手に取り、その中にお酒を満たす。
「はい」
そしてその紙コップを妹へと差し出した。
「・・・え?」
差し出された紙コップと姉の顔を何度も見る。不機嫌だった表情が和らいで不思議そうな面持ちになる。
「せっかくのお酒を一人で飲むのもつまらないでしょう?だからお相手してね」
紙コップを笑顔で持つように促す。未成年にお酒を飲ませるのは良くないことだと思う。けれども目の前でずっと不機嫌でいられるのと、一 人味気なく飲むお酒というのもつまらない。
そんな思いをするぐらいならば、周りに飲酒を咎めるような人はいないのだから、一緒にお酒を飲もうと思ったのだった。
「・・・うんっ」
差し出した紙コップが受け取られると、もう一つ紙コップを取って同じようにお酒を満たす。
お酒の入ったビンを置いて目の前の人物に向き直ると紙コップを上へ突き出して言った。
「乾杯」
「かんぱいっ」
音は鳴りはしないがコップが合わせられ、お酒に口を付けた。
上機嫌な妹に、美味しいお酒や料理、そして綺麗な桜。このひとときが何物に変えがたいものに思えたのだった。