「こんにちは」と表現しようと「こんにちわ」と表現しようとも自由である
なぜなら言葉は、本来束縛を受けないものだから
しかし「こんにちわ」と表現すると無教養だと思われるのはなぜか
それは、社会全体が建前でできているからである


人というのは、孤独に満たされた生物である
心という器が存在するとすれば
その器いっぱいに孤独が蔓延している
しかし、ある条件を満たす人々に出逢うことにより
孤独をも受け止める事が可能な大きな器を一時的に持つ事が可能である
その条件とは個々によって違い
見極める事は、本人にすら困難である



授業という名のつくものは、ほぼすべて勉強という行為ではなく
勉強の方法を教わる行為である
授業によって色んな視点からによる物の見方を学び
その視点によって自主的に興味のある出来事などを
自分の視点から表現する事こそが
真の勉強だと言える



人は、闘争本能の塊である
悲しい時ですら自分より不幸なものを捜し
また、そうではない者は
自分が“一番”不幸だと思い込む



受験戦争という言葉があるが
戦争という表現は間違いである
なぜなら、本来戦争というものは
権力者が安全な場所から愛国心などを説き
自分とは、まったく関係のない人々に犠牲を強いる行為である
無論権力者が傷つく事はない
故に受験戦争ではなく
ただの受験競争である




互いに友人であると言ってそれを信じるものは愚か者である
という格言があるが
友人であると言ってくれた友を疑う心を持っている者の方に
私は哀れみを感じる
猜疑心と言うものは確かに必要ではあるが
持ちすぎる事は、ただ自分を追い詰めるだけである



自分を犠牲にして人を助ける事は
一見して美しく見えるが
ただの自己満足である
なぜなら、助けられた方の今後の人生の事をまったく考えていない
眼の前で自分を助けてくれた人が亡くなったとき
どれだけの精神的衝撃をその人は受けるだろうか?




社会の中で生きていく以上
子供に道徳心を植え付けるのは親の義務である
道徳心は、子供が他人から与えられる
一番最初の価値観でなければならない
なぜなら、これをもたないものは
社会にとって害にしかならないからである
故に親になるものは
道徳的に成熟していなければならない



日本の教育の目標は人格の形成にある
しかし、人格は自ら作り出すものでなければならない
なぜなら、人格が作り出されるものであるなら
いくらでも危険な人物をつくりだすことが可能である
故に教育は、人格を形成するための道具としての役割を
超えてはならない
だが、今の日本の教育は道具以上の役割を行っている