三陸のタンポポ
2011年 | 米田 実 詩 |
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津波の去った道端の |
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今の海は大空の 澄んだ青さを取り込んで 優しい顔でいるけれど 渚に残した 人々の 暮らしの欠片がある限り あの日の怒りは隠せない 海への愛を受け継いで 海と共に生きてきた 私たちが何をした |
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言えなかった「ありがとう」 引きずったままのボランティア 慣れない手つきでガレキを運ぶ 苦しいけれど 今 投げ出しては悔いが残る 16年前の恩返し 滴り落ちる汗の粒 被災地の 乾いた土に染み込んだ 言葉ではない 汗に変わった「ありがとう」 |
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ガレキの中で見つかった ヘドロにまみれたアルバムに 微笑み残した少女の写真 無事でいると思っていても つまらぬことも考える でも 信じたい 生きていた証 思い出の品 届けてくれた人たちの 強い願いがこもってる |
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春を知らせたタンポポの |
コメント |
阪神・淡路大震災から16年。常に新しい曲を創りながら、歌で震災を語り継ぐ活動を続けてきました。この活動が、やがて訪れる災害に役立つと考えていたからです。しかし、東日本大震災の大津波は、私たちの経験など全く役にたちませんでした。正直言って、落ち込む日が続きました。しかし、「被災地に何かをしなければ」の気持ちが頭をもたげ、ゴールデンウィークの南三陸町への業務支援に始まり、6月には陸前高田市へ、8月には石巻市へのボランティアで訪れ、その時の思いを曲にしたのが「三陸のタンポポ」です。 曲を創るきっかけとなったのは、題名通り、南三陸町へ業務支援に行った際のタンポポとの出会いです。季節が季節だけに、神戸と同じようにタンポポが咲いていると信じて行きました。確かに南三陸町の仮設庁舎のある高台はタンポポが咲き誇っていました。けれど、地盤沈下で水の引かない町の中心部(だった所)を8日間通りましたが、遂にタンポポを見かけることはありませんでした。被害の大きさ、津波の恐ろしさを実感し、諦めかけていた最終日、気仙沼市へ向かう国道近くで、ついにタンポポと出会えたのです。周囲に散在するガレキから、ここも津波に襲われた場所なのです。「やっぱり会えたね」と、タンポポに語りかけていました。被災地の方々はタンポポに目を留める余裕はないでしょう。阪神・淡路を経験した私たちだってそうでした。けれどこれが、希望の花になってくれることは間違いありません。 もう一つ。ボランティアの体験です。ボランティアと呼ばれる活動は続けてきましたが、肉体を使うボランティアは過去に1度だけ。16年前、ボランティアと一緒に仕事はしましたが、私の立場はあくまで市役所の人。日ごとに変わるボランティアに「ありがとう」が言えないままになってしまったことがずっと心に残っていました。決して若くはない体。ガレキ運びはキツイ仕事でした。しかも暑い。けれど16年前の恩返しに来たのですから投げ出すことはできません。一息つくために一輪車を止めた瞬間、汗は首に巻いたタオルを飛び越して、そのまま地面に落ちたのです。「私の汗が被災地に」と思った時、やっと気付きました。「ありがとう」は言葉ではなく、汗で返すものだと。 被災地の人と一緒に泣いて来よう。そんな気持ちでの現地入りでした。しかし、泣いていては神戸の元気を届けることはできません。「三陸のタンポポ」はできるだけ明るい曲にすることを心がけました。こんな時に不謹慎と思う人もあるかも知れませんが、悲しい、辛い、苦しいことは16年前十分に経験しています。だからこそ、東日本へ元気を届けたい。これがこの曲に込めた思いです。 |
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