「コスモスの詩」     1996年

 震災の年、住宅の取り壊された空地に咲くコスモスと出会いました。弱々しいながら傾いた日差しを受けて輝く様は、花をつけた喜びと咲き続ける自信にあふれているかのようでした。苦しかったあの時、コスモスとの出会いがどれだけ励みになったかわかりません。「西宮を離れた多くの人たちへ、コスモスに託して何かを発信したい。」そんな気持ちから「コスモスの詩」は生まれました。
 「コスモスの詩」は、空地に花を咲かせたコスモスの回想場面から始まります。「あの地震さえなければ…」何度も口にした言葉ですが、花の好きなやさしい人に育てられたコスモスだって同じ。「きっと又会おう」そう誓い合って仲間の花たちと冬の眠りについたはずでした。ところがあの大震災。ガレキの下敷きとなりながら、育ててくれた人の無事を信じ、花を咲かせるまでの苦難の積み重ねは、被災地で多くの人が経験した出来事に置き換えることができるのではないでしょうか。


1997年6月9日付 産経新聞 朝刊
      「コスモスの詩」演奏記録

全曲演奏
 
1997年6月8日(日)   西宮市甲東ホール
   「コスモスの詩」コンサート
 1997年11月8日(土)   西宮市甲東ホール
   全国教職員研究集会
 1998年3月7日(土)  西宮市甲東ホール 
   西宮市合唱講習会
 2004年12月4日(土) 神戸ハーバーランド
   語り部と朗読のつどい
 2005年1月23日(日) 西宮プレラホール
   コスモスの詩コンサート Part U


一部演奏
 
1996年5月19日(日)  西宮市民会館アミティホール
   第36回西宮市民コーラス大会 (前半・原曲)
 1997年5月25日(日)  西宮市民会館アミティホール
   第37回西宮市民コーラス大会 (後半・最終部分)
 
1997年11月23日  須磨区民ホール
  日本のうたごえ合唱コンクール兵庫地区予選
 1998年1月24日   高槻現代劇場
  日本のうたごえ合唱コンクール 地域の部 銀賞受賞


       「コスモスの詩」歌詩へ                

  続「コスモスの詩」 1997年〜2000年
 震災からの復興は予想以上の速度で進みました。しかし、すべての人が同じように復興に向けた歩みができたわけではありません。2年、3年と月日が流れるに連れ、「ガンバレ」の言葉だけではどうすることもできない厳しい現実が、自ら立ち上がることのできない人たちの前に立ちはだかっていたからです。
 続「コスモスの詩」はそんな背景の下に生まれました。平坦ではない復興への道程を、今だからできる表現で、あの日を生きた証として残したい。これが続「コスモスの詩」のテーマです

  1.1 月 17 日
 すべてはこの日から始まります。幸いにも我が家は家財以外に被害はなかったものの、当日から始まった業務の中で、悲惨な場面に遭遇します。変わり果てた街、続く余震、それがやがて地震発生時に感じていなかった揺れに対する恐怖へと変わっていったのです。その季節を意識するからでしょうか。1月17日が近づくとあの時刻に目が覚める不思議な体験をしました。水もないガスもない、不自由な生活。寒い中、家族が長時間並んで手に入れてくれた水。たとえコップ一杯でも無駄にできない。無くなって初めて、普段の生活の中では見えなかったものが見えてきました。
 震災の恐怖は忘れたい。しかし、学んだことは次の世代に語り継がねばならない。これは、失われた尊い命に報いるためにも、あの日を生きた者の努めなのです。
  2.気 が 付 け ば 春
 震災直後、マスク・Dバッグ・ズック靴という「震災ルック」が普通でした。しかし、わずかしか離れていない大阪でも、それがまったく異様な風体であったことを感じさせられました。毎日の生活に追われ、気が付けば春。人々はとっくに春の服装に変わっていた。震災からの復興は街並みだけでなく、人々の心にも進んでいた。当時は金持ちもそうでない人も皆同じ境遇。そう思っていたら、自分だけが取り残されていた。日差しは暖かくなっても、心の中はまだ木枯らしが吹いている。「気が付けば春」は、そんなやるせない春の歌です。
  3.傾 い た 時 計
 駅前の仮設店舗に囲まれた公園に、5時46分を指し、傾いたままの時計が残されていた。壊された建物の再建が進まないこの場所は、あの日以来ずっと時が止まっている。ここに暮らしていた人たちはどうしているのだろうか。やがてできる新しい建物にすべての人が戻れるわけではない。 仮設住宅が各地に建てられ、入居の喜びが報道された記憶は新しいのに、早くも次の苦しみが待ち受けていました。ひと時の安らぎの場所とわかっていても、立ち上がれない人がまだ多く残されています。
 次々に新しい建物が完成し、街の生まれ変わる喜びと、置き去りにされた人々の苦しみが交錯する、復興の過程での複雑な時期でした。
  4.九 月 の 雨
 仕事に追われながらも、空地のコスモスが気になり、東神戸から芦屋にかけての激震地帯を訪ねました。やっと時間を作り、電車には乗ったものの、夕刻が迫り、雨に見舞われる散々な訪問となりました。希望の花のコスモスは見つからず、黒々と拡がる空地には、夏草が戻れぬ人をあざ笑うかのように天下を誇っています。夕闇とともに雨脚が強まり、空の上では夏と秋との激しい戦いが続き、雨粒が居座る雑草を急き立てるように叩きつけていました。やがて雑草の季節が終わりを告げ、一日も早く空地に人の温もりの戻ることを祈らずにはいられませんでした。
  5.道 端 の コ ス モ ス
 震災直後は無我夢中で頑張っては来たけれど、明日の見えない毎日が続くと、その頑張りにも翳りが見え始めていました。空地のコスモスから復興への希望をもらいました。しかし、あまりにも厳しい現実から、あのコスモスは幻の花だったのでないかと思い始めていました。それでも、あの花を信じていたいという気持ちを捨てることはできません。道端に芽を出したコスモスを見つけたのはそんな時だったのです。この日から道端のコスモスの観察が始まります。空地のコスモスは人手が加えられなかったはず。日照りが続いてもそのまま見守り続けました。どうしても、空地のコスモスが実在したことを証明したかったのです。しかし、花の季節を迎えても蕾の一つも付けないコスモスを見て、自分の非情さを悔いました。空地のコスモスを実証するため、日照りに苦しんでいるコスモスに水もやらず、見殺しにしたのです。だから、コスモスに顔向けができず、しばらくはその道を避けて通っていました。それでもコスモスが忘れられず、久しぶりにこの道を通ると、花が咲いていたのです。まるであの時のコスモスが生まれ変わったように輝いていました
  6.三 度 目 の 秋
 この年は各所でコスモスを見ることができました。通勤電車の中から眺めているだけでは飽き足らず、カメラを持って空地を回りました。「空地のままでは淋しいからと、植えてくれたんですよ。」と、毎日水をやってくれた近所の奥さんの話を聞くことができました。この街が復興に向けて歩み始めることができたのも、様々な人たちの支えがあったからです。いち早く被災地に駆けつけてくれたボランティアのみなさん。あの絶望の街に差し伸べられた手の温もりは今も忘れません。
 コスモスに囲まれて華やかな秋を満喫しながらも、とんでもないことを考えてしまいました。「この場所はコスモスより人の住む所」と。希望をくれたコスモスへの感謝を忘れたわけではありません。家が建ち、人が戻り、失った時を取り戻すことができた時、空地にコスモスの咲く必要がなくなるのです。復興への希望を託したコスモスに、「もう咲かないで」と言うのはあまりの身勝手です。しかし、最後にもう一度、コスモスに希望を託したい。「今年限りの花となり、空地を埋め尽くせ。最後の秋を飾るため、燃え上がれ!」



2005年1月24日付
神戸新聞 朝刊(阪神版)


コスモスの詩コンサート Part U
続「コスモスの詩」全曲演奏
西宮市プレラホール
 続「コスモスの詩」演奏記録

  1998年5月24日(日)
    第38回西宮市民コーラス大会
    「九月の雨」
  1999年5月23日(日)
    第39回西宮市民コーラス大会
     「道端のコスモス」(部分演奏)
  2001年5月27日(日)
    第41回西宮市民コーラス大会
     「1月17日」

  2002年5月26日(日)
    第42回西宮市民コーラス大会
     「気が付けば春」

  2003年5月25日(日)
    第43回西宮市民コーラス大会
     「傾いた時計」

  2004年5月23日(日)
    第44回西宮市民コーラス大会
     「三度目の秋」

  2004年8月28日(土)
    サマーフェスタ エビスタステージ
     「1月17日」・「傾いた時計」
  2005年1月15日(土)
    西宮北口駅北東地区交流ウォーク
     「1月17日」・「傾いた時計」・「三度目の秋」

  2005年1月23日(日)
    コスモスの詩コンサート Part U
     続「コスモスの詩」全曲演奏

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