“VW ひとり談議” No.4

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2001年12月10日

今日、久々に『おじいちゃんのキャロル』を見ました。
友達のおじいちゃんを横に乗せて、信号を僕と反対方向に曲がって行きました。
あの雰囲気は、僕らが、いくら40年近く経った旧い車を乗ってても出ないな。
「自分の大切な車と何十年か経って出る雰囲気を自分もいつか出せたら」
と思って、僕は62のカルマンとそれを目指してるのですが、
まだ13年です。まだまだ。
そこが、お金を出しても買えないとこなんだな。

2001年12月3日

安いやつですがスキャナを買いまして、昔の写真なんかを取り込んでます。
そのうち“D”の写真なんかも載せたいと思ってます。
もっと早くにスキャナが欲しかったのですが、ホームページの充実という事で
遅ればせながら、買いました。期待しないで、また見てください。

2001年11月28日

お知らせです。
イベントのスワップミィートでもお馴染みのボーイズ・スピリットさんが
毎年イヤープレートをケンさんのイラストで作られていますが
今年も出来あがりました。写真参照。欲しい人は、僕にメールをくれても
良いですし、直接ボーイズ・スピリッツさんに電話をして下さい。
電話番号は、06−6252−2829です。

2001年11月26日

昨日‘91ゴルフで高速を走ってる時にダイナモベルトが切れてしまい
幸い予備を持っていたので(ホルスタインさんありがとうございます)
次のI.Cで降りて、近くのヤナセで換えてもらいました。
切れたのが昼間だったので、よかったです。
おとといは、片道250km位の所まで行ってまして
帰りが夜中で山道を走ってましたので、その時に切れていたら
ちょっと困ってたな。もうすぐ切れそうだなと思ってたのですが
交換してなくて。だめですね。(交換が、ちょっと面倒そうで)
時々ヤナセへ行きますが、サービスには感心する事が多いです。僕は。
「やっぱりヤナセだな」と。
友達の神戸5の‘66ビートル 6vは、ヤナセに車検を出していましたが
「次回からは、ちょっと・・・」と言われたそうです。

2001年11月19日

『復活作戦』は、残りの部分のワックス掛けとバンパー磨きを終えました。
後は、ブレーキ廻りの整備が残っています。厳密には、ワイパーモーターは
まだ12vのまま。直す楽しみを残しておかないと。

これから寒くなってくるのでキャンプにも行かないし、空冷VWにも
あまり乗らないかな!?

2001年11月10日

今日は『6v復活作戦』です。
うちの駐車場は、縦に2台停める為、カルマンを奥に停めて修理をしていました。
奥は少し幅が狭い為、ブレーキ等4輪するには、ちょっと苦しいので
DORMOBILEを奥に入れ、カルマンを前に停めるように入れ替えました。
タイヤを付けて、動かしたついでに洗車して日が暮れるまでワックスを掛けていました。
屋根と前だけですが、きれいになりました。
あとは、また次の休みです。
今日は、たまらず『お気に入りの花瓶』を付けました。
「カルマンのダッシュにどうやってホルダーを付けたか!?」って、
スペシャルなホルダーが有るんですよ、(もち、純正ですよ)
ちょっとワイパースイッチ使いにくいけど。

2001年11月6日

先日は、三木と大磯のイベントへ行ってきましたが。
三木では残念な車が1台有り、大変ショックを受けてしまった。ガックッ!。
三木と言えば、グリーンピアなんですが。イベント当日の朝が良いんだよね。
山の中で、スカッツと晴れてて気持ち良いんだよね。(雨の時も有りましたが)
先日の三木で、元主催長老と元スタッフ長老達と(僕も2回目からスタッフしてました)
『もういちど、あんなイベントやりたいな』と話しておりました。
『Big Event』をね。ジムカーナは無理だろうけど。
あの暑い夏の一日は、楽しかったなぁ。
前向きに長老、考えましょか。

2001年10月20日

今日は、ホルスタインさんへオーバーホールが出来たエンジンを取りに行き、
家に帰って『復活作戦』です。
細かい整備を済まし、エンジンにカバーや補器類を組み付け、載せました。
バッテリーを繋いで、運転席に座りキーを捻る。
圧縮の戻ったエンジンをオプティマバッテリーがググッと廻します。
「いいねぇ!」キャブ調整をして、アイドリングで安定してる6vのエンジン。
電気廻りを夜にもう一度確認。6vながらはっきり、くっきり。
もう、最高に嬉しいです。
あとは、ブレーキ廻りの整備とフロントグリスアップ、洗車ワックス。
やっぱり、NOSの28pciのキャブとフューエルポンプに替えよ。

そして最後にダッシュには“D”で買って来た、一番お気に入りの花瓶を。

2001年10月8日

今日も『復活作戦』です。ミッション廻りの整備をしました。
エンジンは、ヘッドとピストン・シリンダーのオーバーホールを
ホルスタインさんにお願いしに持って行ってきました。
11月中には、なんとか乗れる様になるでしょう。
うれしいな。楽しみだな。どこへドライブにと・・・・・
だけど、(近くに『走ってて気持ちいい道』ってないけど)
(考えてみても『琵琶湖畔道路』位しか思い浮かばんなぁ)
う〜ん残念。ここは日本。

2001年10月6日

昨日、今日と『‘62ghia 6v復活作戦』を開始しました。
とりあえずエンジンは降ろして、まだ要るパーツが2,3点あるので整備は後日。
電気廻りを6vに戻してバッテリーをつないで、チェック。
なんせ、キーをひねるのは6年ぶり。
時計のゼンマイが動いて、カチカチと動き出しました。いいね、いいねぇ。
「おー、6vのウインカーが灯いた!」ほの暗い感じが、いいねぇ。
ホーンは、NOSを付けました。「おー、イイ音!」
あとはエンジンとミッション廻りを整備して、エンジンをかけるだけ。
おー楽しみ楽しみ。車検も復活さすでー!!

2001年10月5日

先日発売の某VW誌にいいコメントが載ってました。

「私にとってのVWは 『夢』 です」

いい言葉だねェ。

2001年9月25日

先日のイベントで久しぶりにI君に会いました。
I君の‘67GHIAは僕のGHIAと一緒にアメリカから入って来て
I君も13年間、大切にしています。ワンオーナーフルオリジナル車だったので
ボディ状態も良く、8年位前に組んだ2000ccのエンジンも好調のようです。
(僕がショップで働いていた時に社長が組んで、ボディに乗せてセルを回したら一発で掛り、
そのままアイドリングが『ボォーー』と安定してて、吹かすと『お〜っ!、さすが2000!!』
って感じで、感動したのを覚えている)
新築の家にはシャッター付きのガレージが、もうすぐ出来るそうです。
I君は、『チャイルドシートをどこに付けるか』が今の悩みだそうです。
(シートベルトが、前にも後ろにも付いていないので)
足車は別に有るので、GHIAに乗る事はあまり無いようですが、
愛娘を乗せて、ドライブに行きたいのでしょう。

2001年9月13日

世の中では、いろんな事が起こっています。
だけど季節は確実に秋に変わり、空は高く青いです。

これから毎週日曜日にどこかでVWのイベントが有りますが
いい季節なので、皆で楽しみましょう。


2001年8月22日

「Classic Weekendに行ったら、何を買ってこよう!?」
その時はDORMOBILEに乗っていたので、
「テントが欲しいな、それも赤白の三角屋根!!」
これを買い物の一番の目的にした。
6月の一週目の日曜日は、ポモナ。歩き廻って疲れたが、テントは無い。
二週目の土曜日のSOTO、テントを建ててる車は何台か居たけど
売り物のテントを見つける事は、できなかった。
日曜日のClassicで、ポール付きのテントを発見。
「どの形のテントやろ!?」 ポールと生地を見て.....(考)
そしてもう一度一周したが、その人しかポール付きのテントは売ってなかった。
「よし、これを買って帰ろー!」
ホームセンターへ行き、ポールが入る長いバッグを買い
その中へポールとテントを入れて、持って帰ってきました。
いやぁ〜、重かった!

2001年8月16日

なぜ、‘92年にアメリカへ行ったか!?
‘87年6月BadCambergのイベントの様子が本に載っていて、
“Next in 1991”って書いてあった。
だけど、その言葉の意味が理解できたのは、1991年の秋頃だった。
「もう終わってる。くそっ〜!!」 気が付くのが、遅い!!。
「Classicでも行くか!、SOTOのイベントも一度見てみたかったし」

「“D”は 『Next1995』 だ!!」 と、それからの 『待つ3年』 は長かった。

2001年8月13日

つづき。暗くなってからフロリダ・オーランドに到着しました。
オーランド空港でレンタカーを借りて、目指すは、ディズニーワールド辺り。
ホテルは、LAXで電話予約しておいたので、そこへ行くのみ。
空港から繋がっている道は、有料道路で途中にゲートが有りました。50セントだったかな
目的地が大きな街なので、地図無しで道路表示だけで辿り着けました。
ホテルも程なく見つかり、よかったよかった。
暗くなってから、はじめての土地で、住所だけでそこへ行くのは、ちょっと不安です。
だけど、
アメリカや“D”でもある程度、道路標示だけで、目的地へ行く事が出来ます。
日本では、それが出来ない!!日本の方が、道を間違えたり、どの電車やバスに乗ったらいいのか
わからなかったり、どの方向に行ったら良いのか わからなくなる事が多い。

日本の道路事情は、あまりにもお粗末すぎる。高い税金と高い通行料を払っているにも関わらず。
あぁぁ........

2001年8月10日

話は飛びますが‘92年6月にアメリカへ行った時の事。
その時も“宿予約無し、レンタカー行き当たりばっ旅”でした。
ロスで2週間過ごした後、フロリダへ行く予定にしてたので、飛行機のチケットだけは買っていた。
フロリダへ行く日、飛行機は7時20分。6時にLAXのカウンターへ行きました。
たくさんの人が並んでいました。列案内の女性にチケットを見せると、「ここに並んで」と言われ
並んでいましたが、いっこうに前に進みません。搭乗時間が迫るのにカウンターには、ほど遠い。
もう一度、案内の女性に訴えたが「並んで」と言われ、別の列案内の人にも聞きに行ったが同じ返事。
10分前、カウンターの女性が3ケタの数字を大きい声で叫んでいましたが、
メンフィス行き(フロリダ・オーランドへは直行便が無く、メンフィスで乗り換え)
の『便名』では無かったので、「おかしいな!?」とは思ったのですが。
5分前、並んでいる人を押し退けカウンターの女性に「どうなっているんだ」と聞くと
「もうCLOSEしました」と。叫んでいた数字は『便名』ではなく『720(出発時間)』
だったのです。怒りで‘カウンターの女性に怒鳴ってしまった’結果、
次便のファストクラスの席を確保してくれた。次便は、15時。LAXのソファーに座り、待った。
長かった。(15時まで)その間『いろんな思い』が有ったのですが........
まっ、オーランドには、暗くなってからだけど無事着いたから いいんだけど。

2001年8月7日

はじめて“D”へ行ったのは‘95年6月のBadCambergなんですが
その時も はじめてながら“宿予約無し、レンタカー行き当たりばっ旅”でした。
その時の旅は、北から下ってくる予定。
フランクフルトから乗り継いでハノーバーに着くのは、夜9時。
「それから宿を探すのは、ちょっと無謀かな」と思い、フランクフルト空港から
ガイドブックに載っていたホテルに電話で予約をしました。(ちょっと安心)
ハノーバーに着いて空港でレンタカーを借りて、そこのお兄さんに
「このホテルはどの辺りですか?」と聞いたら、だいたいの場所を教えてくれて
「もう閉店で僕も帰るので、途中までだけど、後ろをついておいで」と言ってくれました。
はじめてのアウトバーン。それも夜。(地図無しでホテルを探す。ちょっとあせった)
なんとか後ろを付いて行って、そのお兄さんは、ウィンカーを出して自宅の方へ帰って行きました。
僕は、ホテルの住所の町名を目指して走りました。「この辺りかな〜」とゆっくり
キョロキョロしながら走っていると、左目に「チラッ」とホテルの看板が......
次のインターで降りて下の道をその「チラッ」と見えた残像を目指しました。
チェックイン出来た時は、ホットしました。そのままベッドで「グワッ〜」
朝起きて窓から並ぶ茶色の三角屋根を見て、もう一度『“D”に来た実感』を味わった。
「無事 着いて、よかった。」「ついに来たでぇ!!」

この時の幸運は、“ホテルがアウトバーン沿いで看板が見えた事”だった。

2001年7月26日

Wolfsburgで泊まる所は決めていて、運河沿いに在る小さなお宿。
Werkの人達が仕事が終わった後、一階のレストランに飲みにやってきます。
廊下や部屋には、何十年か前のWolfsburgの街の絵が飾られています。
わりと古いなぁと感じさせる造りで、一階のレストランは、雰囲気が有ります。
暮れ行く空を眺めながら飲むピルスナーは最高です。『めちゃ、うれしい』
ここのおばあちゃんが、また良いおばあちゃんで、いかにも
『Kaferの内装の仕事をしてました』って感じがするのですが。
ほんとにそうかどうか話を聞きたいけど(勝手に想像してるだけなので)
おばあちゃんはドイツ語しか話せないので、聞けてません。残念。
朝食の時に「コーヒーのおかわりは、要らないか!?」「パンは、もういいか!?」
「ハムは....チーズは....」と聞きに来てくれる優しいおばあちゃんです。
今度、行く時も元気で居てくれるだろうか。

2001年7月19日

今はロスも“D“も良い季節です。夕方が長いと言うか、日没が遅いと言うか。
夜9時位に暗くなりますから。
“D”では『今夜のお宿』を探してると夜7時位になって、あわてます。
宿が見つからん。「今夜は、車の中で寝んとあかんかな〜」と不安になります。
と、あきらめかけた頃、『HOTEL』の文字が....
「空いてますか!?おいくらですか!?」ああぁ、嬉しいお返事。
一階で飲むピルスナーは、最高においしいです。「今日も一日、終わった...」

今日の空は入道雲が出て「梅雨が明けた夏の空!!」って感じで、嬉しいですね。
セミもうるさい位に鳴き出したし。日本の夏も長い様で短い。
子供達は、夏休みを一番楽しみにしているのに。40日もあって、すぐ済んでしまう。
山とか海や田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの家。
ランニングシャツに麦わら帽子、たすきがけの虫かご、右手に虫取り網。
スイカ・花火・きりぎりす.....
暑いけど、『夏』って.......やっぱり暑い!!

2001年7月18日

駐車場とかで止まっている車のタイヤを見ましたが、ほとんどがノーマルタイヤでした。
ほとんどの道は、きれいに除雪されていますが。それだけ除雪する事も『すごい』事だと思う。
日本だと......。
雪が降っていようが、雨が降っていようが、“D“の人達はアウトバーンを飛ばしますね。
コンパクトクラスのレンタカー(Golf・ASTRA・A3等)で150km位で走ってると
『スカッ』っとミィディアムクラスが抜いて行きます。はやい!!
でもこの時は雪の積もった景色が、あまりにもすばらしかったので、僕はゆっくり走りました。
アウトバーン沿いの木々に雪が積もって...っていう雪景色、“D”で、はじめてなもんで。
アウトバーンを走ってて(下道でも)あまりにも景色がすばらしいので、アクセルを緩める事が
多かったです。
“D”の印象は、『空が広い!』です。
くもり空が多いんだけど。ため息が出て『スッ』と力が抜ける位、ひろい空だ。
(ワイキキからノースショアへ行く途中のパイナップル畑辺りで、K畑君が「空が広いなー」と
ムスタングConv.の後ろの席で思わず口に出した、13年前の事を思い出した)

2001年7月15日

1月に“D”へ行った時、
着いた日に雪は無かったのですが、その日の夜から降り出しました。
夜中に眼が覚めて外を見ると、シンシンと降っていて、ズンズンと積もっていってる。
「明日、大丈夫かな!?」
(レンタカーのゴルフは、ノーマルタイヤだった様だし、チェーンを積んでる様でもなかった)
気になりだすと寝れない。何度もベッドから起きては、窓の外を見てました。
(僕が泊まる所はどこも、
小さな街に一軒しかないようなガストホフで、廻りは普通の民家なのですが、)
窓から見える『雪の降る光景』は、とても幻想的だった。
‘ポッ’と灯ている街灯の明かりと、大きな三角屋根の家と.......

まだ暗い5時頃、黄色回転灯を点けた自動車が来ました。
除雪車です。この小さな街の中の道にまで。すばらしい!!
おかげで、『やはりノーマルタイヤだったゴルフ』でも、問題なく走れました。
除雪のされていない30cm積もった駐車場から出る時や、雪の残っている道路でも
ぜんぜん問題なかったですね。
なんでかって!?
『タイヤは、コンチネンタルですよ!!』

2001年7月10日

アウトバーンを走っていると、セダンでキャンピングトレーラーを引いている車を
よく見ます。キャンピングカーでは、T4のウェストファリアが多いかな。
自然が多く、きれいな所も多いので、皆そういう所で休日を過ごす様です。
きれいな河のほとりには、芝生のきれいなキャンプ場が在ったりします。
普段は、ぜんぜん見ないT1.T2ですが、一度だけアウトバーンを走っている
‘68ウェストファリアを見ました。すっっごいかっこよかった。
アメリカのフリーウェイで見た印象とは、まるで違う。同じ車でも。
なにが違うんだろう!?

2001年7月6日

昨日から大阪府能勢町に在る 「自然の森ファミリーキャンプ場」へ行ってきました。
キャンプだけの目的でキャンプ場へ行ったのは久しぶりでした。
ゆっくり自然を楽しめました。場内を流れる小川の水は、飲む事が出来ます。
リスや鹿やイノシシもサイトに出てくる位の自然がいっぱいのキャンプ場です。
鳥のさえずりと小川のせせらぎが、耳に心地よいです。
夜は雷雨になったので、星は見れなかったけど・・・・・
管理人のお兄さんも優しく、いろんな事を教えてくれます。
お母さんが場内の畑で作った有機栽培のきゅうりは、最高においしかった!!
また、行きます。