18
何気なく示される彼の思いやりに接する度、少女は飽きずに惚れ直してしまうのだった。
やはり、この人が好きだ。
そんな気持ちが胸の底から湧き上がり、百は又市をじっと見詰める。
彼が言ったように、四階の教室へ人が近付いている気配はなかった。
物音といえば、窓の外でたまに鳥が鳴き、風に枝葉が揺れる音が立つくらいのものだ。
ここにいるのは、彼らだけだった。
「あ……」
又市の手に頬を撫でられ、百の唇から声が漏れた。
間近に互い目を見交わし、恋人としての距離で、他に誰もいはしないのだと意識する。
この親密な空気の中、しかし彼女は、わずかなためらいを顔に浮かべた。
ひと気がないとはいえ、ここは学校なのだ。公的な場所にあって、キスをしたいというのもどうなのだろう。
そんな百の内心を察して、又市がふっと笑った。
「ここも、仮にも校舎内なわけだが、誰の迷惑になるわけでもなし、これくらいは見逃してもらいましょう」
そのことばに、彼女は赤い頬のまま、小さく「はい」と答えた。
慎重な又市の判断を、百はその前世から危ぶんだことはない。
顔と顔がさらに近付き、彼女はそっと目蓋を閉ざす。
その、相手を信頼しきった無防備なさまに、又市はまたも内なる衝動を抑え込むことになった。
ここが校内でよかったと、逆に彼は思う。
なにせ、想う人と二人きりの密室、近くに人影もないという状況だった。
このような場において自分を制御するのは、いかに又市でもたやすいことではない。
――本当に、こんな無防備なところ、俺以外には見せないでくださいね。
心の中でだけそう告げて、又市はゆっくりと唇を重ねた。
窓の外から、新緑の香りを含んだ爽やかな風が吹き込んでくる。
恋人たちの密やかなキスを知る者は、他に誰もいなかった。
<終>