私は二人のヤンチャ坊主相手に、日々育児(育自?)に奮闘しています。
まだまだ続く子育て進行中ですが、
「ああすればよかったな」など、後悔することもしばしば。
親として欠陥けだらけの未熟な私ですが、
いろいろな思いを書きとめてみました。
私は幼い時より母親に「ダメだ」「不器用だ」「音痴だ」「○○が悪い」などなど、ほとんどの面で否定的な言葉を投げかけられて育ってきました。
そのため全く自分に自信がもてず、劣等感のかたまりでした。「私はダメなんだ」という低いセルフ・イメージしかもてませんでした。今なおその尾をひいています。
今から考えると、母親の言葉は、「日本人の美徳」と言われるような謙遜から出た、叱咤激励のようなものだったとも思うのですが、幼い心には、母親の言葉そのまましか受け止められませんでした。
小学校5年生の時に、ほめ上手な先生に出会いました。新学期早々に苦手だった算数をほめられたことから、勉強面ではじめて自信をもつことができ、成績が急上昇しました。「ダメ」「ダメ」呪縛をうち破っていけるようになりました。
自分自身のことを反面教師にして、まず私が心がけていることは、「子どもに否定的な言葉を投げかけないこと」。 そして、「できるだけほめてやること」です。
子どもは、言葉に敏感です。特にお母さんの膝元で保護されながら育まれている幼少期は、母親の言葉を百パーセント素直に受け止めます。それが子どものセルフ・イメージとなります。
「いい子だね」「上手だね」「すごいね」、他人に聞かれると、恥ずかしいくらい、「いいとこ探し」をしてあげたいと思っています。
叱るときも「ダメだ」という言葉はできるだけ使わないようにと、心がけています。
悪い部分を指摘する時も、「本当はいい子なのに。」などと、本質は肯定した上で、否定の言葉を言うようにしたいと思っています。
(でもこう書きながらも、言うことを聞かない子どもを相手に、感情的になって暴言を吐いてしまうこともあります。)
子どもを人と比較すると、ほめ言葉が、けなし言葉になってしまいます。
これだけ「しか」できないのではなく、これだけ「も」できるのです。
子どもだけを見つめてやりたいと思います。
現実の社会で子どもはもまれていきます。自分の現実の姿を知ります。
その子どもが、まず自信をもってのぞめるようにしてあげたい。
決して「ダメな者」ではない、健全なセルフ・イメージをもたせてあけたいと思っています。
子どもが生まれて退院してきた日、生まれたばかりの長男を前にして、「私に育てられるのだろうか」と大変に不安になりました。授乳、おむつ換え、沐浴、体温調節・・・「手をぬけば、死んでしまう」というような思いの中で、神経質な私は育児書を片手に育児ノイローゼになりかけました。
でも、野生の動物に目を向けるとき、動物はそんなに育児に励んでいるわけではありません。力を注ぐのもエサを与える時期だけなどと、限られています。
私の庭に目を向けても、私がずぼらでほとんど手を加えないにもかかわらず、春になると球根は芽を出して、きれいな花を咲かせ、夏には朝顔がツルをのばして生え群がって、たくさんの花を咲かせて種を残します。
人間を含めて、すべての生命には、生きようとする力があることを、思わされます。
そしてその「命」の背後に、神様の存在があります。
「命」は、神様に生かされているのです。
すべて「命」あるものは、神様のもの。
人間の子どもも、親のものではなく、神様のものです。
親は育児をゆだねられている「管理者」にすぎません。
背後に神様の存在を感じ、私が育てるのではなく、神様が育てて下さると思った時から、肩の力を抜けるようになりました。
親がアクセクと苦労しなくても、子どもは自然に成長していきます。
もともと子どもは、良いものを沢山もっています。
時に、親が自然に成長していくものを、邪魔している所があるかもしれません。
その良いものをつぶしてしまうことさえあるかもしれません。
「はやく」「はやく」と何かにせかされているような社会です。
こどもの成長も、「はやく」「はやく」と願ってしまいます。
しかし子どもの成長には個人差があり、親がゆとりをもって、「待つ」姿勢でいることが大切なように思います。
親の役割は、子どもが自然に成長していけるように、見守ることでしょうか。
一人前になったら、役割は終わりです。
ただ、正しいしつけは、子どもへの最大の贈り物だと思います。
正しくしつけられることは、子どもの財産になるでしょう。
(しかし、しつけることは、難しい)
育児に関して情報が氾濫しています。
「学歴社会」が否定されながらも、親たちの間では、学歴志向は全く消えていません。
子どもの成長の「早さ」ばかりが競われているようにも思います。
でも子どもの成長の通過点で競い合っても、意味がありません。
子どもの成長の最終点は、「一人立ち」でしょうか。
「自分で考え、選び、責任をとれる人格として成長しているか」です。
社会はどんどん複雑で難しくなっていますが、どんな状況にあっても、一人で正しく生きていく力を身につけていることが、何より大切なことだと思います。
私のものではない、神様のものである子ども。
その神様よりあずかっている子どもを育てさせてもらっいることを、日々感謝しながら、育児ができればいいなと思っています。
長男の幼い心に深い傷をつけた、悔やんでも悔やみきれない失敗があります。
その心の傷の影は、徐々にうすれてきましたが、今なお残っています。
次男を妊娠している時、早産の心配があり、安静にするように指示されました。しかし、じっとしていない2歳4ヶ月の長男が側にいると、安静にはできません。早産ではなく正期産となる妊娠37週まで後10日程だったので、その間遠く離れた実家に長男を預けることにしました。実家は大好きなおじいちゃん、おばあちゃんのいる所で、それまでも泊まったことがあったので、軽い気持ちで大丈夫だろうと考えていました。
私の母が新幹線などを乗り継いで連れて行ったのですが、途中で泣いたら困るだろうと、「後からお父さんとお母さんが来るから」と、だましました。
実家についてからの、長男のショックは大きかったようです。まもなく高熱が出て、おう吐下痢症にかかってしまい、食事もあまり食べられず、10日後に戻ってきた時は、やせてしまっていました。1日目の夜は大声でしばらく泣いたようですが、その後は熱があって苦しくても、また食べ物が食べられなくても、泣かずに、けなげにたえていたようです。
そしてやっと戻ってきた長男の傷ついた心をいやしてやるまもなく、数日後に次男が誕生しました。
その後は次男の育児に追われ、また次男が病弱であったため、どうしてもそちらに手がとられました。今から考えると、できるだけ長男を優先して向き合ってやるべきだったのですが、全くできませんでした。
「小さいのだから、どうせわからないだろう」と事情を話さないまま、ウソをついて長男を連れて行ってもらいましたが、せめてちゃんと話して理解させるべきだったと思います。
3歳までの「母子の信頼関係」を確立させる一番大事な時に、幼い心をだまして離し、孤独感を植えつけ、心に深い傷をつけてしまったのです。
「お母さんから離れると、またひとりぼっちになってしまう」という幼い心に植えけられた思いは、根強く残りました。
「人好き」な子なので、かろうじて幼稚園には通えましたが、それ以外の所では決して私から離れることができませんでした。幼稚園のお迎えにしても、誰よりも早く行って園庭に立っていないと、不安になって涙をためているような状態でした。
子どもの心の深い部分が見えていなかった私は、私から離れない長男を、「なんとか離そう、離そう」といろいろと試みてみましたが、ますます長男の不安感をつのらせるばかりで逆効果でした。
離そうとする前に、不安感をもたないよう心を満たしてやり、安心感を与えてやるべきだったのですが、それがわかっていませんでした。
母子の信頼関係が確立した上で、子どもは一歩ずつ親から自立していくのです。信頼関係が不十分な場合は、自立の前にその関係を深めることが何より大切だったのです。
今は亡き歌手の尾崎豊も、二才の頃母親の病気で、親戚の家に3ヶ月ほど預けられたことから、一生「孤独」をひきずるようになったと、聞いたように思います。
長男の心の影は、少しずつ少しずつ薄れてきています。
そして少しずつ少しずつ自立の心が芽生えてきています。
心の成長をあせらず、ゆっくりと見守り、待ってやりたいと思っています。
幼い心に与えた恐怖やショックは簡単にいやされるものではないのでしょう。
幼い心こそ、親は大切に大切に取り扱わなければならないのだと思います。
「三つ子の魂百まで」といいますが、この幼少期はとても大切な時期であり、親には細心の注意が必要です。
特に3歳までの信頼関係が確立するまでは、子どもの信頼を裏切らないようにして下さい。できることなら、離さないで下さい。自責の念をもってそう思います。
物の豊かな時代です。
「不景気、不況」といわれる昨今てすが、子どもの世界ではあまり関係ないようです。
ハンバーガーを買っても、子供用には立派な玩具がおまけについてきます。
子ども部屋には、玩具があふれかえり、子どもは玩具が一つそれどころか沢山なくなったとしても気がつかないし、気にしないような有様です。
テレビや雑誌で次々と新しい玩具の紹介がされ、手に入れても手に入れても、子ども達の心が満足することはありません。
私は豊かでない家庭で育ちました。ほとんどの物が2歳年上の姉のおさがりでした。だから自分のためだけに、初めて買ってもらったワンピースのことや自分のお小遣いをためて初めて買ったマジックのことなど、今でもよく覚えています。そういう環境でがまんすることや感謝する心を育まれたように思います。
手に入れた瞬間だけは喜んでいるのですが、すぐに次から次へと物を欲しがる子どもたちを見ていて、「どうして満足ができないのだろう」と情けなくなります。
物の豊かさは、心を乏しくするように思います。
物の豊かさは、「わがまま」を育むように思います。
「物」の豊かさと「心」の豊かさは、反比例しているようにさえ感じます。
いつもそういうことを思いながら、子どもに向き合うのですが、なかなか思うようになりません。
離れた所にいるおじいちゃん、おばあちゃんは、孫たちと会った時には、玩具を通して愛情を表現しようとしてくれます。
私も、安い物だったら「まあいいか、子どもが喜ぶから」と、ついつい買い与えてしまいます。
テレビゲームは現代の子どもたちの一番の遊び道具です。
わが家では最近まで与えていませんでしたが、とうとう買い与えてしまいました。
子どもたちは「テレビゲーム」がコミュニケーションの道具のようです。それをもたない長男は、友達の輪の中に入りずらく、段々と交流が薄れていくような感じをもちました。そのため買い与えました。
ゲームの情報交換のため、友達との交流がさかんになりました。それはよかったことです。
でも皆で遊んでいる姿は異様です。それぞれがポケットサイズのゲーム機に向かってチョコチョコと一人でゲームをしています。同じ空間にいながら、同じ時間を共有していない、これが友達遊びでしょうか。
テレビ画面でゲームをしていても、はじめのうち好奇心旺盛な長男は、ゲームの内容よりも、画面の映像に興味があり、いろいろとしゃべっていました。でもいつも友だちに「ウルサイ」と言われ続けました。そして段々と、どんな画面になろうとも、ゲームの展開だけを重視し、むだな会話はしなくなってきました。
はじめて見る画面に対して、いろいろと想像力を働かし、思いを巡らすことは、子どもにとって大切なことのように思います。しかしそういう感動は、ゲームの上では必要ないようです。
家庭でも、それまでは兄弟で「ごっこ遊び」が主流で、またお絵かきや工作などの「創作」も毎日一生懸命やっていました。しかしゲーム機を買ってから、それらがグーンと減りました。
ゲーム機を与えたことを後悔しています。かといって子どものコミュニケーションのためには必要なもののようで、取り上げることもできませんし、第一段々とのめりこんでいっている子どもたちが承知しないでしょう。
心豊かに育って欲しいと願っていますが、非常に難しさを感じています。
私が育ってきたような「物に乏しい」状況で育てたいと思います。しかし一方では私のようなみじめな思いはさせたくない、人並みには持たせてやりたいという思いも働き、物を与えてしまいます。
これからも「子どもに与える物」について、葛藤し続けることと思います。
どうしても物質至上主義の世間の波に乗せられてしまいますが、それに流されないよう、セーブさせるレバーだけは、引き続けていたいと思っています。