文字通り、逃げるように遠ざかる貴男の背中に向かって、「行かないでくれ」と泣き叫べば貴男はわらったろうか。
男。それはまぁ、なんというか男だった。それ以外に表現しようのない男。男は常に、ぶっきらぼうで、愛想が悪く、口が悪く、おまけに目つきも悪くて、態度もデカイ、ときていたがその一方で、その風貌からはおおよそ見当もつかないほどの博識で。なんでもないような口調で話しだす、この男の「知ってるか?」に何度自分は驚かされただろう。
そのおおよそ半分はデタラメだったけれども。その他の助け起こされた時の男の手が温かかったことや、「ウゼェ」とかなんとか言いながら綴る、意外と達筆なサイン。男が自分を「坊や」と呼んで、ムキになって追いかける自分。その他諸々の事が、急激に思い出されて・・・ひどく、驚いた。
目の前に居るのは、『ライバル』と言えば聞こえはいいが、その実態はかなり『敵』な男のはず、・・・・だ。何を狼狽する必要がある?
「お久しぶりですね。正直、こんな再会をするハメになるとは思ってもみませんでしたが」
実際、なるたけ冷淡な声で話そうとするにあたって自分は相当苦労した、その苦労がいかほどか、目の前の男に話せばまた馬鹿にされたろう。そういう自分の心情を読みとったのか、読みとらなかったのか男はいつもの皮肉げな、口の端を少しだけ持ち上げた笑みを浮かべた。もっとよく見ていればその笑みを浮かべるにはかなりの努力を必要としたことに気づいたはずだ。が、自分の頭はどうにもそれを理解出来なかった。そうすることで、目の前の光景を認めてしまうのが怖かったのかもしれない、さりげなく後ろに回した左手が、小刻みに震えている。
「だからテメェは坊やだっつってんだよ。ヒカリモン持つ身なら、覚悟しとけ」
相変わらず目つきが悪くてほら、口も悪い。顔色も悪くて・・・?・・・土・・・気色・・・だ。・・・当然だ、傷を負っている。キズ?・・・誰が?誰に・・・?男が、自分の想像もつかない何かに。
致命傷だ。チメイショウ・・・ツマリタスカリマセン、・・・あの『正義』をも討った男が?・・・そう、確かにこれでもかと言うほどの致命傷なのだろう、ソレは。男が人間ではないことを差し引いても。頭が拒絶していた事実が解凍されて、涙があふれでそうになった。
「なんで・・・なんでお前がっ!お前は、私の・・!!」
「泣くな、坊や」
つぶやくように自分にかける、その声色だけがこれまでにないほどやさしくて。
「泣いてなど・・いない!!私は、私は・・・・!」
男が私の頬に零れる雫をぬぐった。その手に縋るように私は自分の手を添えて。ほら、まだこんなに暖かい、だから、まだ大丈夫。
「頼みがある・・・カイ=キスク。この森の奥に俺の────が居る。そいつを、頼みたい」
いやだ、こんなときになってそんな声で私の名を呼ぶなんて。卑怯なあなたの望みは聞こえていて、聞こえていない。
でも、自分は反故にはできないのだろう、きっと・・なぜなら
「卑怯だ、貴男は、何時も。こんな時に私の名を呼ぶなんて、断れない・・・じゃ、ない、、か」
男は満足したような、安心したような、そんな笑みをひとつ浮かべると何とか血糊で参っていない煙草を取り出したので、私は極力小さな炎の法術で火を灯してやった。常なら、大声で非難しているであろう私が火を差し出した事に、男は大層驚いて半眼を上げたようだった。してやったり。男は私が奇妙な泣き笑いをするのを暖かな目で見つめながらまたあらたな願いを告げた。
「坊や、歌ぁうたってくれないか」
歌?私が人前で堂々と歌えるのは賛美歌やら故郷に古くから伝わる民謡のような、もしくは聖騎士団当時の・・いわゆる行軍歌のようなものばかりだ。そんなこと、男も知っているだろうに。と思っていると、
「何でも、いいよ。・・なんなら聖騎士団のやつでも。本当は・・・眠たくなるやつがいいんだが」
・・・眠たくなるのは・・・駄目だ。こんな時は貴男の聴いている雑音のようないわゆる俗楽というやつの方がきっといい。その方がきっと、ねむく、ならずにすむ。ああ、言いたいのはそんなことではなくて、このまま眠ったりしたらお前は・・・。そう頭のなかでは分かっているのに、唇が彼が望んでいそうな唄を紡ぎだすのは何故だろう。
「Das Blumelein so kleine,
das duftet uns so sus;
mit seinem hellen Scheine
vertreibt's die Finsternis,
wahr' Mensch und wahrer Gott,
hilft uns aus allem Leide,
rettet von Sund und Tod.」
自分が、うたう。男は、ねむる。ひどく簡単な真実が躯の中に染みいってくる。
─充分、うまいじゃねぇか。そんな、声が突然聞こえたので、慌ててふりかえると男はとっくに眠っていたようだった。
わかってはいるつもりだったけれど、男はもう、ねむって・・・いなくなって・・・しま・・・った。モウ、コノセカイノドコニモイマセン。その想いが急速に自分の胸を締め上げて、唄にむせびが混じった。彼が穏やかに眠れるように、なんとか唇を動かそうとするけれど、・・・うまく、、いかない。歌声が完全に泣き声に変わっても、男が不満をいわないので。私は胸のなかで、おとこに問うた。
文字通り、眠るようにとけてゆく貴男のたましいに向かって、「逝かないでくれ」と泣き叫べば貴男はわらったろうか。
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