自分、を変える事さえも環境に頼らなければならないとしたら、それは弱いということなのだろうか?どちらにしても、これは契機。一つの、契機。立ち向かう心のために、昨日の自分を葬ろう。
実際、居るときは頭上を覆い尽くす雲のように、息苦しく感じていた大陸の存在は、もう「あれは島だ」と教えられれば、そうなんだと思うほどには小さくなっていた。なんだかあそこで過ごす時間は、結局誰かに守られっぱなしだったな、とアゼルは思う。
兄に、シグルドに、レックスに、そして・・・ティルテュに、守られどおしだった。いつの間にかそれに慣れていたのだと思う。
だけど、何時までも頼ってばかりはいられない。
強くなるために、立ち向かわなければならないのはきっと、今この時だろうから。
あの時、ランゴバルト卿、レプトール卿が討伐の命を受けて追ってきた時、レックスはそれでも皮肉げにいつもの軽口を叩いていたけれど─、だけど─ティルテュはその小さな肩を、震わせていた。記憶の中の彼女といえばいつも自分を蹴飛ばしていたように思う、その彼女が─震えていた。普段からは考えられない彼女の様子に思わず、「大丈夫?」と問いかければ、何時も通りの軽口がかえってきて。逆に心配までされてしまう始末。彼女がどれほどその優しき心を痛めていても、今の自分では、彼女の何にもなれないのだと痛感する。
せめて彼女の優しき心を支えられるように、強くなりたいと思う。自分は今まで逃げてばかりいたから。兄様といっては、自分の生まれに口さがない人達から逃げ出して、エーディンを守りにいくといっては、兄と出来を比べられる視線から、兄そのものから、逃げた。
その結果、これ。このザマ。誰より記憶の中にいる幼なじみが震えていても、「大丈夫、僕が守る。きっと上手くいかせてみせる」と言って抱きしめることすら出来やしない。
強くなりたいと、守れるようになりたいと、心底そう思う。もしも血に連なる人と袂を分かつ事となって、彼女が嘆きの海に沈んでも今度は必ず守れるように。
だからこれは契機、一つの契機。シグルドの軍の中は居心地がよかった。シグルドの軍をとりまく環境も概ね良好と言えた、今までは。
これから、向かう先はシレジア、100年の間独立を保ってきた中立王国。
自分達は、あくまでラーナ王妃の厚意を頼ってシレジアへ向かっている。だがあくまでそれは王妃個人としてのの厚意、シレジアとしては楽しい事であろうはずがない。自分達は逆賊とされている。この場合、それが事実であるかどうかなど問題にはなり得ない。シレジア王国は、国内に逆賊を匿っている。以上から、一連の騒動は裏でシレジア王国の手引きがあったと考えられる。グランベル王国はこれを明確な敵対行為と見なし、宣戦を布告する、とでも宣われれば全てはそれで終わり、だ。
だから、彼の地では歓迎されようはずなどなく逃げ場も無い、だがそれはとても都合良い。きっと自分に必要なのはきっかけだろうから。
その前に、とアゼルはまた手元の花を海へと撒きはじめた。
「何やってるのよ、こんなところで」
「うん、お別れ。いや、・・弔い・・・かな?」
「そう・・・ってちょっと、なんなのよ弔いって」
「ちょっと色々と成長させたいことがあってね。それで、今までの自分にお別れ言ってたってワケ」
「・・・ったく、あんたってば子供ねぇ」
心底、やれやれといった感じの彼女の言いように、思わずカチンときて
「何がだよ」
「そんなに、無理に変えようなんて肩に力を入れる必要なんてないのよ」
「え?」
「だってアゼルは自分を変えたいと思うようになったのでしょ?だったら、変えようとそう、決意した時点でもうそれまでの自分とは一歩変わってるのよ」
それはもう考えもしなかった一言で、目の前の霧を吹き飛ばしてくれた。
あはは、また助けられちゃったや・・。
「・・・そっか、ティルテュってすごいね。僕はそんな風に考えられたこと一度もなかったや」
「なんちゃってね、神父様の受け売りなんだケド」
そういって遠い目をしている彼女に、彼女が想うひとの後ろ姿を思い知らされて。いや、彼女が考えているのは自分達を追ってきた父親の事だろうか?
いずれにせよその想いが自分の上に無いこともまた、今は居心地がよかった。
彼女を守ることだけ考えていられるから。
強く、強くなりたいと思う。この想いを告げられるように、この想いが届かなくとも泣かずに彼女を守り続けられるように。
「その花は?」
そういって彼女が指さしてくるのは、オーガヒルで偶然摘み取った花。その時は別に、海に撒くつもりなどなく岩場と言ってしまって差し支えないオーガヒルで名も知らぬ草に混じって自生していたのが何故か気を引いただけの花。
「ああ、これ?やっぱり花が無いと寂しいよなと思って適当に摘んできたんだけど・・」
ひょい、と彼女の方へ差し出すとティルテュは一瞬目を見開いた後、おかしくてたまらないと言った調子で笑いをこらえているので
「どうしたの?」
「知らないの?それが、カミツレ。花言葉は確か・・・逆境の中の活力」
逆境の中で強くなりたいと願う自分が、ふと摘んだ花が逆境の中の活力。偶然の一言で片づけるには確かに話が出来すぎていた。ふ、と思わず苦笑して、残りの花を放り投げる。
決意の中にうまれた小さな偶然。
それすらも味方につけて誓いの為に、昨日の自分を葬ろう。
最後の一束を放って
「そう言えば、ティルテュはどうしてここに?別段、火急の用があるってわけでもなさそうだけど・・」
誰かが呼んでいるのを伝えに来たと言うわけでもなさそうだし・・・、まぁ気になると言えば彼女が持ってきたカップが気になると言えば気になるのだが・・・口をつけるでもなし、一体なんなんだろ?
はあ〜〜、と盛大な溜め息がをついてティルテュが告げてくる。
あ、これはきっと第一声はまったくだな。
「まったく、あんたが柄にもなく神妙な面持ちしてるから、用件遅れちゃったじゃない」
「あ、・・ごめん」
ほら、やっぱり。
「ったく、はい」
そう言ってずいとカップをこちらに差し出してくる。
「あの、その・・冷めてるんだけど・・・・」
「誰のせいだとおもってるのよっ」
「あ・・はい、すいません」
慌てて渡されたそれに口をつけようとして
「これ・・・ホットココア?」
「義理だからねっ」
ぷいと顔を背けながら早口で告げてくる彼女に思わず苦笑して
「ティルテュ」
「ん」
「ありがと」
寒風にさらし続けたホットココアは完全に冷え切っていたが、それでもそれは、十分に暖く、迷いも決意も、守りたいという想いも、甘く暖かい薄茶の渦に、優しく優しく包まれた。