空腹注意報 |
「腹が減った」 ぼそり、ギギナが呟く。 それが妙に切羽詰った響きだったので、おもしろくなってしまう。 「何でも好きなものを喰えばいいだろ。ちなみに俺は空腹じゃないからあてにするなよ」 こっちが食べるついでなら何か作ってやってもいいが、あいにく俺は奴が作った請求書と向き合ってる真っ最中だ。そんな気まぐれを起こす予定は無い。 からかうように突き放せば、むっつりと黙り込む。 冷蔵庫には調理せずに食べられるものだって入ってるのに、ギギナは動こうとしない。 相変わらず依頼人など影も形もない事務所には、おかしな空気が生まれ始めている。 いつもの他愛ない戯言とは異なる――端から聞けば殺伐としていても、日常でしかない平凡な殺し合いもどきに発展しない、不完全燃焼する会話。実が無いのだけが同じで、たどる過程は違っている。求められる結果も。 本当は、知っている。 奴が本当に欲しいもの、食べたいもの、喰らって己のモノにしたいのは何なのか。 ソレは正しい意味での食べ物ではないのだ、どうやら。 知っている、と思うけれどこちらから言い出したりはしない。 俺からの行動を、あてになんかされたくない。 獣に与える餌なんて、なにひとつ無い。 猛獣は随分腹を空かせているようだが、柄にも無く本能のまま突っ走った行動を起こさない。その癖お預けを食わされてる犬みたいに、こちらに視線で訴えてくる。ただし睨み返しても無言のまま、滑稽なほど我慢を重ねている。ひょっとしなくても日頃の恨みを晴らす格好の機会だ。 なんて面白い。 この機会を利用せずにいられるだろうか。 危険物の上で踊るのは危ない。けど此処で退くなら人生とっくに投げ出してるってことで、結局は俺も火遊びが好きなのだ。遊びで済んでる間はって注釈がつくけどな。 火遊びというのは、火が嫌いでは出来ない、やらないものだ。力強く燃え盛るもの、傷を負うほどの熱さで身も心も焦がすもの。危なくって仕方ないからこそ、度胸試しがしたくなる。触れては駄目だと悟るほどに、この手に捕えたくなってくる。嫌いだから、目を離せない。溶けあってひとつになってしまえば何も考えなくて済むけれど、その時には命までも代償に奪われるだろう。 悶々とする風情が妙な色気まで醸し出してるのを、密かに観察する。うん、相変わらず無駄なまでに外面はキレイな奴だ。事態の解決には何ら役に立たず、厄介ごとばかり引き寄せるんだから、ムダっていうより要らないかもね。ただ陳列してあるならうっとり見てられるが、口を開くと瞬時に幻滅するからな。 気配に聡いケダモノが、窺う俺に気付かぬはずはない。時折当然のように眼が合うが、奴はネレトーを振り回すでなく自ら視線を逸らしたりする――あのギギナが! 飢えを満たすのを諦めたのか、黙々とネレトーを磨き始めるが、珍しく身が入らぬ様子だ。 いつ限界を迎えるかわからないので、注意は怠らない。むざむざ遊ばれるつもりはない。 そのまま沈黙している内にも、どんどんと時間が過ぎていく。 いつの間にかこの繰り返しが日常になって来てはいないだろうか。いつからこんな莫迦な遊びを続けているんだったか。俺の優秀な頭脳が一連の事項を無駄な情報に分類している為、忘れてしまった。だって記憶する価値もない事柄だ。 昼も過ぎて小腹が空いて来たので、仕事は中断して席を立つ。 カタリと音をたてた瞬間、ギギナは雷に打たれたような顔で俺に視線を寄越した。あまりに激しい反応に内心驚いたが、至極なんでもない顔をして台所へ向かう。冷蔵庫の中味を確認しながら事務所の気配を確かめると、ギギナはそのまま屠竜刀の手入れに戻ったらしい。ふむ、まだ心に余裕があるってことか。よかったよかった。ご褒美と言ってはなんだが、材料もあるし奴の分も用意してやるか。この状況で俺だけ腹を満たすってのは、さすがに問題ある気がするしな。 いかに対等にあろうとしても、奴との技量の差は如何ともしがたい。なんというか肉弾戦は避けるに限る。まかり間違って殺し合いになったら簡単に負けるつもりは無いが、本気で殺しあうほどのネタではないなら、咒式の出番は無い。すると単純な腕力勝負になる訳で、つまり奴が本気でコトそこに至ると勝ち目が無い。限界を見誤っては危険を招く。 「ほらご飯だぞ〜」 にやにや笑いながら、テーブルの上に昼飯を用意してやったが、奴はちらり一瞥するとそっぽを向いた。失礼な奴め、他人の心尽くしをムダにする気か。 「腹が減ったって言うから、わざわざおまえの分まで作ってやったんだぞ」 「――そんなものは要らない」 「へええ。じゃあ、何が欲しいんだ?」 軽い調子で問いかければ、深い深い沈黙が返った。 ああまずい墓穴を掘った。直後に自覚して、舌打ちしたくなるのを我慢する。迂闊な行動は極力避けるべきなのに、余計な台詞を吐いてしまった。どうも奴が相手だと無駄なまでに潤滑油を差された口が滑ってならない。 瞳に危うい光を宿らせ、逡巡しているらしき男は。 言おうか言うまいか、迷うように口を開きかけてはまた閉じる。 決意を固めるように大きく息を吸い込むと、鋭い眼差しがこちらを睨みつけて。 「……………………貴様を喰わせろ」 「イヤだ」 思い切り、即答。 ついでにしっかりと距離を取る。 可哀想な男は、苦悩を具現した彫刻のような表情をしていた。 とはいっても拒絶を意外に思っているのではない。長らくの予想通りの展開に、それでも痛みを覚えている顔だ。 これだけ離れても、奴がその気になれば意味のない間合いだ。つまり無理を押し通す気は無いってこと。要するに俺の合意なくコトを進めるつもりが無い。ケダモノにあるまじき紳士的思考だ。素晴らしいぞギギナ。やれば出来るじゃないか……って。 よりにもよってギギナを可愛いなぁとかおりこうさんだなんて思う日が来ようとは。俺も相当ヤバい。こういうのを末期症状と呼ぶんじゃないだろうか。 理屈の通じない動物相手に、挑発し過ぎると危ないのはわかっている。 矛盾を含む好意的感情に気付いたのは同時期でも、こちらはまだ向き合う気にならない。 あいつが機を窺うのと同じくらい、俺も隙を見せぬよう注意しているのに――も、勘の鋭いケダモノは気が付いているだろうか。 気付いてはいても、その意味を図りかねてるってとこか。 本当に理解していたら、俺はその場でご馳走にされてるだろうから、な。 我慢比べに負けるつもりはない。 先に惚れた方が負けだってのは、古代からの鉄則だ。 大事なのは勝敗じゃないってわかってる。 それでもいつだって奴に敵わない俺としては、この勝負には負けられない。 |
《終》 |