美しく透き通る金色の水を、命の源だと賛美する者もいる。
しかしギギナにとっては、厄介な災いをもたらす忌まわしい毒と同じだ。
* * * * * *
酒場から回収してきた男は、今夜も腹立たしいほど無駄に色気を振りまいていた。
いつも青白い肌は薄紅色に染まり、皮肉な光を湛える瞳は潤んでいる。
斜に構える態度もなりを潜めており、蕩けた無防備な表情は酷く危うい。
ガユスが厄介なのは、その色気が母性本能をくすぐるだけでなく、サド心のある女に虐めたい気分を起こさせる点だ。それはしばしば妙な趣味のある男にも影響を及ぼす。ギギナが毎度の如く迎えに行ってやらなければ、とっくの昔に彼曰くの『清いカラダ』ではなくなっていただろう。
道端で彼を拾うまでナニも無かったと聞いて、悪運が強いなと告げたのは冗談ではない。相棒を激怒させた感想は、偽り無いギギナの本心だった。それも彼の怒りとは見当違いの、安堵したせいでうっかり漏れた素直な言葉だ。
己こそ『彼』の内側にハジメテ踏み込む者でありたいという願いが、うっかりと口をついて出ただけ。つまりはギギナ自身も、ガユスが振りまく厄介な毒に引っかかった訳だ。しかもそれなりに長い時間を傍で過ごしながら、扱いは他の有象無象と大して変わらぬという不甲斐なさ。ガユスには想像不能なほど鬱屈は溜まりまくっている。
そして今、ギギナがどれだけ長い間、じりじりしながら彼を眺めていたのか知らぬ男は、懲りずに醜態を晒しながら憤然とするギギナを挑発していた。
酒に浮かされた男は、自分を愛してくれる存在を求めてやまない。酔ったガユスは多情になる――というより、抱き合う相手に構わなくなるというのが正しい。ギギナが特別だから、触れるのを許すのではない。
「やりたいなら好きにしろよ」
「――その言葉、後悔するな。誘ったのは貴様の方だからな?」
くすくす笑いながら、触れ始めたギギナの手を受け入れる男は、完璧に酒に呑まれてしまっている。お陰でギギナも獲物にありつけた訳で、そこはしめたものだ。
酔っ払った飼育動物は、酒の勢いで意気投合した見知らぬ人間に平気でついて行きそうだ。行きずりの相手に簡単に素肌に触れさせる姿を思うと、想像だけでハラワタが煮えくり返ってくる。やはり今後も絶対に迎えは必要だ。その上、こんな美味しい事態に雪崩れ込めるとは幸運だった。
素肌をゆっくり辿ると、ハジメテだという言葉を疑いたくなるほど敏感に反応が返る。少し背中を撫でてやるだけで、気持ち良さそうに吐息が洩れた。
うっとりと蕩けた視線に見上げられ、あまりの可愛らしさに嗜虐心が煽られる。日頃の憎たらしさとは正反対の、無防備な表情の愛らしさといったら言葉で表せぬほど。惨めに泣き叫び哀願してくる顔も、考えただけでそそられる。
こんな風に酔っ払うなら、酒に溺れるのも悪くない。
* * * * * *
エリダナの夜は喧騒に満ちている。
それでもギギナには、もう目前の男の言葉しか届かない。
「ギギナ……もっと」
「この酔っぱらいめ、自分が何を言っているかわかっていないな?」
甘い声でなじりつつ、苦い笑みが浮かぶ。
いつも余計な苦しみばかり背負い込む男にとって、相棒との絆は唯一残されたもの。ギギナの自惚れではなく、決して失えぬものだろう。この臆病者にとって今宵の交情は、その関係を一変させる大事件のはずだ。正気に返った男は、この行為に何を思うだろうか。
ひょっとしたらガユスが、ギギナの望むのとは完璧に正反対の方向へ突っ走っていく可能性も高い。つまりはギギナの真意を正しく推察することなく自己完結して無意味なお遊びと片付けるか、無意識の領域で不要な記憶に分類して全て忘れ去ってしまうか。
「ちゃんとわかってるって。だから―――」
もっと俺に構え。
耳を疑う台詞を吐きながら、じれったそうに髪を引っ張られる。酷く無防備な表情に、不覚にも溜息が洩れた。
全くずるい男だ。誘惑されたとして思えぬが、多分本人にはその気が全くあるまい。
美酒がもたらした一瞬の交歓の全てを夢と片付けられぬように、首筋から胸元、四肢の隅々に至るまで、紅い花弁を次々と降らせていく。すると意地っ張りな相棒らしくもなく、甘えた声が部屋中に響き渡った。
普段は仕舞いこまれた人懐っこい仕草こそが、彼の素に近いのだろう。次第に朱に染まっていく姿を眺めながら目を眇める。情欲を宿しながらも、ギギナには未だ相手の嬌態を観察するだけの余裕があった。
「貴様、やはり酔っているな」
「……酔ってない」
ぐりぐりと頭をすりつけて来る男は、間違いなく酔っ払っている。
ガユスが素直に甘えるなどという珍事は、酒の力があってこそ。ギギナとしてはいつでも大歓迎だが、後になれば真っ青になることだろう。
たとえ今夜の記憶は一炊の夢の如く消え去るとしても、彼の中に一瞬でも甘い夢が満ちればいい。その残滓が、甘えたがりな相棒をじわじわと侵していくよう願う。そうしていずれ、そのぬくもりは真実であると、手離せぬものだと思ってくれればいいのに。
ギギナが欲しいと。
美しい銀の獣以外では、自分は満足できないのだと。
「な、ギギナ、はやく……」
「――わかったから、もう黙れ」
啄ばむようなくちづけを幾つも落とすと、くすぐったそうに笑いながらぎゅうっとしがみつかれる。そのまま伸び上がったガユスからもキスが返され、あまりの意外さに息を飲んだ。
擦り寄る男がそのまま咽喉にまで口元を寄せると、チクリと僅かな痛みが走る。何をされたのか理解して、ギギナは微笑みを浮かべる。
そこに出来たのは、赤色のしるし。ギギナが誰のものなのかを示す、ガユスからの執着の証だ。これまでどんな女にも許した覚えのない痕も、ガユスがほどこしたと思えば心地良かった。
この男に関わっていると、いつもギギナは調子が狂う。酔っ払ったガユスの嬌態を見ているだけで、たまらない酩酊感が味わえる。
それでも、ガユスに平常心を乱されるのは嫌ではない。
夜の間で金色の雨に溺れるイキモノに、ギギナの方が融かされてしまいそうだった。