そっと頬に手を添えて、くちづけようとして。
 むずがるように振り払われて、眉間の皺が深くなった。

2 万 回 の キ ス

 手を出してから約一年。
 いわゆる両想いになったのはついさっき。
 何も出来ず指をくわえて傍らを眺めていた時間も入れれば、数年越しにやっと手に入れた『恋人』を、ギギナは苛々と睨みつける。
 事務所奥の仮眠室、その寝台の上に向かい合って座るガユスは、素知らぬ顔でそっぽを向いたままだ。
 仮にも出来あがりたての恋人同士、もっともイチャイチャしているべき時期だというのに、漂う空気は甘さとは無縁だった。羞恥を隠すために怒りを装って抵抗する態度自体は、そそられて悪くないのだが、もう少し姿勢が軟化しても良いではないか。
 悪ふざけの振りで際どくじゃれつく度にあんまりに嫌がるので、時間をかけてじっくりと慣らすのはやめて、今までと同じく無理矢理押し倒してさっさと突っ込もうかと――少しだけ考える。
 いつまでも反抗を止めない相手に焦れてつい夢想したのであって、本気ではなかった。そんな抱き方では相手の身体どころか心までも傷つけるとわかりきっているから、脳裏を過ぎった妄想を実行するつもりはない。
 せっかく、ようやく。
 素直とか正直とかいった言葉と、恐ろしく縁遠い男に「好きだ」と言わせたのだ。
 大事にして甘やかして気持ちよくしてやりたい。散々に鳴かせてもやりたいが、苦痛に泣かせたいのではない。それもまた可愛いだろうと嗜虐心が疼きはするが、ギギナはガユスを即物的な欲望の捌け口にするつもりはない。
 しかし勘が良すぎる相棒は、視線の動きだけでこちらの思考に気付いたらしい。ギギナに欲情されていることさえ微塵も察していなかった頃からすれば、大した進歩である。
 怯えたように身を竦められて、いささか困惑する。基本的に苦しめたくはないから(いつも暴れられる所為で結果的に苦痛を与えているとしても)濡らしもせずに犯す気はなかった。実行自体は簡単に可能であっても、体格と体力の差を考えると結果は惨憺たる流血の大惨事となるに違いない。例えば思い余ったギギナが、始めてガユスに手を伸ばした晩のように。
 少し哀しくなったのは、そこまで信用されていないのかと思ったからだ。これまでの所業を思えば当然だけれど。
 少し嬉しくなったのは、そこまで信用されていないからこそ、彼が諦めたようにギギナを受け入れる意志を示したから。学習能力の高い彼は、たどり着く結果が同じなら、流されて慣らされた方が楽だと理解してしまったのだろう。
 微かな震えを隠すことも出来ず、それでも足掻くのは止めてじっとギギナの手を待つガユスは、可哀想に思える反面、実に魅力的な据え膳だった。
「――そう、おとなしくしていれば酷くしない」
「わかってるから……痛いのは、ごめんだからなっ!?」
 顔を赤く染め、泣きそうな顔をして。そんな顔で訴えられたら、かえって酷く扱ってしまいそうだ。
 圧し掛かり、服を剥ぎ取っていくと、気を逸らそうというのか他愛ないことを囀りだす。
「ギギナさあ……今日までに、何回俺に手を出したか覚えてるか?」
 この減らず口を止めてやりたいと考えることもしばしばだが、これでこそガユスだ。彼にそれなりの余裕がある証明を、すぐに止める必要はあるまい。じきに、鳴き叫び始めれば勝手に言葉は紡げなくなる。
「貴様は、そんなくだらないことばかり覚えているから軟弱だというのだ」
「……何がどういう風にくだらないんだよ」
「どうせ私が厭きた時にでも、何度目だったか告げるつもりで数えていたのだろう」
 愛の言葉を囁きつつこの程度の回数で飽きるとは、やっぱり嘘吐きだなとでも。言って、平気な顔で笑ってみせる予定だったのではないのか。
 囁かれた言葉と熱い吐息に身体を震わせた男は、図星だったのか僅かに渋面になる。
 嗚呼、やはり。ギギナが本当に本気なのだと、ずっと信じてはいなかったらしい。
「――ではガユス、私に何度逝かされたかは数えていたか?」
「な……っ」
「貴様に幾度、くちづけたかは?」
「……んなことまで数えてられるかっ!」
「ああそうだな……理性が飛んでしまっては、数える余裕もないだろうしな」
 最中の可愛らしいガユスを思い出して、ギギナはにやりと下品な笑みを浮かべてみせる。日頃はふてぶてしいガユスが、情事の絡むからかいにはすぐ頬を上気させるのが楽しくてたまらない。
「私はちゃんと覚えているぞ。私を咥えながら何度達したのか教えてやろうか?」
「――この変態っ! 悪趣味なのは家具蒐集だけにしとけっ!!」
「くちづけの回数も数えてある。もう二万回を越えたから、平均すると一日に五十度以上、くちづけたことになるな」
 服を剥げば隠しようもなく全身のいたるところに、ギギナのつけた刻印は刻まれている。
 ガユスを手に入れたという痕跡、ギギナの深い執着は、目に見える形として残されている。彼の身体にも、間違いなくその精神にも。
「この先も、ずっと忘れはしない……」
 組み敷いた肢体の耳元へと、甘い睦言を注ぎ込む。
 日毎に増えるその数が、好意を信じる根拠に繋がるというなら、迸る激情を抑えることなく想いを込めてくちづけよう。
 永遠に逃げられないと、思い知らせてやるために。







20000Hit御礼フリー小説……です。一応。
され竜を始めて約1年と1ヶ月。
20000÷(365+31)=50.5…
という計算が基にあるネタですが、ガユスが大変なだけかも……
予想を大きく上回るご来訪に感謝の一言です。

30000Hitまで配布中。
飾って下さる有り難い方募集中(笑)

ですが、こっそり暁さまへ捧げてみたり。