「――――これは何だ!?」
 叫びながら低脳ドラッケンの前に叩きつけたのは、請求書の山。
 かさの低い紙切れが山になるほどの厚み、その枚数を考えてみてくれ。それが仕事上で発生したアレコレだというなら、奴が勢い余って破壊した壁とか車とかその他の修理費用なんかならば、仕方ないと思い切ることも出来る。しかしこの全てはこいつの趣味の産物だ。事務所にはまったく関係ない請求書なのだ。宛名は何故か、事務所宛になっているが。
 まともな感性を持ったイキモノなら、真っ青になって震えるか、顔を真っ赤にして恥じるだろう。処理する側の俺自身も、いつか脳の血管がぶっちり切れる気がしてならない。そんな事態になって、もしうっかりと家具フェチ変態ドラッケンに保険金が降りたりしたら死んでも浮かばれないので、健康には気をつけよう。いやこいつを保険の受取人になんてした覚えは無いんだが。もしかすると馬鹿が刀持って踊ってるようなこの男は、保険金詐欺のために仮にも相棒である俺を脳卒中とかで殺す遠大な計画を遂行中なんだろうか……ギギナはそんな複雑な犯罪はしないな。保険が降りたら嬉々として家具でも買いに走るのは間違いないが、ヤりたくなったら単に本気で刀を抜くだけだ。
 なにしろ今でさえ、桁数を見間違えたかと何度も見直すような請求書を増殖させてるくらいだ。馬鹿は死ななきゃ治らないというが、むしろ俺の方こそ相棒抹殺計画を練るべきだろう。
 ただし腹の立つことに実行は難航しそうだ。正面突破は不可能、毒殺の類いも生体系には難しい。元から頑丈すぎて、周囲が食中毒で倒れても平気な顔してそうだし。今度寝込みでも襲ってみるか。
 俺の前で平然と娘を椅子にして腰掛ける――じゃない、椅子を娘だと確信して座っている可哀想な男は、予想通りに己が量産した紙切れに慄いたりはしなかった。ちらりと一瞬の半分より短く視線を流すと、あっさり興味を失って手元に目を向ける。
「おまえだって事務所にどれだけの収入があるかくらい計算できるだろう。明らかに入るよりも出る方が桁数多い買物をするとはどういう了見だ、五十字以内で十秒以内に述べろ、壱、弐、参……」
「黙れ、眼鏡の付属品ごときが雑音を発するな」
「おまえの存在自体が世界の雑音だ、不協和音なんだよ!!」
 怒りのあまり、俺の余りある語彙も詰まり気味だ。わなわなと震える俺の頭にふと浮かんだのは、明日の予定。いつも通りの副業、塾講師の職務だ。基本的に専門である化学系咒式を講義している俺だが、合間に他を補うこともある。たとえばギギナに叩き込むのに最適な学問を。
 そう、奴の髪くらいつるつる艶やかで切なくなる脳には、もうちょっと皺を刻んでやる必要がある。それが後衛として援護を担当する俺の使命というものだ。そう社会不適合者の相棒が生きていけるよう、常識のカケラくらいは注入洗脳してやらねばなるまい。
「……いいだろう、ギギナ。明日からお前も俺の授業に来い」
「何を馬鹿なことを。おまえはいつから師に教えられるほど強くなった」
 確かに。俺のムカつく履歴の中でもぶっちぎりに後悔筆頭なことに、ギギナが俺の戦闘技術の師匠なのは、夢でも幻覚でもラリってるのでもなく現実であり、この先に何が起ころうとも奴に対して、戦い方を教える日は永遠に来ないだろう。というよりたとえ土下座して頼まれたって教えたくも無いし、前衛で切った張ったの実行を愛好するギギナに、俺の高尚な戦術が理解できるとは思えない、が。
「間違えるなよ。俺がおまえに教えるのは、数学――もとい、算数だ」
 みっちりと、数の数え方から。
 足し算のやり方を、請求書の計算法を、この厚みの合計がどれくらいあるか教えてやろうじゃないか。
 膨大な桁数の計算が出来ないおまえでもわかるように、子供達と一緒に仕込んでやろう。
 なんならおまえの為に、じっくりと個人授業でも補習でもしてやるぞ?
「眼鏡の設置道具よ。おまえが計算好きなのを咎めはしないが、趣味は独りで楽しむがいい。私を巻き込むな」
「…………それはこっちの台詞だっっ!!」
 叫ぶ言葉は空しく事務所の壁に吸い込まれていく。
 呆れたように眼差しをひと投げしたギギナは、何事も無かったようにネレトーを磨き始めた。
 脳組織が退化した人間以前の生物とわかりあえる奇跡は、今日も起こらない。


《終》