暁にはまだ遠く

 今日も、何の変哲もない一日でしかなかった。
 幾らかの血を見た仕事は、いつも通りのくだらぬ事件に過ぎず、こちらは手傷を負わずに終えた分、上々の出来だ。
 遅くなったので二人で近くの隠れ家に転がり込み、埃っぽい二つの寝台にそれぞれが身を横たえたのは、真夜中を過ぎた頃だったろうか。


 夜明けにはまだ早い時刻。
 傍らで眠っていたガユスが、物凄い勢いで跳ね起きた。
 酷く焦燥した気配に覚醒して様子を窺うと、ぐっしょりと寝汗をかいており、顔色は暗闇の中でわかるほど蒼白だった。
 どうせ、悪い夢でも見たのだろう。
 何をしているのかと、問うべきか。
 しばし考えたものの気付かぬ素振りをすると決めて、伏したまま動かずにおく。わざわざ軟弱さを指摘することもあるまい。
 寝たふりを続けていると、ガユスはこちらが不安になるほど頼りなげな眼差しで、私の様子を窺ってきた。起きている、と感づかれてはいるだろう。眠りの浅い私でなくても目覚めるほど、ガユスの気配は乱れきっている。
 不介入の意志を察したのか、ガユスは私から視線を逸らすと大きく溜息を吐いた。妙に気になったので、薄目を開けて何をする気か確めておく。
 この男はときおり、嫌な意味で私の意表を突く。これ以上不安定になられては仕事にも支障が出る。その傾向は特に寝起きの際に酷く、つまり寝惚けているのかもしれないが、そんな一言では片付けられぬ行動に出て心胆を寒からしめる。
 思った通りというか、それ以上というべきか。不吉な予想に違わず、ガユスが緩慢な動作で手を伸ばしたのは寝台の横に立てかけてあった断罪者ヨルガだった。ただ寄る辺ない不安に、武器を引き寄せたのなら問題ない。しかし、ガユスは何故か鋭い刃を己自身の首筋へ向けて構えている。寝台の上で半身を起こして、頚動脈の位置を確認するかのように、僅かに刃の角度を微調整。その腕が勢いよく動こうとした瞬間よりほんの僅かだけ早く、起き上がった私の腕は断罪者ヨルガの刀身をつかんでいた。
「――何をしている」
「あ……ああ悪い。ぼんやりしてた」
「貴様はぼんやりしていると、こんな場所で自殺しようとするのか」
「悪かった。もう大丈夫だから」
 悪夢から覚めたかのように。私を見て眼をぱちぱちと瞬く。そしてガユスは微かに苦笑を浮かべて寝台から降り立つ。合わせて立ち上がりながら、もう『本当に』大丈夫なのかと疑いの眼差しで観察していた私は、しっかりと握られたままの断罪者ヨルガを見逃しはしなかった。
「……どうするつもりだ」
「わかってるって。ちょっとどうかしてたんだ……ちゃんと、お前の親類縁者が汚れない場所でやるから」
 穏やかに、優しげに、ガユスが微笑む。私の愛する子供達に血がかぶらない場所で逝くから何も心配しなくて良いのだと言い切る――何処が大丈夫だと?
 腕をぐいと捻り上げ、断罪者ヨルガを落とさせる。そのまま手の届かない場所まで蹴りつけると、ぼうっと行方を見守っていたガユスは、私を見て「何故」と尋ねてきた。
 何故断罪者ヨルガを手放させたのか、何故自分を止めるのか。何故、どうして――死なせてはくれないのか。
 ひたすら不思議そうに尋ねるガユスが、どうして私が止めないと思っているのかが、理解できない。何を言えばいいのか、どうすればガユスが『本当に』大丈夫になるのかわからず、そっと引き寄せて腕の中に囲い込む。かける言葉を思いつけぬまま、ひたすら強く抱きしめて。
 やがて私がどうあっても逃がすつもりが無いのだと理解したガユスは、恋に破れた乙女のように、切なげな吐息を零す。
 離せという訴えに応じてやると、ガユスはふらふらと寝台に戻って横になった。糸の切れた人形のようにぱたりと倒れこみ、直に静かな寝息を立て始める。
 ガユスが再び眠りについたと確信できるまで、私は息を潜めて気配を探り続けていた。ガユスが本当に諦めたのか確かめる為に――少なくとも、今だけでも。


 暁には未だ遠く、光は此処に届かない。
 やがて来る朝のまばゆさは、闇に染まる心の底までも侵してくれるだろうか。
 月よりも明るく、剣よりも強い力でなくては、彼を遠くから引き戻すには足りない。
 いっそこの手で殺してやれば、彼はこの上なく安らかな笑顔を浮かべるのかもしれなかった。


《終》










ガユスがどうして飛び起きちゃったのか、三択。
1. 今日の仕事で不本意な殺人を犯した。
2. 大事なひとに捨てられる夢を見た。
3. 高額請求書の支払日が明日であるのを思い出した。

……原稿中の私としては、3あたりを推奨します。