『おいしいおしょくじ』



 イキモノに必要とされる衣食住のうちで、即座に生死に関わるのは『食』だ。
 これが足りないと、本当に心がすさむ。なんだか生きてるのが哀しくなる。
 それは生きとし生けるモノが有する本能。食物の確保は、数多の懸案に勝る最優先事項である。


*      *      *


 コンビニの裏手には、お宝が埋まっている。
 銀次はこれ以上ないほど真剣な眼差しで、路地裏の廃棄物を見つめていた。
 食いつかんばかりの視線の先では、哀れにも時間切れのレッテルを貼られた、おいしい不要品が埋もれているはずだ。
 ごく幼い頃から、不衛生な環境でサバイバルに生きてきた銀次の胃腸は、非常に丈夫である。食べ物を捨てるなんて勿体無い、ゴミ漁りだって抵抗はない。でもどうせ食べるなら、おいしくて新鮮な食材が良い。賞味期限が切れてても死にはしないが、なるべく良い食品を手に入れたいのが人情というもの。
 根性というか気合というか、生存本能と食欲に根ざした何かでもって、銀次は目指すゴミを嗅ぎわける。こういうのは、蛮より断然銀次の方が得意だ。食べることへの熱意の差かもしれない。
 やがて目敏く発見したのは、少し離れて並んだゴミ袋の間、路上に転がっている無傷のコンビニ弁当だった。それもどうやら捨てたてらしい。
 大喜びで銀次はそちらに向かおうとした、が。
 見つめる先、路地奥の闇から白い影が現れる。
 ゴミ袋の間を縫うように、敏捷に動くモノ。それは、純白の毛並みも美しい一匹の猫だった。
「わあ〜……かわいいなあ〜」
 銀次は、かなりの動物好きである。
 優美なイキモノは、キレイという方が正しいかもしれない。小さいがしなやかな筋肉に覆われた身体からは、飼われて牙を抜かれた愛玩物の気配ではなく、野生の誇りを強く感じる。首輪はつけていたけれど、その気高さは失われてはいない。
 友人であり、部下でもあった男の『トモダチ』にも、よく触らせてもらった。少しだけ困った顔をしながら、彼は獰猛な猛獣とでも親しくなれると教えてくれた。
 そこで学んだのは、動物達はこちら側の感情に酷く敏感だということ。嫌悪も恐怖も、怯えさえも。逆に言えば、こちらに全く悪意が無ければ、警戒されても即座に攻撃まではされない。何か、決定的に擦れ違わない限りは。
 恐れ気も無く手を出したのは、子供が無邪気に野良猫を撫でてみたいと思うのと同じ。銀次に他の意図など、一片も無かった。
 しかし猫の眼は、ギラリと鋭い輝きを放つ。
「みぎゃっ!」
「え……うわっ」
 しゃっきーんと尖った爪が空を切る。
 差し出した掌を引っかかれそうになって、焦って銀次は腕を引っ込めた。
 薄暗い路地裏で、爛々と輝く獣の瞳は、怖れすら感じさせる。
「ネコちゃん……なんで〜?」
 何故にこれほど怒り出したのかはわからなかったが、獣に理屈を求めても仕方ない。
 フーッと毛を逆立てる猫に怯んだ銀次が、ぽんとタレて縮む。喧嘩をするつもりはなかった。
 おとなしく逃げを打った銀次は、さっさと退散すべく、それでも当初の目的は忘れず弁当に手を伸ばす。しかし問題はそこにこそあった。
「シャーッ!!」
「え、コレ!? コレがダメなのーっっ!!?」
 白猫がすかさず、弁当の上に仁王立ちとなった。
 プラスチックの蓋の上で威嚇し、身構える意図はさすがに明らかだ。
 どうやら人間様に食事を譲るつもりは、これっぽっちも無いらしい。
「あうう……でも、でもっ…………」
 ちょっと泣きそうな銀次の胃袋には、昨日の晩から水しか入っていない。もはやお腹が鳴る元気すら無い。快く弁当を猫に譲る余裕はなかった。
 猫は野生の本能を剥き出しにして、戦いをも辞さない構えだ。小動物に負けるつもりは無いが、真剣に食料を争うのも気が引ける。相手が人間ならばともかく、猫相手では銀次の電撃は単なる動物虐待だし。
 食べ物を分け合うのは、群れで生活する動物にとって基本的となる行動である。それは他者との共栄を図る行い。単独で行動する猫に、人間と仲良く餌を分け合うという考えがあるはずもない。理屈ではなく直感で、歩み寄りの余地がないと悟る。それでも力づくで強奪するのは忍びなく、引くに引けずに困惑しながら、おろおろウロウロしてしまう。
 続く膠着状態を断ち切ったのは、ふいに乱入してきた第三の存在だった。
「…………何をしているんですか」
 唐突に響いた声は、珍しくも呆れた気配を伴っていた。
 いつでもどんな時でも楽しげで、恐ろしいほどに朗らかで。それでいて皮肉に満ちた声音ばかり聞いている気がする。
 見慣れてしまった黒い影。白と黒と赤で創りあげられた、コワくてキレイなイキモノ。最強最悪の運び屋――ドクタージャッカル。
「あ……」
「おかしな場所でお会いすると思えば――まさか、食料を漁っておられるんですか?」
 彼を呆れさせ、わずかなりと驚かせる偉業を達成したかと思うと、恐怖と共に羞恥を覚える。
 だが、赤屍の言葉は、どこか優しい響きも宿っていた。 
 仕方ないとでも言ってくれそうな、物柔らかな口調。珍しいそれに驚いて、銀次はタレたままで小首を傾げた。彼のこんな穏やかな態度は、これまでの記憶になかった。
 薄暗い路地ですら、タレて小さくなった自分を発見する執着心はかなり怖い。けどこんな風に、慈愛に似た静けさを示されるのは初めてだ。
「困った方ですね。そんなことをするくらいなら、私といらっしゃい」
「ううう……」
 聴こえるのは甘い誘惑。優しいふりに騙されたら、朗らかにぱくりと食べられてしまうかもしれない。赤屍が怖い人間なのは、疑いようもない。ご馳走を食べるのは、果たしてどちらになるだろう。
 どうしようかと銀次がためらっている間に、猫が歩き出す。
 警戒心のカケラもない動きは、銀次の意表をついたもの。あれっと思う間に、たやすく横を通り過ぎて、黒衣の男へ近づいていく。
「あ、わ、あぶな……」
 赤屍が動物虐待をするとは思わないが、とっさに危険だと感じる。かように日頃の行いは大切だが……しかし。
 銀次の失礼な予想は、意外なまでに裏切られた。
 赤屍がわずかに屈みこみ、優雅に左手を差し伸べる。白い猫は堂々とした足取りで歩み寄り、さも当然といった様子でその手にすくいあげられた。
 胸元に収まり、くつろぎきった態度で、尻尾をパタンと揺らす。悠然として、傲慢にさえ見える姿。そこにはある種の信頼関係が存在している。人慣れぬ野良猫の態度では、絶対にない。
 そして赤屍の態度もまた、初対面の猫に対するものとは思えなかった。
「あ、あの……赤屍さん…………?」
 恐る恐る声をかけると、ゴロゴロのどを鳴らしてご機嫌な猫から視線を上げた赤屍が、少し目を見張った。ツクリモノのようにわざとらしい、けれど確かな驚きの表現。
「おや、銀次くんじゃありませんか。いつからいらっしゃったのです?」
「へ?」
 もしやとは思ったが、自分に気付いていなかったらしい。つまり、先程の誘いは自分ではなく、白猫へ向けたものだったのだ。恐ろしく鋭いようで、とんでもなく天然な赤屍ならではの反応。単に興味が無いモノは、眼中外なのかもしれないが。
 それにしても、あの赤屍が猫に話し掛け、どうやら餌付けまでしているなど。意外すぎて驚くというか怖いというか、なんだか微笑ましいというか。そして、自分は猫以下の扱いなのか思うとショックだったりして、銀次は激しく混乱した。
「そんなところで、何をしてるんですか?」
 心底不思議そうに、男が首を傾げる。
 その純粋に不思議がる様子に、どう返答すべきか困ってしまう。
 弁当を漁ってましたと正直に告白すべきなのだろうか。だけど、猫と争ってましたと申告するのは、少し恥ずかしい。というか、まさかと思うが、仲の良い猫をイジメたと怒ったりして。むしろイジメられていたのはこっちなのだが。
 言葉に詰まる銀次の耳に、フーッと獣の威嚇音が届いた。食料調達のアテが出来たとはいえ、白猫はまだ銀次を許してくれていないらしい。
「ああ……もしかして、喧嘩していたのですか?」
 黒衣の男は純白の猫を抱いて、艶然と微笑む。その姿はまるで絵の中の情景のように、浮世離れして現実とも思えず、つい見惚れてしまう。中身はともかく、見た目の良さは折り紙つきの人物だ。今日は裏の仕事の帰りではないのか、血の臭いもさせていないし。
 これまで赤屍に構って欲しいなどと、危険極まりない願いを抱いたことはない。願わなくても不本意にも、構われまくっている立場である。それなのに今日は、赤屍の関心が猫にばかり向かっているようで、ちょっとばかり淋しくなった銀次だった。
 だからなのかもしれない。
 独りで取り残される淋しさを知っている。再び繰り返されるのを怖れてもいる。
「あなたも一緒に来ますか?」
 その囁きがどれほどの危険を含んでいるか、察せられぬはずもないのに。
 差し出された手に、ふらふらと手を重ねてしまう。
「みゃっ」
「わかっていますよ。けど彼もお腹を空かせているようですしね」
 なだめるように、赤屍がよしよしと猫の背を撫でる。ゆったりとした愛撫に、心地良さげに目が細められて。うらやましくなる自分は、かなり駄目っぽい。
 伸びた腕に抵抗せずに、タレたままでおとなしく赤屍に抱えあげられる。猫とまるっきり同じ扱いなのは不本意だったが、この分だと、いきなり戦いなさいと言われることはなさそうだし。
 おとなしく、されるがままに運ばれる銀次に、赤屍がクスと笑った。それはやはり、いつもとは違った柔らかな微笑。その顔を見ることの出来なかった銀次は、その真意を測ることも出来なかった。
 ――無防備にもジャッカルの巣に連れ込まれた獲物が、その後どうなったかは……本人達しか知らない秘密である。


*      *      *


 本日いちばんおいしいご飯にありついたのは、誰だろう?


《終》




猫が好き……というのが隠しきれない話。
初めて書いたGBの同人誌と同じシリーズです。
この一連の『死神と猫』の話に共通するのは、猫が常に良い目を見ているという点でしょう……

そして完成した中では、銀ちゃん初書きだ。
主役なのになあ……

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後日談予想図?