やけに簡単に仕事が終わってしまったから、退屈していた。
 だから現れた人影へと、声をかけたのかもしれない。
 傷を負った青年が、それを如何にして受け止めたのかを知りたくて。


『今は遠く、彼方を想い』


 無限城のパトロールは、原則として数人単位で行われる。死と隣り合わせの襲撃が日常的に起こる場所で、出来得る限り危険を避けるためだ。一時期は慣例として、新四天王内でローテーションが組まれていた。しかし不動や鏡がいなかったりサボってたり、最近は十兵衛が俊樹と組んだりで、笑師は意外と単独の見回りも多い。
 ソレが怖いというほどか弱くもなし、ぶつぶつネタを考えながらそぞろ歩くのも嫌いではなかったから、文句もなかった。ここのところベルトラインの襲撃も少ないし、今はまだ少し辛いから丁度いい。他に独りきりになる機会は、あまりないから。
 さいごまで一緒にいたかった『彼』は、先にいってしまったから。
 いっそ、独りにしておいて欲しいとも思う。
 それでも、鬼ゴッコの後は随分と立ち直ったと思うのだ。直後は何もする気になれず、惰性のようにぐでぐで転がっているだけだったけど、少なくとも自発的に見回りに出ようと思う自分がいる。

 このとき笑師が居たのは、VOLTSの勢力範囲内でも外れではあった。周囲に気を配って歩く足が止まったのは、確かに『何か』を感じたからだ。
 鞭を手にしつつ、油断無く辺りを見回した青年は――現れた人物に目を留めて、ピキリと硬直した。
「――こんにちは」
「な……なんであんたが…………」
 階段をゆっくりと降りて来たのは、見覚えある黒い影。
 此処に居るはずがない――というよりも、居て欲しくない顔と真正面から見詰め合ってしまい、絶句する。
 なんでこんなもんが此処に。真っ白になりそうな思考を抱えながらも、身体は反射的に戦闘態勢に入る。敵わずともせめて一太刀てな心境ではあったが。
「この間は有耶無耶になってしまいましたし、今日こそは楽しませて頂けますかね」
「…………いやあ、ちょっと荷が重いんで遠慮するわ〜」
 にっこりと微笑みかけてきたのは、泣く子でも容赦なく殺しそうな男である。はっはっは、と笑って誤魔化す笑師だったが、ダラダラと冷や汗が流れていたのは一目瞭然の暗黙の秘密だ。
 これまでナニを切っていたのか、既に赤い液体が滴る剣を引っさげた男――ドクタージャッカル。
 先日の鬼ごっこでは、幸いにも彼の興味がいつの間にやら他所に移ったおかげで、その魔手から逃れることが出来た。正直言って、あの雷帝と互角以上にやりあう男と遊ぶような、自殺願望的趣味はない。ここで会ったが百年目、己が命運も尽きたかと思いつつ、それでもおとなしく死ぬつもりは無いからじりじりと後ろに下がる。三十六計なんとやらだ。
 優雅なまでに無駄のない動きで、彼がつと動き出す。
 この死神に後ろを見せるのを恥とは思わないが、とはいえ迂闊な逃走はかえって背中を切り裂かれて呆気なく終わりかねない。キリキリと胃が痛む気がするのは、あんまり気のせいでもないだろう。
 まさしく闇を具現したような、死を体現したような姿を見てつい――苦笑が浮かんだのは、ちょっと思考が現実逃避に走りかけたからだ。そう、同じく死神と呼ばれ、怖れられ、忌まれながらもまるで正反対な、永久欠番な自分の相棒を思い出してしまったから。
「――何を考えておいでです?」
「ああ、あいつのことを――…………って、いや何でも!」
 よりにもよって、赤屍の前で記憶の海に沈んでしまった迂闊さにはぞっとする。やはり相当に重傷ということか。
 即座に何でもないと否定するものの、男は何もかもを悟ったような顔で笑っていた。彼のようなイキモノに自分の苦悩がわかるのかと思う反面、彼でさえもわかる程なのかと己を省みてしまう。
 忘れないことと、引きずることとは違う。
 受け止めて進んでいかねば、彼に誇れる自分であらねばならない。
「しかしあなたと戦っても、あまり楽しくはないでしょうかねえ……?」
「おおそうやろっ。わいみたいな弱いのと戦っても楽しくないって!」
 難問に挑む哲学者のように、憂いを帯びた表情を向けられ。
 そんなに悩ましげに考える問題なんかいっと、内心でだけ突っ込みつつ、愛想を大安売りしてみせる。チャキリと剣を取り出しちゃったりしている男を見ると、すぐに相棒に再会出来そうかな〜と思ったりするが。なんてゆーか、如何に誇り高くあろうと、出来るコトと出来ないコトはあるのだ。
「――いえ、あなたも強いでしょう?」
 ゆっくりと歩み寄ってくる男は、言葉とは裏腹に警戒の気配は無い。笑師相手に、全力を出し切る必要など無いといわんばかりに。
 もしかして嫌味なんだろうかと。
 クスと笑う男を恐れ、笑師はじりじりと退き続けるが、赤屍は本気だった。


「――いっそ出会わなければ悲しみもなかったと、そうは思いませんか?」


 不意に真顔になった男が、言葉少なに問い掛ける。その意味は、明白で。
「……な〜にを阿保なことを」
 赤屍の言葉に一瞬沈黙した笑師は、思わずといったように笑みを洩らす。
 脳裏に浮かぶはたった数時間を共に過ごしただけの――それだけで鮮やかに己の内に沢山のものを残した青年。喜びも悲しみも、ひっくるめた多くを与えて去って逝ってしまった友。それは奇しくも眼前の男と同じ呼び名を持つ。
「――別れが悲しいのは、共に過ごした時間が楽しかったからや。誰にも会わんかったら、悲しいこともなんも無いやろうけど、そんな味気ない人生はごめんや」
 強がりなどではなく。
 本心から、そう思っている。
 別れの痛みは、永遠に残るだろう。それは、あの一瞬の邂逅も永遠に忘れないということ。この想いだけは、決して譲らない。誰に何を言われようとも。どれだけ苦しくても、無かった方がいいなんて、絶対に言わない。
「…………ほら。あなたは充分に強いようだ」
「は? そりゃど〜も……って、まさか――」
 一応は褒められたのだろうと、へらりと礼を言ったものの。
 まさか、やはり戦いたくなりました♪ などと言われまいかと、かなり腰が引ける。精神論はどうあれ、赤屍と戦うなんてまさに命の無駄遣いだ。残念ながら、目の前に立つ相手との差は感じずにはいられない。この前の『ごっこ遊び』は、所詮は彼にとっても遊びだったのだ。
 なお一層の警戒を露わにする笑師に向けて、赤屍はどこか不思議そうな――おかしなモノを観察するような眼差しを寄越していた。
 死に行く一族の女の想いを何一つ零すことなく受け継いで、その重荷に潰れることなく、背筋を伸ばして立つ男。死神と呼ばれた青年を受け入れ――その死をも受け入れて、何を恨むでなく生きている青年。
 友を大切に想っていたのは間違いないのに、奪われた運命を呪うでなく恨むでなく、絶望に押し潰されることもなく、彼は生きている。痛みに歪み狂うこともなく。風にたわんでも、折れることなくしなやかな枝のように。
 ――脳裏を過ぎるのは、幼い少年の笑顔だ。あまりにも早く去っしまった者達。永遠に失われ、決して取り戻せないもの。忘れようとしても消し去れない、塞がらぬ傷。同種の痛みを与えられた自分と比べ、何と異なる選択だろうか。
 彼の受けた痛みを知っている。
 耐えがたい傷を堪える苦しさも、すべてを。
 眼前の存在は戦う力で劣ろうとも、己よりも弱いとは言い切れない。きっと彼は無惨に切り裂かれようとも、最期まで背負ったモノを投げ捨てはしないだろう。誰かに責を押し付けて逃げ出すような、醜態はさらすまい。
 たとえ結末が見えていたとしても。無様な生き恥をよしとせず、誇りを忘れることなく。彼もまた、自分とは異なる種類のイキモノだ。
 この青年に友と呼ばれた『死神』は、さてどれほどの喜びをもって、彼に応えたいと望んだことか。彼から贈られた厚意に相応しく、彼が誇りに思える自分でありたいと、願いはしなかったか。
 共に在りたいと願うなら、他人の死に目を瞑るだけでよかった。ようやく得た友と生きていく未来を選ぶことも可能だったはずなのに、笑って消えていった『死神』は、とても満足そうだったという。
 等しく呼ばれながらも、あまりに違う結末だ。きっと自分は、そんな風には終われない。終わろうとも思わないが――ほんの少し、その称号に留意するくらいは構うまい。
「――では、またいずれ」
「へ……? あ、ああ。さいなら〜……」
 唐突に、楽しげな鬼気と剣が納められる。
 何が起こったのかといぶかしみながらも、いなくなってくれるなら拒む理由もない。
 ほっと気が抜けたような間抜けな顔で、ふらふらと手を振っている笑師に律儀に礼を返し、黒衣の死神は静かに身を翻した。


 ――自分と同じく死神と呼ばれた青年と、彼を受け入れた青年に敬意を払って。



《終》


このお話は、笑師を愛する友人へ。
……相変わらずアレな話ですが(汗)