『何事もない日』


 平穏な日々は退屈だ。
 けれど生きるというのは、そんな日常を守ることなのだ……きっと。


 その日の無限城は何事も無く、まずまずの平穏な日常が営まれているようにみえた、が。新生VOLTSの幹部が出入りする、マクベスの仕事部屋の隣では、朝から奇妙に張り詰めた空気が漂っていた。
 その原因は考えるまでもなく、集う三名の顔ぶれにある。
 内一名にして幹部随一の常識人を自称する笑師は、緊迫感あふれる室内を見回して、本日五十三回目の溜息を吐いた。
 少しでも間合いを取ろうというように、壁の端と端に寄りかかっている『二人』の間に、一触即発の空気が流れているのは、気のせいではあるまい。
 彼等は立派なVOLTSのメンバーであり、もし本人達に質問しても、自分はVOLTSの一員であると答えるはずだ……多分、おそらく。
 直角に隣りあう壁面に立つのが嫌なのか、そこに笑師を立たせ(別に強制されてないが、つい立ってしまった)そのせいで、却って相手が真正面になるという微妙な位置関係。いつもと同じ顔をしながら、はっきり感知できる瘴気を振り撒いている二人。
 新四天王の中で、問題ある側から数えた方が早い二名――不動と鏡である。
 この二人はお互い特別嫌いあってはいない(らしい)が、油断できない相手とは思っている(当然だ)らしく、マクベスの要請がある緊急事態以外では揃わない。まあ、そもそも不動はこのベース自体に滅多に現れないし(鏡はふらりとやって来たりする)気に食わない相手がいるから、集まらない訳でもないだろうが。
 新四天王と呼ばれる面子の三人までが(正しくはその内二名が?)揃うがために、普段は幹部以外もちょこちょこ顔を見せる部屋へ、今日ばかりは誰もやって来ない。組織として、こんなことで良いのか。この先の改善が全く見込めないあたり、本当にいいのか?
 自分もいっそ逃げてしまいたいが、そんな訳にもいかず。
 神経をすり減らしていた笑師が、ドアを叩く音に気付いたとき、天の助けとばかりに扉の向こうのまだ見ぬ参入者に頼ってしまったとしても――彼だけを責めることは出来まい。普段なら誰何もせず戸を開けることなど、絶対に無いのだが。
 凍る空気に耐え切れず扉を開いた笑師は、そこに立つモノを見て、今度こそ体の芯まで凍りつく。ああ、そういえば御丁寧にノックする奴なんて、この無限城には滅多といないのだ。
「――こんにちは」
「・・・・・・な、なんでアンタがここに!?」
 朗らかな声を聞いて即座に解凍されたのは、仮にも新四天王のひとりである責任感からだろうか。この部屋の奥にはマクベスがいる。自分達が何よりも護らねばならぬ存在がある。
 笑師はハッと我に返ると――勢いよく、扉を閉めた。
 その向こうに立つ、黒衣の死神の姿は見なかったことにして。


*     *     *     *     *


 トントントン、何の音?
 ……オバケの音〜。ぎゃーっ、逃げろーっっ。
 昔々、こーんな童歌で遊んだ記憶があるような。ノックの音を合図に、蜘蛛の子を散らすように逃げだせた、幼い頃が懐かしい。
 あの死神は貼り付いたようなアルカイック・スマイルで、如何なる障害も切り裂いて命を狩り集める。逃れるのは困難だ。再び繰り返されるノックさえ妙に優雅に響いているが、どんな魑魅魍魎より、実体のある黒衣の男の方が恐ろしい。
 背にした扉の向こう側から現れる、凄絶に麗しい影を幻視して、笑師は虚ろなホホエミを浮かべた。
「いかん、現実逃避してる場合やない…………」
 この部屋を通らねば、マクベスの元へはたどりつけない。十中八九、彼の目的は無限城の少年王に間違い有るまい。今回は何を狙っているのか。
 救いを求めて見渡した屋内には、当たり前だが人影がふたつ。
 さすがに不審そうに笑師の怪しい行動に注目している、その珍しい面々の存在に、喜ぶべきか嘆くべきかいささか悩む。
 よりにもよって、不動と鏡がいる時に――彼らしかいない時に現れるとは、何と間の悪い。双方とも実力からいえば、アレを迎え撃つにも充分だが、本心から味方として頼っていいのか正直疑問が残る。さすがにアレと一緒に襲い掛かっては来ないだろうし……敵前逃亡するとも思えないが。
「どうしたんだい、笑師」
「ド、ド、ドク・・・・・・」
「――・・・・・・毒?」
 貼りついた笑顔で首をかしげた観察者が、意味不明な言葉の真意をただす。
 笑師は大きく深呼吸をして、必死に動揺を静めた。
「ドクタージャッカルが、そこに…………」
 背後を指差す笑師の仕草に、二人は如実に反応を示した。この二人でも軽視できる相手ではないのだ――とはいっても。
「面白い奴が来たじゃねえか」
「この部屋にいる甲斐があったね・・・・・・マクベスに会いたいなら、この部屋を通ってもらわないと」
 泣きの入った笑師の訴えに二人が示した反応は、至極らしいものだった。
 頼まれてもないのに、わざわざ死神を楽しませてやろうと思うのが凄い。楽しそうな態度とやる気のある台詞を聞いて、頼もしく思うか恐ろしく思うべきなのか。とりあえずは、一応彼らをまとめているマクベスを尊敬する。かなり野放図な関係ではあったが、自分が仮には四天王であるという意識があるらしい。少年を守ろうという意志が。
(けど、ここに十兵衛はんか雨流はんがいてくれたらな〜)
 花月の頼みとかで、元風雅の三人が揃って出かけていったのは今朝早くのことだ。物騒で珍しい顔ぶれがそろった原因も、そこに帰結する。
 不在の間、マクベスの傍にいるのが笑師だけでは、何か起こっても対応できないかもしれない。そう懸念した彼等が(主に朔羅が)新生VOLTSの残りの四天王を引っ張ってきたのである。当のマクベスは平気そうだったのだが。
 彼ら二人がいるだけで、確かに圧力は恐ろしく増す。しかしそのプレッシャーは主に味方に向かっている気がしてならないし、敵がやって来た時に、これほど信用できない味方もまたとあるまい。いっそ敵ならシバくか逃げるかで終わりに出来るものを、仮にも味方なだけに始末に困る……
「――そこ危ないよ、笑師」
 苦悩する笑師へと、ちっとも危なくなさそうに、それでも一応は鏡が警告を発する。その忠告の意図を察する能力に恵まれていた青年は、慌てて扉から離れた。
 直後、鉄の扉が紙切れのようにさくさく切られて崩壊する。現れた男は予想通り銀色に光るモノを手にしていた。恐るべきメスさばきというか……いったい何で出来ているのだ、アレは。
「――これはこれは。皆さんおそろいで」
「君がこんなところまでくるとはね、ジャッカル」
「何の用だ、てめえ」
 ヤる気たっぷりの二人と共に、笑師も鞭を構える。ところが一番嬉々として応戦しそうな死神は、意外にも対話に入った。
「残念ですが、あなた方の相手はまたの機会に」
「おやおや、らしくないなあ」
「まさか、怖気ついたのか」
 挑発まがいの二人の感想に、黒衣の死神はにっこり笑って右手に下げていた荷物を掲げた。
「マクベスくんに伝えて下さい。ご依頼の品を持ってきたとね」
 示されたのは、幾つか重ねられた正方形の箱だった。
 派手派手しいパッケージは、妙に見覚えがある。
 怪訝に思ってよくよく見れば、ご丁寧にも、『一時間以内に届かなければ御代は頂きません』というスッテカーが貼ってあった。このフレーズも、非常に聞き覚えがある。
 デリバリーの定番文句。
 出前商品の、歌い文句。
 それはどうやら…………ピザの入った箱らしい。
「一時間以内に『運ぶ』よう頼まれていますので。そこをどいて頂けませんか……?」
 にっこりと凄みある微笑みが浮かべられて。
 さすがの鏡と不動さえ、硬直して動きを止める。
 吹き抜けた冷たい風と共に、ふわりと周囲に漂った食欲をそそる匂いに、笑師はちょっとビルの一室では見えない青空を見上げて泣きたくなった。


*     *     *     *     *


 幸せそうにピザの箱を受け取った少年を見て、死神は優しげに微笑んでいた。
 一見すると、幼い少年を見守る大人の男のようだが、この中味はアレである。油断は出来ない。何を考えてるやらわからない。
「アンタ、なんでこんならしくない品を……」
「依頼があれば、何でも『運び』ますよ。それに無限城での仕事は楽しいですし♪」
「楽しいってナニが………………」
 言葉が途切れた笑師の視線の先では、コートから赤い雫が滴っていた。何事も無かったように、赤屍はにこにこ笑っているが、新四天王と戦えなくても満足だと、笑顔に告げられた気がする。
 不幸にも通りすがってしまった新VOLTSのメンバーの末路を思い、一瞬にして血の気が引いた。
「マクベスはん〜っ! あんた何を考えてこんな恐ろしいコトを・・・・・・!!」
「だって、朔羅ってばジャンクフードは身体に悪いから食べるなっていうんだもん」
 大丈夫だよ、VOLTSのメンバーには手を出さない契約だから。
 けろんとした少年は、ドクター・ジャッカルをパシらせたことに何の罪悪感も恐怖も感じてはいないようだった。
 さすが悪魔の少年王と片付けてしまっていいものか。非常に悩む。
 しかし事実は事実として眼前にあり、笑師以外はすっかりこの状況を受け入れてしまっている。これもある意味で類友というのか、順応しまくった男達は、その類稀なる戦闘力を持って、食欲を満たすための諍いを繰り広げ始めていた。
「あーっっ、不動、取るなよっ!」
「こんだけあるんだから、ひとつくらい構わねえだろうが」
「だからって、一枚全部奪うことないんじゃないかな?」
「鏡クンも、そう言いながらちゃっかり半分持ってかないでよ!」
「このピザ、ちゃんと切れてないんだもの。仕方ないじゃないか」
 五枚もピザを運ばせた以上、マクベスも独りで食べるつもりではなかったのだろう。
 しかし箱ごと持って去ろうとしたらしい不動には、容赦なくマクベスの蹴りが入る。いったい何処まで食卓を囲むメンバーに数えていたのかは知らないが、命知らずな剛毅な話である。すわ下克上発生かと身構えた笑師の予想に反して、不動は一瞬瞳に殺気を迸らせたものの舌打ちだけでケリをつけた。
 果たして不動に喧嘩を売るのと、赤屍をパシリに使うのと、どっちが恐ろしいだろうと考え、結論が出る前に思考を放棄する。どんな答でも、寿命が確実に縮まるに決まっている。
 マクベス、恐るべし。さすが伊達に原爆を造った訳ではない。彼の神経は間違いなくワイヤーロープ並(鋼鉄製)に頑丈だ。
 しかし幾らVOLTSに属さぬ者への手出しを止める筋合いは無いとしても、(実力差を考えず向かって者の自業自得だし)この凶悪殺人鬼をお気楽にテリトリーに引き込んでいいものか。荒事はからっきしな割に、マクベスの豪胆さは笑師の理解を越えている。何とかと紙一重な天才の思考など、凡人にはわかるはずもないのか。
 無駄と思いつつも苦悩する笑師だったが、更にマクベスから追い討ちがかかる。
「赤屍、悪いけどこのピザ切ってくれないかなあ。ここピザカッターとか、無いんだよね」
「――仕方ありませんねえ」
 にこやかな表情を変えぬまま、赤屍の手にきらりと光る銀色のメス。それを見て笑師は声にならぬ悲鳴を上げる。恐怖のあまり、一気に総白髪になりそうだった。
 もはや、赤屍が怖いのか、赤屍にそんなことをさせるのが恐ろしいのか、彼の体内から出した(多分きっと血まみれになったことがあるはずの)メスでピザを切るのが嫌なのか、自分でも判断がつかなかい。
 彼の血と交じり合えば武器になるというなら、あのメスも赤屍の血管を泳いでた訳で。そんなもんで切ったピザを、マクベスはきっと自分にも分けてくれるだろう。ちゃんと自分に分けてくれるだろう……そのキモチはとっても嬉しいが、気持ちだけで充分だ。
「はい、笑師。駄目だよ、早い者勝ちなんだからぼーっとしてたら食いっぱぐれるよ」
「おおきに、マクベス……」
 飢えてるのか、単に面白がっているのか、部屋の中央では不動と鏡ばかりか赤屍まで一緒になって、ピザの争奪戦が繰り広げられている。果たして食いたいのか、戦いたいのか。
 ちゃっかりしっかり自分の分は確保した少年は、手を出さずに部屋の隅でひっそり小さくなっていた笑師へと紙皿を差し出してくれた。当然ながら、その上には各種のピザが乗っかっている。
 コレを食べたら、胃に穴が開いて死ぬんじゃないだろうか。毒じゃないけどストレスにやられそうだ、などと。震え慄く笑師は不幸にも、マクベスの瞳がキラーンと光ったのを見逃せなかった。彼は仮にも戦闘担当、周囲の挙動を注視する癖がついてしまっている。
(マクベスはん、ひょっとして確信犯でっか……って、何かしたんかわいは――っっ!?)
 内心で絶叫しつつも逆らう根性のない青年は、ただそっと天井を見上げて、風雅の面々を懐かしむばかりである。見上げてもひび割れたコンクリートが見えるだけなのが、哀しい。
 くっと涙をこらえると、覚悟を決めてピザを頬張る。幸いにも血の香りが混じっていたりはしなかった。こうなれば風雅の面々が帰って来るまで、VOLTSに平常が戻って来るまで、立派に耐えてみせようではないか。


 彼らが帰って来た後も、騒動は続くのだろうけれど。
 きっとこれこそが、平凡で平穏な日常なのだろうけど……


《終》



笑師ごめん……
どうして誰かに申し訳ない話になるんだろうか。
……それはギャグだからですね。(比較的)常識人がわりを喰うという典型、かもしれない。
というか、うちの話はそんなんばっかですな。
笑師は私が被害者にしやすいタイプだから……


ちなみに、元ネタの一部はRikoさんから頂きました。
いつもいつもありがとうございます♪