今や、携帯電話は立派な情報機器だ。
ひとむかし前は一抱えもあった機械は、電話機能がオマケに思えるほどに進化を続けている。
連絡手段として、記録媒体として。住所不定で零細営業を続ける奪還屋達にとっても、携帯は必須アイテムである。そして記録された顧客リストや着信履歴は、外部に洩れぬよう秘匿する必要のある資料だった。
どこかに携帯を落としたり、敗れて敵の手に渡る事態を考えれば、勝手に操作されないよう暗証番号でデータを保護するくらいの配慮は当然だと思う。自分がそんなヘマをするかとうそぶきつつも、メモリを弄っていた蛮はふと、スバルの助手席に座って大あくびしている相棒を見て考え込んだ。
失礼な心配だが、自分が適当に決めた意味のない番号を、相棒はずっと覚えていられるだろうか。IL奪還や女神の腕の結末を思うと、不安になるのは不可抗力だ。
基本的に携帯は蛮が持っている。しかし普段は使わない機械は、余計に操作方法を忘れるものだ。そして銀次が独りで携帯のメモリを漁る状態なんてのは、相当な緊急事態で自分は傍に居ない可能性が高い。というか、自分が携帯だけ銀次の手元に残すってのは、どんな事態やら。
備えあれば憂いなし。
先の見えない世界では、出来る限りの注意を払うことが生きる秘訣だろう。
「……銀次。なんか適当に覚えやすい番号ってあるか?」
尋ねられた少年は、へ? とばかりに首を傾げてみせる。
暗証番号登録画面を表示した携帯を、ぽむと投げ渡す。それを見た銀次は――まずは419でどうかと尋ねた。すなわち自分の誕生日を。
「……この馬鹿! なんつーかベタなコト答えてんじゃねえよ」
「ええっ、ダメなの!?」
「一番ヤバい番号だろうが。誕生日なんてのは最初に試されるネタだ。それと四桁以上の数字にしとけ」
一桁増えるとパスワードのバレる可能性はどれだけ下がるうんぬんと、確率計算について語り始めるが、十秒としない内に喋るのを止める。言葉の羅列をおとなしく聞いてはいるものの、相棒は全くわかっていない顔だ。
「じゃあ、蛮ちゃんの誕生日もだめ? 四桁だけど……」
「持ち主の誕生日が、駄目だっつってるんだよ」
「うう〜ん……」
Get Backersの連絡先である以上は、当然の言葉。
納得した銀次は、唸りながら次なる数字を考え始める。
自分の覚えやすい――縁のある数字でありながら、自分が使わなさそうな数字。
条件は、意外と厳しい。
「――どうせ誕生日にするなら、俺達以外の絶対に忘れない『誰か』にしとけ」
「あ、なるほど」
「恋人の誕生日なんてのも、多いらしいけどな」
銀次には無縁の話と思いながら、ふふんと蛮が笑う。
さて相棒が『誰』を選ぶのか――非常に興味があった。
やたらと多い銀次の信奉者達が、こぞって聞きたがるに違いない話だ。とはいえ仮にも暗証番号なのだから、使用した『誰か』は永遠に謎のまま――次から次へと湧いて出る、自分に批判的な連中の悶々とした姿が、今から目に浮かぶ。
「…………そうだ!」
しばし考え込んだ末に、ぱっと顔を明るくした銀次が、数字の入力を始める。
妥当なところで四天王のどいつか、もしくは数少ないガールフレンドの誰かだろうかと、蛮は興味津々で手元を覗き込んだ。
そこに打ち込まれていくのは――…………
「じゃあ、1123ならいいよね。コレなら絶対忘れないし!」
にっこり笑って画面を示した相棒と反比例して、蛮の顔色が露骨に悪くなる。ソレはなんというか、非常にイヤな数字ではなかったか?
「待った。その日付は確か――」
「うん。赤屍さんの誕生日だよ」
「………………なんでクソ屍の誕生日なんだよ!?」
思わず叫んだのは、当然だと思う。なんでよりによってアレなのか。
あんな男でさえ、銀次が優しい顔をするのは性分だと思っていた。けどそれだけじゃなく、特別な感情があるというのか。相棒とアレとの色恋沙汰なんてものが発覚したら、全力で邪魔してやると誓う。死神の誕生日を忘れないなんて、他にどんな理由がある。
蛮としては当然の突っ込みだったが……秘めた想像は、早とちりであったらしい。
相棒の言葉を聞いた銀次は、番号入力直後の笑顔と一転して暗く重く溜息をついた。その表情は、とうてい恋をする少年には見えない。
むしろ蛮が考えたのとはまっ逆さまな方向で、特別な誕生日なのだ。
「だって俺……あの人の誕生日が『勤労感謝の日』だと知った瞬間の衝撃は、一生忘れられないよ……………」
赤屍の誕生日を知ったとき、あまりの皮肉に顔が引きつった。
彼が仕事に熱心になるほど、世間様が震撼する事態はまたとないと思う。天は何を考えて、あの男をそんな記念日に送り出したのか。
今日くらいはのんびり骨休めしましょうと言いたいが、誕生日くらいは好きなだけ楽しませて下さいとか言われてしまったらどうしよう。ありえそうで怖い。戦って下さるのが最高の贈り物ですなどと微笑まれたら……祝う気持ちはあっても、サバかれるのは遠慮したい。
ちょっぴり震えだした銀次は、確かに『暗証番号』を忘れることはなさそうだ。
それでも脳内での意識的記憶消去を図らないのが、彼の彼たる由縁である。
「……まあ、いいけどな」
どこか遠くを見つめる銀次の眼差しは、悟りを開けず苦悩する聖職者のように切なげだった。
蛮もまた、深々と溜息を吐きながら暗証番号を了承する。確かに自分としても、その日付を忘れられそうにないが――
よりにもよってあの男の誕生日を、二人して永遠に覚えている図というのは。
何かが激しく間違っている気がしてならなかった。
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