『はじまり』


 とある村の外れ、から更に外れた荒れ地で、草むらにこそこそ隠れている人影があった。
 まるっきり不審者にしか見えないが、彼の頭を見た瞬間、誰もが目を見張って前言を撤回するだろう。
 どこか幼さの残る少年の、元気よく跳ねる短い髪――その色は、鮮やかな金色をしていた。言うまでも無く、この世界の住人なら誰もが知る貴色。世界に定数しか存在しない麒麟だけがまとう色だ。
 つまりこっそり地べたに這いずっている、見るからに人がよさそうで毛並みも良さそうな生き物は麒麟なのだ。確かに仁獣と呼ばれ、善意の化身の如く市井で崇められている神の獣に相応しいほど、騙されやすそうで頼りなさげである。
 麒麟とは、王を求めるイキモノだ。黄海の真ん中で王を待っているか、国を駆け巡って自ら王を捜すイキモノ。天意を本能として、己の主人を見出す存在である。 
 それがこんな場所で身を潜めている理由は――前述の麒麟基本行動から、逸脱してはいなかった。


 この国から王が失われて既に十数年。しかし官吏がよく国を守り、どうにかじりじりと踏み留まっている。それでも、だからこそ官民は王を待ち望んでいるというのに。唯一なる王を選ぶべき麒麟が、どうして辺境の地で身を潜めているのか。
「……うう、あんな怖い人に近寄りたくないよう」
「つーか、本当にアレなのか? あんな物騒なのが!?」
 思わず隠れた草葉の影で、足元の影から半身を浮かばせた青年とぼそぼそ呟きあう。
 彼等の視線の先には黒髪を風になびかせる長身の男が立っている。その口元には笑みが湛えられているが、足元に転がるのは無数の妖魔の死体だ。
 王不在の時勢にあっては妖魔の襲撃は珍しくなく、それを撃退する技能の主は讃えられるべきだが、どうしてか素直に感心できない。村人が恐れる妖魔を退治した相手を賞賛するどころか、非常に危険な存在と判断して逃げ出したくなる。
「いくら妖魔だろうと、イキモノ惨殺して笑ってるってのはどうよ?」
「ううう、それ以上言わないでよう」
「これが言わずにいられるか! ほんっとーにアレが『王』なのか!?」
「…………うわあああああ〜んっ」
 身も蓋も無い確認。
 つまりはそれだけ信じられぬ事態。
 病むほどに血を恐れ、死の汚れを忌むイキモノにとって不本意極まりなくとも、天意は絶対である。逆らえぬ本能が命じなければ、絶対にあんなひとに近寄ったりしないのだけど。
 今にも泣きじゃくりそうに瞳を潤ませながらも、麒麟はこっくりと頷く。
 話し相手にして最強の使令たる妖魔は、最後通牒を突き付けられた気がして溜息を吐いた。
「……ねえ蛮ちゃん」
「あ?」
「このまま帰っちゃダメかな?」
「――馬鹿言ってないで、さっさと誓約してこ〜いっ!」
 ごめんなさい、関わるのイヤです許して下さいと言いたげに。涙をためた瞳が上目遣いに、しもべに容赦を請うてくる。だが問題は、許すとか許さないとか妖魔が許可する以前に存在する。
 一瞬とはいえ頷きそうになった己を叱咤し。
 茂みから蹴り出すように主人を追い払った青年(の姿をした妖魔)は、おたおたしながらも気配に気付いて振り返った男に近付いていく少年(の姿をした麒麟)を見送りながら深々と嘆息した。

 この先、この麒麟と王がどれだけの時間を共に生きるのかはわからない。
 しかしいずれにせよ、退屈だけはしない蜜月の始まりとなりそうだった。


終?