『いなおるさかな』 |
おさかなは、あみのなか。 つりびとは、ほくそえむ。 けどたべられるのは、さてどっち? |
「銀次くん、私が好きだって言ってみてください」 能天気なまでに青く青く空が晴れ上がった日の昼下がり。 ホンキートンクに唐突に現れた男の言葉に、銀次が凍りつくより早く隣にいた相棒がコーヒーを噴き出した。 怖い。というか、寒い。 熱帯夜にする怪談より、素晴らしくステキな効果だ。 「私を好きだと言ってくださったら、このお菓子を差し上げますよ♪」 「あ、あう……そんな……」 クスクスと笑う死神は、どこまで本気なのだろうか。彼の真意は誰にも測りがたい。 左手には言葉通り、ケーキとおぼしき箱が下げられている。 餌で釣って遊んでいるようで、実は本気の好意だったりするのか。単に面白がっている、という路線も捨てがたいが、迂闊な返答は精神的にも物理的にも寿命を縮めそうである。 「駄目だ銀次、構うんじゃねえ。菓子よりも命の方が大事だろうが。死んだら何にも食えねえんだぞ!」 「酷いですねえ――銀次くん、あなたのためにわざわざ本日限定三十個のケーキを並んで買ってきたんです。今を逃したら二度と食べられませんよ?」 「食べて死ぬより、食べない方がマシだろうがっ!」 おろおろしている当事者・銀次をそっちのけで蛮が怒鳴るが、赤屍は某有名洋菓子屋の包みを揺らして誘惑する。彼がアレを並んで買ったという事実が既に、驚愕と恐怖の対象だ。彼と一緒に並ばされた人々に同情して余りある。今日も飢えている彼らにとっては、色々な意味で悪魔の誘惑だった。 「…………食べなくても、死ぬかもしれないけどな」 飢え死にするか、殺されるか。 ぼそりと突っ込んだ波児の言葉に、GBは揃ってびくんと背筋を伸ばす。全くもってその通り。断っても、いちゃもんをつけられる可能性は充分ある。眼をつけられた時点で既に、銀次に平穏は無い。どうせ不幸へまっしぐらなら、銀次が食べ物の誘いを断るハズがあろうか、いやない。 銀次が食べ物を拒むとき。それは非常事態の勃発だ。 対象を憎悪しているか、嫌悪しているか。いずれにせよ拒絶以外に選択の余地が無い時だけ。ただし少年がそこまで嫌がる相手なんてほぼ例がなく、色々と因縁を積み重ねながらも、死神は銀次にそこまで排除されてはいない。 少なくとも周りはそう見ていた――のだが。 「ええと赤屍さん。せっかくですがお菓子は遠慮致します」 だがしかし。何故か怯えるというより狼狽えていた銀次が、予想に反した台詞を吐いたので一斉に驚きの視線が向いた。 「どうしたんだ、銀次。まさか腹でも痛いのか?」 「前に何か貰った時に、毒でも入ってたのかよ」 「銀ちゃんが食べ物を断るなんて……そんっなに赤屍さんのコト嫌い〜?」 波児と蛮の言葉は恐怖を孕んでいる。彼らにぶんぶんと頭を振って否定を示した銀次を、夏実は最後に奈落へ叩き落とした。 全員、赤屍の申し出を受けるとオソロシイ結末が待つと考えつつも、銀次が食欲に克つとも思っていなかった。かなりヒドい話だが、日頃の行いは大切であるいう実例だ。そして死神の襲撃を予想し、ぎこちない動作で男の反応を確認する。 「――私の好意は、受けて頂けないんですか?」 「だって、言う通りにしたら、お菓子が目当てで好きだって言うみたいじゃないですか!」 そのとおりだろう、違うのか。皆の心を同じ内容がよぎる。 これまでも、いつだって食べ物に釣られてたじゃん。 数え切れぬほど散々死神におごってもらう少年の姿を見て来ただけに、全員の脳裏をそんな言葉が過ぎったりとか過ぎらなかったりとか。 沈黙しながら非道いことを思う面々の前で、銀次はきっと赤屍を見据えた。まるで、親の仇でも睨むような真剣な表情。 「――……俺、赤屍さんのことが好きなんです!」 少年がきっぱり力一杯叫ぶ。が、誰も意味を理解できず。 店内は、一瞬しーんと静まり返った。 「…………………………今、何て言った?」 「銀ちゃん、本気なの〜?」 騒然となる中、当の銀次は赤屍と、黙ったままで見詰め合っていた。挑むように目つき険しく死神を睨む銀次は、実は内心では卒倒しそうなほど緊張していたのだが、端から見れば無謀にも喧嘩を売ってるようにしか見えない。『愛の告白』というには、あまりに色気も情緒も何も無くって。それでも。 「俺、本気ですから! だから、お菓子は……欲しいけど要りません。それを食べたら赤屍さんは、俺がお菓子に釣られて告白したって思うでしょう?」 食欲に負けぬくらい、ケーキやご飯よりも死神が好きだ。 ちょっと比べるモノがどうかと思うが。銀次が食べ物を振り切って選ぶ相手というのは、凄く貴重なのかもしれない。自分が『彼』だったらいささか空しさも味わうだろうけど、それでも銀次なりに、嘘の吐けない彼だけに本当に本気で言っているのだ。赤屍のことが大好きだと。 総員が死神の反応を窺う中、男は微かに笑みを浮かべた。常と同じようでいて、どこかぎこちなくも見える笑顔。何を想うかわからぬ点では常と同種ともいえるそれ。 彼の告白は本望だったのか、彼の悪戯は失敗したのか。 「――やっぱりこれは貴方に差し上げます」 「え、でも!」 「私が持って帰っても、どうせ捨てるしかありませんから」 銀次に菓子を差し出して、男はそのままあっさり席を立つ。 やや足早に店を出て行く死神は予想外の銀次の反応に、らしくなく動揺しているのかもしれないが――撤退して体勢を立て直す機会を見逃しはしなかった。畳み掛けて攻略する機会を逃し、銀次は何も言えずに見送ってしまう。その手がしっかりと手渡されたケーキの箱を掴んでいたのは、いかにも彼らしいお約束だった。 |
つったさかなは、えさがいらない。 つられたさかなは、えさをたべない。 にげだしたのは、どっちだろうか? |
《終》 |