4.葬儀の社会的アプローチ・・・・セレモニーとしての透明化
日本に大陸から仏教が伝来した時既に、大陸の儒教思想を含んだものであり、それが日本仏教の出発点
となって仏教各宗派が栄え、今日に及んでいるが、日本仏教には、三大セレモニー(誕生・結婚・葬儀)
のうち葬儀を最重要視する考え方がその根底に存在する。
この三大セレモニーのうち誕生・結婚の儀式は、人間の生の部分(明るい部分)であり、お祝い事である
のに対して、葬儀は、人間の死の部分(暗い部分)で悲しみ事であるため、日常、できれば避けて通りた
い儀式であることが本質的な差である。
従って、日々は、死の事、葬儀に関する事は、できるだけ遠くに遠ざけておきたい事象として、積極的
関与を避けてきたため、葬儀の内容、形式、やり方等に深く関心を寄せることが少なく、その結果として、
かなり不透明な部分が残存していることは否めない。
即ち、葬儀業界は、閉ざされた閉鎖社会(習慣の継承のみで、新しい思考を試みない)であり、社会通念
としての商業意識では、約50年遅れた業界との指摘もある。
しかし、高齢者社会が進む今日に至って、暗い部分であった葬儀業界にも、明らかに社会の関心が集ま
り、葬儀そのものを根本的に考え直そうとの社会機運が高まってきたのは事実である。
即ち、葬儀業界は、もはや従来の葬儀社だけの独壇場ではなく、農協・生協・ホテル業界等異業種の参
入によるヒュ−ネラル・ビジネスとしての市場参入が、既に始まっている。
その背景には、今日の構造改革、経済再編成、再構築等めまぐるしく変動する経済社会のなかで、最も確
実な経済予測として、高齢化社会の進行と死亡者の増加予測が見透せることにある。
この異業種参入組は、葬儀をビジネスとして捕らえ、費用対効果を掘り下げて不透明部分を開示しようと
する動きであり、ホテル業界にあっては、葬儀そのものよりも葬儀後の「お別れ会」や「偲ぶ会」に力
を入れてPRしている。
その一方、死んでからではものを考えられない、生きているうちに考えて生前契約して、自分らしい死
を迎える準備をしておこうとする動き、生前葬、自分葬の動きも活発化してきている。
また、年間亡くなる死亡者の数は、毎年約3万人の割合で増え続けており、厚生省人口問題研究所の統
計では、1996年に93万6000人であった全国死亡者数は、1998年には95万人に達し、
2000年には100万人を突破して、ピーク時の2036年には、年間死亡者は176万人になるだ
ろうと予測されている。
この予測は、今日の予測不能の社会の中で、最も信頼性の高い予測データといえる。
これら葬儀に関する一般の関心の広がりをいち早くキャッチし、関西で初めて『お葬式フェア』(1997,
9/27〜9/28、マイドーム大阪、入場者数:2,030人)を、入場料無料で開いたのが、日本工業新聞社で
ある。‘「死」を考え、「生」を真剣に見つめよう’とのスローガンのもと、自分史の編纂を呼びかけ
た当時の大阪支社長 立山 篤氏の新聞人としての先見の明と、関心予測に対する感受性の高さに敬服
するところである。
続いて翌年、大阪国際見本市:インテックス大阪で、『やすらぎのセレモニー展』として第1回葬儀展
示会が開催された(1998,4/24〜4/29,入場者数377,725人)。この開催は他のイベントと併設して行な
われたもので入場者全員が葬儀展示会に参加したものではない。
この時、作家藤本義一氏は「新しい旅立ち」と題する基調講演のなかで、「世の中に‘人生相談’はあ
るが、‘人死相談’がない」ことを訴え、人死相談機関の必要性をアピールしている。
また氏は、実際に自分の身内の葬儀の例をとりあげ、費用第一主義の葬儀社の姿勢に対して批判すると
ともに、喪主の立場に立った接客誠意と、プラスチック類の葬儀用具の使用お断り等いくつかの注文を
つけた事を表明している。
これはほんの一例としても、いかに葬儀社が、社会常識から取り残された閉鎖社会の運営であるかを示
すものであろう。
なお、大阪国際見本市は2年に1回の周期で行なわれ、今年は第2回目『セレモニー展』として、インテックス大阪で、2000年4/29〜5/4日の6日間開催された。
ここで特筆すべきは、2回目の展示会『セレモニー展』は、誕生・結婚・葬儀の三大セレモニーが同一
フロアーで開催されること、しかも葬儀フロア−が最も広いことにある。
この解釈として、もはや葬儀は一つのセレモニーとして、誕生・結婚と同様、表面的に顕在化されたこ
とを意味する。
その背景には、明治時代の「家」意識の崩壊と同時に、先祖崇拝意識も希薄となって、先祖と言ってもせ
いぜい祖父母の代を実感する人が、大多数を占める状況となり、また死に対しても、従来の畏怖される
存在から、必然的生命の終焉との認識が浸透した結果、むしろ割り切って死と対峙する通念が芽ばえた
末である。
その結果、誕生・結婚のような楽しい儀式ではない葬式にも、落ち込んでも遠ざけても仕方ないという
割り切りから、隔離せずに一つのセレモニーとして、同一のフロア−に位置付けされ、セレモニーとし
て透明化された。またこのことは、葬儀の閉鎖性を崩したことも同時に意味するものである。
葬儀の本質は、如何に喪主・御親戚に安らぎと信頼感を持って儀式を執り行うかにある。
葬儀屋の一方的な式運営はもってのほかで、十分な喪主・御親戚との事前打ち合わせ及び、喪主に選択
の自由を与えることが大切である。
例えば、骨壷にしても、「費用内でサービス」と表現して(タダであるはずがないのに)、白い素焼き
の安物陶器品を箱だけ豪華に見せ、風呂敷に包んで終わりにするのではなく、喪主に何種類か提示して
各々の説明と価格表示の上、選択頂くこと(それには葬儀社ももっと勉強する必要がある)、これ
が開かれたビジネスというものであろう。
死者は生前、どんな家に住んで部屋をどう飾ろうかと一生懸命生きてきたのに、死んで自分が入る“最
後のお部屋”としての骨壷を、葬儀社の無頓着な選択で一方的に決められたのでは、死者も浮かばれな
いというものであろう。
ある陶芸作家は、生前に自分の入る骨壷を自作することを提唱して、自作の骨壷陶芸教室を開いている。
また、自分の好みの死装束を生前に用意する(女性に多い)人に対して、専門のデザイナーもいるくら
いである。
事前に、自分の骨壷を用意しておく人は別として、骨壷の用意は事前に用意しなくても済むようにして
いる好例が、神戸市立ヒヨドリ越え斎場である。
ここは、火葬炉30機、月500体を火葬する公営の大斎場であるが、実際の死体の火葬には800〜
1000℃で1〜2時間必要なのであり、その間、喪主・御親戚は斎場の待合室で待つことになる。こ
の待ち時間の間に、充分に骨壷を選択する時間があるのである。
喪主は、展示されている各種の骨壷の中から自分の好みのものを選択する自由があり、さすが神戸と思
わせる開かれた斎場ある。
ここでは、単に骨壷を販売するのみならず、喪主のお墓の納骨室(カロートという)の大きさに合った
骨壷の相談にも応じている。
ちなみに骨壷の大きさは、通称、関東7〜8寸、関西4〜5寸といわれている。関東の方が一回り大き
い。これは、関西と違って、関東の斎場(火葬場)は民営のところが大部分で、火葬時のお骨は全て持
ち帰らないと、民営では産廃処理が大変なため、全て持ち帰らせるため骨壷が必然的に大きくなる。
骨壷の大きさの問題は、行政の問題、公営、民営の違いに起因する問題であり、そのままお墓の大きさ、
墓地の広さにも関連する問題でもある。