2.お墓と仏壇・・・・核家族化の進行と家制度の崩壊

有名な物理学者で東大教授でもあった寺田寅彦が、科学者の目から見た“自然と人生”について、吉村 冬彦のペンネ−ムで数々の随筆を残しているが、その中にも、仏教伝来以前の日本古来には、全国各地 に八百万(やおよろず)の神々がいたと記されている。
山には山の神が、海には海の神がいて、これらの神々の祟り(たたり)に触れないよう、地鎮祭や慰霊 祭が営まれていたとある。(今も由緒ある神社ではその風習が残っている)。
即ち、日本人の宗教心の基調は、神々の祟りを恐れる心、怨霊(おんりょう)を鎮める気持ちを起点と しており、仏教伝来以前の日本では、祟り鎮めの日本古来の神道が活躍していたようである。

その後、大陸から仏教が伝来し、日本仏教として開花していくわけであるが、仏教が鎮魂の業務をう まく取り入れるようになって、宗教の正座は神道から仏教に移って行った。
その当時の日本の村落には、今日言う「家制度」は無く、個人の人格や私権を尊重した葬儀が、土葬を 主体に行われ、墓碑もあくまで個人を慰霊するものであった。
祖先崇拝は、幕藩体制のもと寺社統制がなされて以降、「家制度」あるいは「親族制度」として、社会 に密接に結びついて広がった。更に明治維新以降、国家神道の確立とともに、祖先崇拝が国民の義務と して位置づけられ、イデオロギーとして、祖先崇拝が国家にまで拡張されるに至った。

従って、「家制度」はそんなに古いものではなく、一般庶民にまで浸透したのは明治以降で、明治期に 制定された旧民法のいわゆる家父長制の家意識強化により、わが国の近代化が急速に進むなか、滅私奉 公精神が次第に一般家庭に入り込み、“私”よりも“公”を尊重する「家意識」が生まれた。 墓碑にも〇〇家の墓、〇〇家先祖代々の墓とか家単位の石碑が現われ、その数が増したのは明治も後半、 日露戦争の頃からだと言われている。

一方、各地で行われていた土葬形式の葬儀は、昭和23年『墓埋法』が施行されるようになり、“埋葬 (土中に葬ること)または埋蔵(焼骨を埋めること)は墓地以外では行ってはいけない”ことに規制 され、火葬による葬儀が主流となり、お寺の境内墓地のみならず公営墓地が出現してきたのもこの頃 である。

しかし、この「家制度」に立脚した家単位のお墓も、核家族化が進み家意識の薄らいだ今日、由緒ある 先祖代々の墓も継承者が途絶えたり、参拝者も無く、公営墓地の管理に苦慮する状況にまで追い込まれ ている。
こういった背景もあり、1999年末、51年振りに『墓埋法』の一部が改正(無縁墓地改装)されたが、こ れは「家制度」崩壊により今までのお墓の意味と重要性が確実に薄れてきたことを物語るものである。 今では、旧来の「家」の束縛から開放されたい願望が強く、あんな亭主の「家」の墓には入りたくない という女性も少なくはない。このことは、これからのお墓が、家墓から個人墓・夫婦墓・共同墓へと移 行して行くことを意味するものであろう。

また、核家族化の進行と家意識の薄らぎは同時に、「家制度」と共に進展してきた仏壇文化の発達にも ストップをかけた。
「家制度」のもとでは、家人は薄暗い日の当たらない部屋を居間としてでも、仏壇と床の間は、家の内 最良の位置に備えられたが、今日の狭い間取りの新築の家では、仏壇を配する家も少なく、引越しの際、 仏壇を不要なものとして処分する人も出る始末である。仏壇も今後、確実に衰退の一途を辿るものと思 われる。

さらに、昭和50年代から建設された民営霊園墓地は、都市郊外からますます遠距離化しているため、 墓参が遠く不便になっており、これからは寺院住職が直接管理できる墓地や共同墓が人気を得るだろう。
ただし、納骨堂方式の屋内墓所は、お骨を骨壷のままお寺の納骨堂に預け、永代供養を約束してもらう ものであるが、日本人心情の“お骨を土に還したい”と言う根底願望を満足させるものではなく、適切 な墓地が手に入らないから、または、手に入っても墓参に遠いからとの理由で、一時的に預けて当面を 処理しようとするもので、永代供養と言ってもその供養は慰霊祭という祀りであり、真実永遠の供養で はない。

事実、大阪府堺市が、墓地不足解消にと、関西で初めて公営のロッカー式地上3階地下3階の納骨堂を 作ったが、予想外の不人気で入居者が集まらず、堺市在住の作家・難波利三さんのコメントとして、 “墓はやっぱり土の上にないと、生前も狭い家に住んで、死んでまでもロッカー納骨堂に閉じ込められ てはかなわんでしょう”という記事が報じられている(朝日新聞・平成8年6月12日)。

今まで、寺院は、葬儀社や霊園墓地業者に墓について口出しする機会を奪われていた傾向が強いが、暫 定的に屋内納骨堂を作って仮の供養をするのではなく、お骨を“土に還す”真実供養としての墓の在り 方を真剣に求道して、寺院の復権を計ることが期待されている。

更に先端的意見として、松島如戒氏(東京・すがも平和霊園主、高野山真言宗功徳院・東京別院代表) は、従来の寺と墓は将来消える運命にあると予言している。また、これからの墓は、無縁になりそうな 墓地使用者にも対応した永代合祀墓が主流となる。寺も、摂氏1000度前後で焼却される人の骨には 固体識別要素=DNA が残っておらず、そのような遺骨を後生大事に納骨しておく意味はない、と結論 付けている。

なお圧倒的少数ではあるが、ここで、日本古来の神道の葬礼に関する考え方にも触れておく。 神道でも、遺体は“火葬を以って最善と為し、遺骨は土に還し奉るを以って最良と為す”。草も木も土 の中から芽を出し、花を咲かせ、種子を残して再び、土に還る。更に“海ですら、その底は大地である” と断じています。(神道 日垣の庭 宮主著「生と死の書」より)。

また、キリスト教に於いても、「生と死」に関して、洋の東西を問わず真剣に論議され、数々の論文が 公表されていることは周知の通りであるが、聖書の中にも、人間も自然界の生物として地球環境に同化して「土に還る」ことの意義を説いている。特に「生」の終焉としての「死」に対しては、仏教よりも真摯に捕らえていると言える。(富坂キリスト教センター編「エコロジーとキリスト教」参照)。

このように、仏教でも、神道でも、キリスト教でも、人は遺骨を「土に還す」ことがいかに大事であり、安らぎを覚え、真の供養になるかが、日本人の心情として理解できる。

【その見地から、筆者らは、お骨を骨壷のまま「土に還すバイオ骨壷」を製作している。限られた寺院 の墓地を有効利用できる上、お骨を“土に還して”植樹することにより、森林緑化も計れる新しい墓地形態を提案している。】


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