1.日本人の宗教観・・・・魂魄(こんぱく)思想
現在日本の葬儀の96.8%は仏式で行われている。
これは、宗派はともあれ、日本人の意識構造の中に、何らかの形で仏教が潜在的に浸透していることを
意味する。それでは、現在の日本にどのようにして仏教観が浸透し、今日の日本人の宗教観を形成する
に至ったのであろうか?
仏教の起源はお釈迦様の誕生に始まり、それがインド仏教の発祥となる。インド仏教の原点は、魂(=
精神)と魄(=肉体)を切り離したものであり、死後、肉体(=魄)は死滅と同時にこの世から消滅
するものであるが、精神(=魂)は死後もあの世で生き続けるものとされている。
インドでは古来から、死体は火葬し、骨灰は聖なる川ガンジスに流して、お墓は作らない。
これは、インドが赤道直下の暑い国であり、気候的暑さで死体がすぐ腐乱するため、すぐ火葬にする必
要があり、肉体との惜別の情を育む余裕を持ちえず、葬儀文化が成熟し得なかった。
今日のインドでは、この風習は受け継がれているものの、古来のインド仏教=原始仏教の崇拝者は、ご
く一部で、ほとんどはヒンズー教が主流となっている。
一方、インドより北に位置する東北アジア(黄河流域)では、インドほど気候的暑さが厳しくないため
遺体をすぐに火葬する必要が無く、徐々に死人と惜別する余裕があり、遺体を下記のように時間をかけ
て土葬する習慣が根付いた。
1日目:顔を出したまま遺体を安置する
2日目:顔を白い布で覆い顔を隠す
3日目:遺体を柩に入れて安置する
4日目:柩を土に埋葬(土葬)する
これは、インドには無い葬儀文化であり、その根底には儒教思想が在り、儒教では冠婚葬祭のうち、
葬儀に最も重きを置く。
東北アジアの儒教国では、精神(=魂)と肉体(=魄)を切り離さず一体と考える魂魄思想が源流と
なっている。この点インド仏教やキリスト教と大きく死生観が異なる。
(キリスト教には魂魄思想が無く、教会の地下室はお骨で一杯になっているが、人々は平気でその上を
歩き回っている)。
魂魄思想では、魂(=精神)は天へ、魄(=肉体)は地へ召されるとの考えに立っており、仏壇に焼香
することにより天に召された魂を招魂し、お墓に焼香することにより地に眠る魄を招魂して、魂魄一致
させ、再生した死者と再会できるという思想に立つ。焼香はこの世に霊を呼び寄せる行為である。
一方、日本に仏教が伝来した歴史的経緯を辿ると、お釈迦様誕生と同時に生まれたインド仏教が、直接
日本に入ってきたのではなく、まず中国に伝来し、中国の儒教思想とミックスされ、それが当時の遣唐
使や遣隋使等の文化使節を通じて日本に伝来されたものである。
即ち、日本に仏教文化が移入された段階で既に、儒教思想の入った仏教であり、これが日本仏教の原点
である。従って、日本仏教はインド仏教とは異なるものであり、仏教伝来以降、日本に仏教各宗派が生
まれ経典が誕生しているが、これらは全て日本独自の仏教である。
親鸞上人が「お上人の亡くなったあとの遺体の処理について」の弟子の質問に、“お墓は作らないで
遺骨を鴨川にでも流してくれ”と答えた有名な話が残っているが、その解釈として、当時、日本仏教の
原点を模索し続けていた親鸞上人が、その原点をインド仏教に見出さんとしてインド風習に習って答え
たものであるが、その後弟子たちは、儒教思想の入った日本仏教では「川に捨てる」ことは日本的では
ないとして、今日のお墓形態を築いてきたものである。(お墓と仏壇については次項で述べる)
その根底には、精神と肉体は切り離せない共存するものとの考え(魂魄思想)が日本人には脈々と流れ
ていることを忘れてはなるまい。
(最近の臓器移植問題についても、欧米では肉体を精神と切り離して考えることに平気だから、頻繁に
臓器移植も行われているが、日本ではそれほど臓器移植が普及しないのは、死生観の違いによるところ
が大きい。世界の臓器移植法会議で最後まで反対したのは、日本・韓国・中国等の儒教思想国である)
日本独自の仏教はまた、日本独自の葬儀文化を築き上げた。それが『遺骨式土葬』である。
『遺骨式土葬』とは、遺体は火葬で焼くが、遺骨は土葬するという土葬基本の葬儀形態である。
(火葬はあくまで遺体を焼く処理であって、焼きっぱなしではない。遺骨を持ち帰り丁寧に土に埋葬す
るのである)。即ち、遺骨を土に還してあげるという思想が根底にある。
これは、日本仏教が伝来当初から、儒教思想を含んだものであり、インドのように火葬を以って葬儀と
なすのではなく、また東北アジアのように数日間かけて土葬を行うものでもなく、その両方を兼ね備え
た葬儀形態である。この『遺骨式土葬』形態が、日本の寺院・お墓・仏壇等の仏教文化を構築して、
日本人の宗教観となって今日に至っている。
【加治伸行 大阪大学名誉教授 講演「葬儀の本質とその意義」より】