紫電改の部屋
 これは四国の南レク(正式名称は忘れました)山頂公園にある紫電改記念館で撮影したものです。第二次世界大戦の末期に海に沈んだものが海底で見つかり、修復したものだそうです。現在、紫電改はアメリカに一機とこの機体のみしか存在せず、非常に貴重な歴史的資料といえます。

真面目な愚痴
 日本では太平洋戦争はタブーらしく、何か口にすると「軍事オタク」だの「好戦的な野蛮人」だのと言われて、冷ややかな目で見られますが、どんなことからでも興味を持って正しく知るということは(特に第二次世界大戦のことでは)必要だと思います。実際、私も最初は飛行機(特に戦闘機)好きから入りましたが、興味を持って物事を調べていくうちに戦争の悲惨さや暗黒面を前よりはるかに強く感じるようになりました。物事にフタをして見ない、聞かないという態度をとっている人たちよりは絶対に戦争を憎んでいると、自信を持って言えます。
 誤解のないように言っておきますが、私が調べたことは主に航空機などの事で、戦争の悲惨さを書き綴った本などではありません。そういう物を読むことも無論必要ではありますが(私も読んだし)、真面目に調べれば戦争の悲惨さなんて何を見てても出てきます(同時に平和の喜ばしさもね)。まずは何からでも知ることです。第二次世界大戦については教科書の知識では知ったことにはなりません(内容もつまんないし)。普通に知れば、ごく自然に戦争が嫌いになりますし、平和が好きになりますよ。政治にだって無関心ではいられないし。
 第二次世界大戦で亡くなった多くの人たちの屍の上に、今の平和があることを実感します。平和は無料じゃないんだ。

紫電改とは
 太平洋戦争の終戦間際に開発された局地戦闘機です。「誉」空冷二千馬力エンジンを搭載し、自動空戦フラップを装備、20mm機銃4門の強力な武装で活躍が期待されました。性能的には、零戦(一般的にはゼロ戦の方が分かりやすいかな)を完全に圧倒していた米軍のF6Fヘルキャットと比較しても、速度はほぼ互角、旋回性能では圧倒的に上(自動空戦フラップの効果)と素晴らしいものでした。日本軍機としては珍しく被弾対策もしっかりしており(なんと自動消火装置がついてる)、量産しやすいよう生産工程が減らされるなど技術的にも零戦から格段の進歩が見られます。
 また、海軍の腕利きパイロットを集めた最強部隊「三四三航空隊」に前身となった紫電とともに優先配備され、海軍所属の戦闘機として最後の活躍を納めました。しかし、華々しい活躍の裏では「誉」エンジンの不調などにより稼働率が悪く、なかなか飛べない機体でもあったようです。
 大戦初期に活躍した海軍の戦闘機「零式艦上戦闘機」俗に言う「零戦」が、戦局の悪化と米軍機の高性能化についてゆけなくなり、それに代わる新鋭機と期待されたのですが、時既に遅く戦局を左右するには至りませんでした。

この時の旅行
 数年前、これを見るためだけに四国へ旅行に行ったのですが、間抜けなことに日程とルートを見誤ってとんでもない強行軍になってしまいました。このころはまだバイクに乗っていなかったので車で四国の左半分をぐるっと移動し、大方2日かけてようやく到着。そのまま高知で、はま先生のお宅に少し寄せてもらって(本当はもっと長くいるつもりでしたが、日程が押していたので1〜2時間だけ…)後は高速道路で急いで帰りました。今考えるとはっきり言ってアホ丸出しです(笑)。
 そういえば、紫電改記念館までは普通ロープウェイで行くのですが、この日に限って強風のため運行中止、しょうがないので大回りして車で行ったりもしました。で、これまた記念館が有料道路の中にあるのを知らず、崖っぷちのような狭いぐねぐね道を(ガードレールはちゃんとあったけど)ぐるぐる大回りして結局反対側の有料道路入り口から入るというお間抜けさんでした。そのおかげで美しい景色とか見れたので悪くはなかったですが。
 「紫電改だけに強風ではいけなかった」…おそまつ。

* 強風とは紫電改の前身となった局地戦闘機「紫電」の、これまた大元となった水上戦闘機のことです。強風を陸上機に改修して出力の高い「誉」エンジンを搭載した機体が紫電、紫電の最大の欠点となった中翼形式(胴体の真中から翼が生えている)を改良、低翼形式(胴体下部に翼がある)として機体全体を洗練したものが紫電21型(通称、紫電改)です。





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