自分語りに長けた稀有なプロ棋士による稀有なうつ病闘病記

                                  ――― 先崎学「うつ病九段」を読む(2018.9.30)

本書は、2017年7月、将棋棋士の先崎学九段がうつ病と診断され、
1か月の入院の後、7か月の自宅療養を経て、 2018年度からプロ棋士として復帰するまでの苦闘の日々を記録したものである。

先崎九段は17歳でプロデビューした、いわゆる「羽生世代」の一人で、
タイトル戦の登場こそないものの、全棋士参加のテレビ棋戦・NHK杯戦に優勝したほか、
棋界のトップ10に位置するA級も2期経験したことのある名棋士である。

同じ「羽生世代」の佐藤康光が連盟会長、森内俊之が専務理事を務める今となっては、
先崎も堂々たるベテラン棋士の一人となってしまったが、
若い頃から文才があり、遠慮のない憎まれ口も先輩棋士に許される愛嬌もあり、
若手時代から連盟機関誌や一般週刊誌に棋界風景を描写するエッセイを連載していた。

きざしはなくはなかった。
中島みゆきを崇拝し、多分に精神の救済を求めていたようなフシがあること。
というような心の内の話さえも、時おりエッセイの中に登場していたこと。
そんな話も時おり登場した連載が、突然、ふっと終了したこともあること。

もともと、勝者と敗者がはっきりしている将棋の世界に身を置きながら、
持ち前のサービス精神と責任感でファンの期待に応える文章を発信し続けるのは、
少しずつではあっても先崎九段の精神に負荷をかけていたのだろうとも思う。
むろん、素人考えだ。

冒頭、当時、棋界を揺るがしていた「ソフト使用疑惑」の収拾に奔走していたことや、
監修していた「3月のライオン」の映画化で多忙であったことなどが紹介される。
きっと、そんなことが引き金だったのだろう。
7月のある日の対局に集中できないことから始まり、やがて猛烈な不安に襲われ、そのうちに、家を出ることすら決断できない状態になる。
このあたりの細密な描写は、長く棋界を活写してきた先崎ならではの直截な語り口だ。

「自戦記だ」との指摘もあった。棋士は自分の対局を自ら解説する「自戦記」を書くことを求められることがある。
そこでは、どんな方針で臨み、どんな戦況になり、どんな対処をし、どうなったかが、対局者自身の言葉で語られることとなる。
そうした点では、この本は確かに「対うつ病戦」に相当に不利な状況に陥りつつ、 地道な取り組みにより勝利した先崎九段の「自戦記」でもある。

最も驚いたのは、入院中、雑誌を読むことすらできないとか、
(プロにとっては非常に)簡単なはずの詰将棋にさえ、てこずるほどになっていたことだ。
雑誌が読めないとか集中して考えられないというのは抽象的な指標で伝わりにくいが、
詰将棋が解けないというのは、プロ棋士にとってはあまりにも客観的な指標である。

先崎自身も、「詰将棋が解けないほどの病」を得ていてもなお、「詰将棋が解けないほどに病が重い」ということを十分に自覚し理解していた。
あるいは、脳の病気にかかっているのでなければ説明できないことが、自分の身に起こっていると認めざるを得なかった。

囲碁棋士であり先崎の置かれている立場を相当に理解することのできた妻や、
精神科医であり先崎の病については最もきちんと理解していた兄の支援もあって(兄は、要所で先崎に「必ず治ります」と言い続けていた)、
人という生き物自身が持ち合わせている自然治癒力で先崎は徐々に快方に向かい、その手ごたえを「棋力」という客観的な指標で感じていた。
つまり、病の重さを認識せざるを得なかった将棋が、改善の指標にもなったのである。

この本も、改善とともにエネルギーを持て余し気味だった先崎に、リハビリも兼ねて兄が書くことを勧めたことから始めたものであるらしい。
精神科医の兄は、先崎が自分の病を客観的に見つめ、言葉に変換する力を持っており、
また文章を書くことが病の改善につながるということをよくわかっていたのだろう。
うつ病に対する世間の知識と理解が圧倒的に欠けていることや それゆえに存在する、
いわれない偏見を払拭したいという思いもあったようだ。

2018年4月、先崎九段は約8ヶ月の休場を経て復帰した。
現時点での成績は2勝6敗と芳しいものではないが、 簡単な詰将棋を解く力がなくなるほどの病を得ていたものが復帰を遂げ、
プロとして本気の勝負ができているということだけでも驚くべきことだ。

うつ病は、必ず治るのだ。



     文藝春秋サイト内「うつ病九段」紹介ページ
     Wikipedia内先崎学ページ

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