「そうだったら、どうだっていうの」

                          ―――― 「東京夜曲」をテレビで見る(1999.5.5)


とにかく、人がぶつぶつ言ってる映画である。
映像に写っている人物がぶつぶつ言うだけならともかく、
写っている人物に対して背景の人物がぶつぶつ言うのだからよけいにわかりにくい。
むしろ、何が中心で、何が背景なのだかを、意図的に混乱させているようだ。

一言で言えば、電気店の長塚京三と倍賞美津 子の夫妻、喫茶店を営む桃井かおりとその亡夫をめぐる大人の愛の物語なのだろう。
それぞれが、こわれそうなあやうい自分をかかえながら、微妙に交錯しあう。
ところが、物語はそんな小さな波紋を広げることなく、最後まで何も起こらずに終わっていく。

いや、実際には、いろんなことが起こってい る。
長塚京三の父花沢徳衛は痴呆症になるし、狂言回しの文学青年も本を出版し結婚もする。
そもそも、映画は、長塚京三が三年ぶりに家族のもとへ帰ってきたことから始まっているのだ。
普通ならば、「今までどこで何をしていたんだ」というような話があっても不思議ではない。
しかし、この映画では、それすらもあらかじめ予定された物語であるかのように、静かに進んでいく。

いくつかの小さな物語は、結局いわゆる劇的な物語には つながらない。
「そうだったら、どうだっていうの」倍賞美津子のこのセリフが全てを語っているというべきか。
人生なんて、「映画のように」突然どうかなってしまうもんじゃない。
あるいは、映画のような人生なんて若いうちだけのこと。
それとも、何か起こったとしても、大事件にしてしまうほどにはもう若くはないのだ。

特に意味がないような東京の下町の光景が何 度も挿入されるのも印象的。
むしろ、主人公たちのシーンにも音楽を入れたセリフのないものが多く、
「主人公たち」も風景の中にうごめく存在の一つでしかないかのようだ。
そのことが、余計に「何も起こらなさ」を強めている。ならば、真の主人公は東京の光景であるのか。

ま た、最後の最後に主題歌で高田渡を持ってくるすごさ。
彼は、確かに「東京」であるのだけれど、その東京は多くの人が知っている「東京」ではない。
本編で流れていた元不思議少女(?)レイチの一見無機質な音楽と好対照に、この映画の 二つの顔を見せてくれる。

品のよいエピローグのような映画。
そ れが本当に名画なのだか、まだよくわからないでいるのだが。


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