いしいひさいちは、現代思想の灯台なのか

                       -----「現代思想の遭難者たち」を読む(2003.12.9)

入門書や解説書の効用というと、読解困難な専門書の内容を素人にもわかるように解説して くれるということなのですが、
それは、ともすれば読んでもいない専門書の内容をなんとなくわかった気にさせてしまうということでもあります。

教養主義がとっくに崩壊していた自分の学生時代を思い出し てみても、
「著名な」学者の「著名な」言葉や学説をもとにした話についていけなくて
片身の狭い思いをしたこともありましたが、
反対に入門書の知識だけで調子に乗って(たいていは酒を飲みながら)
いい加減な議論を平気で続けたりしていたこともありました。

というわけで、
「笑い飛ばせ!?“現代思想”『現代思想の冒険者たち』に登場の思想家34人をいしいひさいちが傑作パロディ化!」
という帯がつけられていた「現代思想の遭難者たち」です。

講談社刊「現代思想の冒険者たち」全31巻の月報に掲載されたといいますから、
毎月発行の現代思想全集に挟み込まれている箸休め的な小冊子に連載されていたのでしょう。
取り上げられているのは「冒険者」と同じ34人。
というか本編の34人を題材に描かれたのが、このいしいひさいち版の「現代思想の遭難者たち」であるわけです。

思想家ごとに4ページないし6ページが使われています。
まずは、その思想家の紹介。ページの上下にその思想家の略歴とそのキーワードを紹介する文章があり、
中央にはいしいひさいち流の一コマ紹介があります。

例えば、教卓の横で直立した険しい顔のフロイトは、
 「学生諸君、君たちのいやらしい期待は、見事に打ち砕かれるであろう。」
と語っています。(1)
「リビドー(性的衝動)」というインパクトのある言葉だけが独り歩きをしていて、
その思想の全体像があまり知られていないフロイトの立場をうまく表わしています。

続いて、その思想家が主人公となった四コマ・八コマのマンガが何本か。
ときおり、コマ割りされたストーリーギャグや1コママンガもついていることもあり、描きおろしもあるようです。
基本的には現代思想版「がんばれ!!タブチくん!!」で、
 なかば「異形の者」と化した思想家たちは、相談に訪れたりインタビューをしてくる一般人との会話の中で、
すこぶるその思想家らしさを貫いた発言をすることで、一般人を驚かせたり、
あるいは、逆におちょくられて憤慨する、そんないしいひさいち独特のパターンが続きます。

それだけならば単なるパロディマンガで終わるのですが、
この本の「現代思想」ぶりなところは一つ一つのコマの欄外に注釈がつけられているところです。
といっても、別に編集者がいきがって注釈をつけているのではありません。
正直に言って、注釈がないと理解できないページが多いのです。

マルクスのページの最初の四コマの一コマ目には、
 男「マルクス先生、下部構造が上部構想を決定するんですよね」
 マルクス「まぁな」
とあります。(2)

そして、このコマの横には、
「経済的構造(土台)が変化すると、人々の意識も変化するということ。
 マルクス自身は必ずしも単純な決定論者ではなかった。」
と注釈がつけられています。(3)

比較的わかりやすい事例をあげたつもりですが、
コマの横のスペースにつけられた注釈は字数が限られているため、
「下部構造」が「経済的構造(土台)」を指し「上部構造」が「人々の意識」を指していることについては、
読むほうが考えながら補うしかありません。

そんな不親切な注釈でも、「上部構造」「下部構造」という言葉をまったく知らない者にとっては、
この注釈を頼りにしなければマンガを楽しむどころか、参加することすらできないのです。

だから、この「いしひさいち流の四コマ」は、なかなか笑うところまでたどりつきません。
注釈をじっくり読んで頭の中で整理して、ようやく「そうだったのか」と理解できる、
あるいはまだピンと来ないというものが多いのです。

告白しますが、この本を読むまで名前も聞いたことがなかった人が7人います。
(レヴィナス、アレント、ガダマー、ロールズ、ホワイトヘッド、バフチン、クワイン)
当然、キーワードもエピソードも知るはずがありません。

注釈を読んでも「それがどうした」という感じになるし、
そんな感じになるのも実は名前を知らなかった7人だけに限るわけではありませんでした。

逆に一部ですが、注釈なしに読めたり、すらすらと注釈が理解できて、マンガをクスッと笑えた思想家もいます。
私の場合には、カフカ、マルクス、フロイト、ユング、ベンヤミン、クーン、ルカーチあたりでした。
これらの思想家についてなら、うっかり酔った席で知ったかぶりな議論もしてしまうかもしれません。

といっても、一冊でも著書(むろん、訳書)を読んだことがあったのは、カフカ・フロイトくらいです。
つまり、著書など読んでいなくても、その思想を受けたいろんな文章を読んだり、講義を聞いたり議論を重ねる中で、
いしいひさいちのマンガを笑える程度には、その思想家を理解していたということなのです。

同じような思いは、この本を手に取った人には、多かれ少なかれあったことでしょう。
マンガに対してなのか思想家に対してなのかわかりませんが、
本を読み進めるうちにおのずと「なんのこっちゃ/それがどうした」と
「これなら、わかる/これは、笑える」とに分けられていったはずです。

ということは、この本を読んでなんとか理解できた気がする思想家の名前をつなげることが、
そのままその個人ごとの現代思想地図になっているということです。
なんと、すごい効用がある一冊というべきか。
しかも、この一冊は、たった一人のマンガ家によって描かれているのです。
(当たり前だが、全集の方は一冊ごとに筆者が違うというのに。)

本気で現代思想を学んでいる人は別にして、一般教養としての現代思想ならば、
いしいひさいちが描いた程度の内容をさっと読んで理解して、しかもクスッとでも笑えたならば、
それでもう十分理解しているというものです。

いや、むしろこの本の中のすべての作品が笑えて、
注釈もエピソードも理解できるという人は相当な博識といえるでしょう。
理解できるだけで博識なら、その思想を咀嚼し、作品として表現して見せたいしいひさいちは、
「ど素人界における現代思想の巨人」と言っても過言ではありません。

そして、この現代思想界に輝く34人を越えて、
さらに新しい地平を切り開いてみせたいしいひさいちの著作が、
31巻もある現代思想全集よりも手軽な現代思想の入門書として、
けっこう有用になってしまえるのではないか、とふと思ってしまったのでした。



 (1) いしいひさいち『現代思想の遭難者たち』(2002・講談社)p47。
 (2) 上掲書p44。
 (3) 「ヤクルトの安田投手は、打者の打ち気をそらすスローボールの変化球を駆使した」という感じか。(という、この比喩に注釈が要るのかも
   しれないが。)この「まあな」という言葉にしても、世間で知られている「上部構造・下部構造」をめぐる通俗的な理解に対して、実はマルクス
   自身は立場を留保していたという意味をこめているとすれば、なかなか重い言葉である。そのきめ細かさが、いしいひさいち自身の理解なのか、
   編集者とのかかわりの中から出てきたものかわからないが、出来上がった作品は注釈も含めていしいひさいちのものである。


      (笑) いしい商店本店(いしいひさいち公式ページ)
      朝日 新聞サ イト内第7回手塚治虫文化賞短編賞受賞紹介ページ

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