良い子が最後に幸せになるという幸せ

              -----篠有紀子の ために(1999.6.15 少女マンガMLへの投稿を修正) 

 たぶん篠有紀子さんというのは、ずっと教室の中で違和感を感じていた女の子であったのだろうと思うのです。
クラスの中のおしゃべりから少し距離をおきながら、しかし、ただぼんやりとしているのではなくて、ひとりで心の
内側を膨らませ気味にしてきた、そんな子です。

 彼女の出世作「アルトの声の少女」は、日本の高校を舞台に、ユリスモールみたいな短髪の女の子とエーリク
みたいな長髪の女の子のさわやかな友情物語でありました。(違ったかもしれないが、あえて物議をかもして
おこう。)それは、あまたあるボーイミーツガール的な学園ドラマと少し違ったリアリティのようなものを感じさせて
くれました。

 その後しばらくは、あとがきにでてくる彼女自身をほうふつとさせるような、夢見がちで内気な、どうかすると
周囲からからかわれたり攻撃されかねない性格の良い子が、最後に幸せになる話を描きます。男の子の側も、
あたりまえのスポーツ万能の優等生ではなく、それなりのこだわり派だったように思います。

 そして、やがて彼女は、自分の心の内側をそのまま形にしたような実験作品をいくつか描きます。中には、
ファンタジーやSFという分類を越えた夢日記に近い作品もありました。
 そんな傾向がいくぶん落ち着いたころにたどりついたのが、身近な風景を題材にしたホラー作品です。そこに
ある「あたりまえの世界」を疑っているような、あるいは抗議しているような視線の根底には、教室での級友たち
のおしゃべりへ違和感を感じていた(のではないかと私が勝手に思っている)篠有紀子のこだわりや疎外感が
あるように思います。

 このあたりまでが、デビュー10年ほどのLaLa時代の作品です。

 その後、彼女自身も(あるいは周囲の方も)大人になって、世間と折り合いをつけてきちんと生活する大人の
女性らしい作品を作りつづけます。絵柄も、萩尾望都や初期の山田ミネコの影響を受けたものから、すいぶん
おしゃれな白っぽい絵柄になります。「花きゃべつ、ひよこまめ」の連作では、主人公は夫と娘がいて、時々
イラストの仕事もしているという幸せな家族のホームコメディです。

 しかし、その幸せぶりというか、幸せの尺度がどこか違っていて、人物設定も物語も特に変わったものではない
のに、どこかネバーランドのような感じを与えてくれるあたりが、やはり篠有紀子らしいなと感じます。

 いつのまにか、とうに20年選手となった彼女を、どうぞ応援してやってください。(1)

(1) たしか「篠有紀子という人のホラー漫画を読んだが、どんな作品を描く人なのか」というような問いに、答えて書いたように思う。

  * 私の所蔵する篠有紀子の著作
      「フレッシュグリーンの季節」 (白泉社・1979)
      「アルトの声の少女」(全3巻・白泉社・1980-81)
      「ストロベリー・エッセイ」(白泉社・1982)
      「3年前の眠り姫」(白泉社・1982)
      「閉じられた9月」(白泉社・1984)
      「さみしい夜の魚」(白泉社・1985)
      「水玉シャーベットの秘密」(白泉社・1985)
      「白のイノセンティ」(白泉社・1986)
      「碧のクレッシェンド」(白泉社・1986)
      「眠れるアインシュタイン」(白泉社・1987)
      「メッセンジャー」(秋田書店・1987)
      「ラベンダーの庭園」(主婦と生活社・1988)
      「ビブラフォン」(主婦と生活社・1989)
      「神様の贈り物」(集英社・1989)
      「ベージュの月と浮気者」(集英社・1990)
      「リンゴのUFO」(大陸書房・1990)
      「彼女の耳はチューイン-ガムの味」(角川書店・1992)
      「ふたつお菓子が食べられる」(双葉社・1992)
      「ファンタジー」(双葉社・1992)
      「意地悪」(講談社・1991)
      「クジラに願いを」(講談社・1993)
      「花きゃべつひよこまめ」(全14巻・講談社・1992-2000)
      「ミスター・グッドマンを探して」(講談社・1989)
      「高天原に神留坐す」(1-2巻・講談社・2004)

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