国のための生贄に、NOと言った花嫁の冒険

                        ------紫堂恭子「聖なる花嫁の反乱」1巻を読む(2008.1.8)


前作がいささかお子様向けだったのに対して、本作は「本気」だ。
しかも、相当にハードルが高い。なんと、「生贄ネタ」なのだ。

外の世界が争い続きの中で、故郷の村が平和でいるために必要な命。それが「聖なる花嫁」だ。
言わば、「あなたは、お国のために自らの命を捨てますか」という問いかけに、
生きることの大切さを描き続けてきた紫堂恭子の主人公は、もちろん「No」と答える。

逃げ出した「聖なる花嫁」の前に、殺伐とした「外の世界」が広がる。
しかも、これまでの主人公と違って、権力も魔力も庇護者も持ち合わせていない。
元気だけがとりえのような「花嫁」は、何を発見し、何を体験するのか。
本格的すぎて、行く末がいささか心配になりそうなほど本格的なドラマだ。

すなわち、紫堂恭子は、「社会全体の幸福のための私権の制限」から出発し、
「秩序を維持するための暴力」「生き延びるがための犯罪」という答えの出しにくい問題に
自分なりの答えを出そうとしているのだ。

期待しつつ、次巻を待ちたい。



   「聖なる花嫁」であることは、呪われていることなのか

                         ------紫堂恭子「聖なる花嫁の反乱」2巻を読む(2008.5.8)


1巻では変な持ち上げ方をしてしまったが、「聖なる花嫁」の伝説は背景の物語として残ししつつ、
基本は、おてんば娘の主人公がいろんな男性に守られながら、世間の荒波の中を生き抜くという、王道のパターンで進めていくらしい。

「神の花嫁」のしるしに対して、人々が微妙な反応をするのも面白い。
本来「聖なるもの」なのだろうが、ほとんど「呪われしもの」と変わらぬ反応なのだ。
とりあえず、主人公は、自分が背負った運命を知らないまま、
正体不明な「聖なる花嫁」として生きていかねばならないようだ。

そして、南総里見八犬伝を思い出させる「星座のようなあざ」を持つ者も登場した。
彼らは、自分の運命を切り開こうとする主人公に力を与えてくれるのだろう。

作者があとがきで、「大変な展開が待っています」というからには、きっと相当に大変なことが起こるんだろう。
どんなに大変なことがおこるのか、とくと見据えてやろうではないか。



   理によって解決していく「忠実な部下」の活躍

                         ------紫堂恭子「聖なる花嫁の反乱」3巻を読む(2008.9.15)


今さらだが、紫堂恭子は理の人だ。
ヴァンが情報を得るための方法、そして、つかんだ情報の利用の仕方、
それらは、パズルのピースのように、ぴっちりと心地よくおさまる。

そもそも、なぜヴァンがそこまでやらなきゃならないんだ という根本的疑問もあるが、
もとを正せば、 特別な権力や能力を持たない(はずの)主人公が世界を変える話なので、
都合の良いおせっかいな人(というより、忠実な部下)が必要なのだろう。

これからも、おそらく南総里見八犬伝のように、 何人もの従者がエリセのもとに集まってくるに違いない。
そんなエリセも、3巻の末では特別な能力の片鱗を見せはじめている。
さて、どんなすごい「潜在的能力」を発揮してくれるのか。

実は、そろそろ役者がそろってくれないと、いささか欲求不満が溜まってているところでもあるのだ。



   集まりつつある「星のあざ」を持つ者たち

                         ------紫堂恭子「聖なる花嫁の反乱」4巻を読む(2009.5.23)


いよいよ、「南総里見八犬伝」らしい体裁が整ってくる。
残る「星のあざ」を持つ者は、いったいどんな人物なのか期待が高まる。
ある意味ベタだが、そのベタぶりが心地よい。

緋の貴婦人からの脱出劇も上手くいきすぎの感はあるが、体格や必殺技がインフレ的に過剰になる作品が「あり」なのであれば、
こうした理詰めで展開していく作品も、時にはあってもよいように思う。
要は、この作品の世界がどんな世界だったのかを描き切れるかどうかだ。
その点では、紫堂恭子は周到でぶれることはない。

掲載誌というか、サイトの「Michao!」の行く末に関する噂もあるので、むしろ、そっちの方が気がかりなのだが。



   中世的世界観で語られる、犠牲を許さないという近代的感覚

                         ------紫堂恭子「聖なる花嫁の反乱」5巻を読む(2010.2.27)


「全5巻とあるが、掲載誌が変わる関係であって、物語は終わらない。
というか、まだまだ物語は広がっていく。

そんな中で一貫しているのは、旧式のファンタジーへの反発だ。
九番目の花嫁・エリセは、自らの運命に殉じるつもりもないが、 伝説の九番目の花嫁を守るために「人民」が犠牲になることも許さない。
中世ファンタジーの世界観に、近代的な人権感覚で正面から対決する形になるわけだが、
どう決着をつけるかは、現代に生きる紫堂にとって挑戦しがいのある問題だ。

刑吏を巡る差別意識の問題については、うまく避けてしまったようだが、
本題を急ぎたかったということにして、あえて気にしないでおくことにしよう。



   解明されつつある「星のあざ」と年齢をめぐる伝説

                         ------紫堂恭子「聖なる花嫁の反乱」6巻を読む(2010.11.17)


絶体絶命の危機をどうするかと思ったが、 意外にあっさりと解決してしまう。

上手く行きすぎではあるのだが、 それでも、与えられた条件の中では、
もうこれしかないというような方法で打って出て、 きちんと解決してしまうのだから、物語としてはきちんと流れている。

ヴァンの秘密も少しずつ明らかになった。
 出ておいでヴァン! でないと、アナベルをお空にほうりあげるよ…!
と謎の言葉をつぶやいてみる。

予感でしかなかった「八犬伝」的な展開は、ついに解明されるべき謎として皆に提示された。
しかも、伝説をめぐって年齢をからめる仮説が独特だ。そろそろ、終幕が近いようだ。



   人の長所は弱点でもある、という自己洞察の物語

                         ------紫堂恭子「聖なる花嫁の反乱」7巻を読む(2011.5.14)


しばらく予定調和的な「八犬伝」物語として進行してきたが、
ここへ来て、「神聖文字の意味」という新しい課題を提示した。
しかも、言葉に表裏一体の意味が込められているというところが面白い。

聖殿の執行官ザディアスの言葉は、「忠実」にして「不服従」。
神に「忠実」な者として生きてきたザディアスにとって、運命づけられた「不服従」は、重い言葉だ。
戦災孤児の少女シエナの言葉は「無垢」と「強さ」。傭兵隊長ゼラムの言葉は「獲得」と「喪失」。

人の欠点は長所でもあるという話は指導者研修で常に言われることだが、
こういう人間心理をわかりやすく深めて行くあたりは、紫堂恭子の本領発揮と言えそうだ。

偽・花嫁になったリオンを含めて、花嫁をめぐる大きな物語と並行して、
神聖文字を持った人たちの自己洞察の物語が進んでいくのだろう。
そして、それは、より大きな物語につながる気配さえある。

他の連載が終了した分、面白さがより集中してきたようだ。楽しみ。



   密かに置かれた震災をめぐる希望のメッセージ

                         ------紫堂恭子「聖なる花嫁の反乱」8巻を読む(2012.2.12)


神聖文字の人たちも、花嫁をつけ狙う人たちも、 緋の貴婦人までもが集結してきた。
この巻自体は、何かが起こるというわけではないが、次巻以降の展開のための仕込みということになるのだろう。

それにしても、エリセが楽園を離れてから、まだ3カ月しかたっていなかったとは。
確かに、1年もたつと、目に見えて成長するような時期だからなあ。それにしても、3ヶ月でいろんなことを経験したよなあ。
ちなみに、1巻が出たのは2007年だから5年前か。それはそれで、ついこの前にも思える。
それは、読む側の事情。

 日照りや大水や自然の災いは受け入れるしかないって
 …だけど それは自然が自然としてあるだけのこと…
 神さまが与えた罰だって言う人もいるけど おばあちゃんは そうは思わないよ

 シエナ これだけはどうか忘れないでおくれ
 たくさんつらい目に遭うことがあっても
 神さまが人間にくださるのは罰なんかじゃなくて いつだって「希望」だけなんだよ――

これは、震災に向けられた、紫堂恭子の精いっぱいのメッセージなんだろう。
ということは、紫堂恭子は、この物語を希望の物語にしなくちゃいけないということだ
 いや、むしろ、いつだって希望の物語を描く人ではあるのだけれど。



   大団円に向けての深まる緊張感、なのか

                         ------紫堂恭子「聖なる花嫁の反乱」9巻を読む(2013.5.14)


8巻の時点で、花嫁の謎にかかわる神聖文字を持つ者が出そろう一方で、
これまで花嫁にかかわった者すべてがトロヤの街に集まりつつあり、
いろいろな思惑が錯綜とする実に緊張感が最高潮に達しようとしていた。

そんなことから、この巻で、いくぶんかは物語が流れていくものと思っていた。
確かに、これまで出会うことがなかった者同士が出合い、新しい展開の予兆はある。
しかし、謎は謎のまま残され、花嫁をめぐる緊張は解けることなくますます深まった。

次が最終巻と「あとがき」で宣言しているので、このような巻があってもいいのだろう。
しかし、この巻だけのレビューとなると、いささか苦しい。
それは、この巻の物語自体の重苦しさを反映しているとも言えるのだが。



   「絶対善」の勝利ではなく、人が迷いつつ選択した結果としての未来

                         ------紫堂恭子「聖なる花嫁の反乱」10巻を読む(2014.8.2)

紫堂恭子は、メッセージの人だ。
一人の大人として今の子供たちに伝えたいことがあらかじめ決められており、
物語は、そのメッセージをわかりやすく伝えることができるよう設計されている。

「聖なる花嫁の反乱」では、逃亡した花嫁・エリセにかかわる8人に共通する生まれつき身体に現れた神聖文字がそれだ。
一人ひとり異なる神聖文字は文字であるとともに、相反する二つの意味をもち、その人物の生き方に関わっているとされる。

例えば、神殿の執行官・ザディアスに与えられた言葉は、「忠実と不服従」だ。
「忠実」な信仰を持っていると思っているザディアスは、ともに与えられた「不服従」の意味がなかなか理解できない。

予知夢を見るホームレス・アーサーは神の声が聞こえ、未来を予知できるが、
なぜ無力な自分に神が話しかけるのか困惑し、ありえないことだと思っている。
そんな彼には、神に対する戸惑いを体現するように、「信と不信」の印が与えられている。

そして、花嫁・エりセの幼馴染で、その美しさから緋の貴婦人に囚われ虐待されたリオンは、
緋の貴婦人が囚われた今になっても、彼女をを前にすると身体が震える。
それをどう決着つけるのか、彼に与えられた言葉は、「罪と許し」だ。

そして、報酬のために戦うゼラム傭兵隊長には「獲得と喪失」、戦災孤児の少女・シエナには「無垢と強さ」、
敵国の異教徒のシャルワール王子には「分離と一体」、神殿の聖殿長には「創造と破壊」の言葉が与えられた。
(あれ、もう一人、刑吏のシドのメッセージはなんだったか。)

紫堂恭子は、これらの相反する二つの言葉を人間が常に併せ持っているものとしてとらえ、
正義や、勇者や、心正しき者などという絶対善の勝利ではなく、
二つの側面を持った人間が迷いつつ選択した結果として描く。

何が何でも10巻におさめてしまわねばならない大人の事情があったのか、紫堂恭子自身も認める1冊半分のボリュームになったが、
なんとか力技で広げた風呂敷をたたみ切ったことで良しとしよう。
8年がかりで無料配信サイトという面倒なメディアで発表しつつ、出版社を変えつつも、なんとか完結にまでこぎつけたのであるから




トップ       マンガ評