ラブシーンのように粘っこい村山対羽生の対局シーン

                             ――― 映画「聖の青春」を見る(2017.1.18)


将棋棋士・村山聖八段(贈九段)が29歳で亡くなったのは、 1998年8月8日である。
その村山九段の生涯を記録したノンフィクション「聖の青春」を、
連盟機関誌「将棋世界」の編集長だった大崎善生が発表したのが、2000年2月である。
2001年には、すぐに新春スペシャルドラマとなっている。

その「聖の青春」が、2016年に構想8年をかけて映 画化されることとなった。
生前の村山九段が「いつか倒して名人になる」とあこがれていた若き名人・谷川浩司は、
日本将棋連盟の会長として棋界を代表する立場となっているほどの時間がたっている。
(と書こうとしたが、先日、諸事情で、谷川17世名人はその職を辞してしまった。)

それほどまでの長い時を経ても、「聖の青春」は多くの 人に読み継がれてきた。
映画化が実現するまでに相当な時間がかかったが、それも必要な時間だったのだろう。

主演の村山聖役には、松山ケンイチ。
原作を読んで、村山聖を演じたいと熱望していたところ、 ちょうど進行していた映画化の話と歩調があったものであるらしい。
なんと20kgも太って、見かけからも村山本人に似せてきている。

「相手役」の羽生善治役には、東出昌大。
もともと将棋ファンだった東出は、プロ棋士の世界をよく知っているようだ。
羽生本人から譲られたという「当時のメガネ」をかけ、なかなかの羽生ぶりをみせる。
好きだからこそ、どんな立ち居振る舞いなら羽生らしくなるかを、きちんと心得ている。

ノンフィクションでもなく、評伝でもない。
あくまでフィクションとして制作されたこの映画では、村山と対局する「棋士」としての役割は、ほぼ羽生に集約されている。
ともに高みを目指す仲間であるとともに、常に一歩先を進んでいる者として、
どうかすると、村山にとって、もっと知りたい憧れに満ちた存在としてとして描かれる。

それゆえ、終盤に置かれた2時間以上の長廻しだったと いう羽生との最後の対局のシーンは、
その対局が粘っこく、体力と気力の限りを尽くしたものであったことを踏まえると、
「棋は対話なり」の言葉を逆手に取ったような、長大なラブシーンにも見えた。
ちなみに、その棋譜は実際に羽生との最終対局だったNHK杯戦決勝を再現しているが、
体調をいとわぬ深夜に及ぶ激闘というエピソードは、順位戦での対丸山戦のものだ。

一方、聖の「青春」の部分を引き受けたのが、先崎九段 をモデルにした「荒崎学」で、
酒の席での乱行に同席するような、遊び仲間の無頼な若手棋士を柄本時生が好演する。
ついでにいえば、先崎九段は映画同様、村山の死の報を温泉旅館で聞いている。
ただし、酔いつぶれた村山がリアルに嘔吐したのは、佐藤康光九段の新車だ。

先輩棋士・橘正一郎役は滝誠一郎七段がモデルとされる が、
安田顕はむしろ真部一男九段を思わせるオシャレな中堅棋士として演じてくれた。
師匠の森信雄七段は実名での登場だが、リリー・フランキーはそっくりの風貌だし、人情味あふれる師匠ぶりは好演なのだろうが、
なぜか私的にはしっくりこなかった。関西的な「緩い感じ」があまり感じられなかったせいだろうか。

それはともかく、映画を観終えてまず感じたのが、感謝 だった。
私が最も熱心な「見る将棋ファン」だった時代の鮮烈な記憶として、
棋士・村山聖の登場、鬼気迫るような棋譜と壮絶な死、多くは大崎善生が明らかにしてくれた、その陰にあった聖の「青春」。
それらを、きちんと映画として、生身の役者を使って描いてくれたことに、当事者でも何でもないのに、感謝の念でいっぱいになった。
反面、この映画が村山聖を全く知らない人に、どこまで届くのかも気になった。

蛇足ながら、現実の村山聖も少女マンガを深く敬愛して いたのだが、
映画の中で村山が古本屋で購入していた「いたずらなkiss」の作者・多田かおるもまた、
38歳の若さで夭折した少女マンガ家である。




      映画「聖の青春」公式サイト             
     
Wikipedia「聖の青春」ページ
       ひつじ亭・書評「聖の青春」



     同じエピソードを大胆に再構成できる物語の優位さ

                              ――― 映画「3月のライオン・前編」を見る(2017.4.16)


将棋界の歴史で数人しかいない中学生で棋士となった天才少年を主人公に、
職業棋士として強くならねばならいことを前提としつつも、 むしろ人として救済されることをテーマにした青春物語である。

原作は、「ハチミツとクローバー」で売り出した羽海野チカ。
丹念に将棋界を取材しており、実在の棋士がモデルとされていたり、実際のエピソードも巧妙に物語内に取り込まれている。
連載開始が2007年なので、そのころの棋界が反映されているように伺われる。

主人公の桐山零には、ファンの間では2008年の時点で推されていた神木隆之介。
中学生棋士という点では渡辺明竜王のイメージだが、
内弟子経験や姉弟子との葛藤は、原作の将棋監修を務めている先崎学九段が近い。
零の「心友」を自認する棋士・二海堂には染谷将太。
実は難病で巨漢と言うと、これはもう完全に故村山聖九段だ。

となると、自ずと映画「聖の青春」と見比べたくなるところだ。主な場面が対局と、飲み屋、自宅となれば、なおさらだ。
対局シーンのリアリティや緊迫感という点では、
島田(佐々木蔵之介)-後藤(伊藤英明)戦など、さすがと思わせるものもあったが、
対局者を村山と羽生に絞り、憑依的な仕上がりとなった「聖の青春」に軍配を上げたい。

しかしながら、一つの物語としての興味深さという点では、
登場人物を実名にしている分、大きな嘘のつけない「聖の青春」よりも、
「二海堂/村山」の千日手・指し直し局など、同じエピソードを使いながらも、
それを好きに配置したり、加工することができた「三月のライオン」の方が楽しい。

零がお世話になる川本家の三姉妹(倉科カナ、清原果耶、新津ちせ)と祖父(前田吟)は、
原作そのままに、古き良き日本の理想的な家族像を描き出してくれた。
零の義姉で姉弟子にあたる香子については零への愛憎半ばする激しい役どころで、
有村架純には似つかわしくないとも言われていたが、少年・零を惑わせる若いが大人の女性を、妖しく可憐に演じきった。

あまり、映画の「前後編」というやり方は好きではないのだが、
「前編」だからといって、途中で切られたという感じはなく、 「後編」への期待を残しつつも一本の作品として十分に仕上がっていた。
これは、後編も、期待できそうだ。 (1)




    (1) と言いつつも、結局「後編」は見ていない。

      Wikipedia「3月のライオン」ページ
      ひつじ亭・マンガ評「3月のライオン」

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