大阪の街に市電と運河が健在だったころ

                                 ―--- 「大阪今昔歩く地図帖」を読む(2015.1.11)

近代都市大阪が最も発展した明治から昭和前期までの手彩色された絵葉書や古写真に、
新旧の地図と見くらべながら、往時の大阪の街を振り返ろうとするものである。
南北は梅田から天王寺、東西は上町から大阪湾までを地域別に10の章に分け、別に、市電と堺の章が設けられている。

絵葉書で見る当時の大阪は、 近代的なコンクリートビルディングの周囲に木造の店舗が並び、行き交う人々は、ほとんどが和装である。
時代にもよるが、自動車と同じくらい人力車が目立ち、 市電が王者のように道路の中央を進んでいく。

章ごとに置かれた昭和3年の地図には、物流の主力だった運河が健在で 幹線道路には、必ず市電が通っていた。
横に並べられた現代の地図と見比べると、市電は姿を消し、運河は高速道路に代わった。
道路に関しては意外なほど変化がないものの、中之島以南の御堂筋は工事中でまだない。

生活感のある写真なので、力がある。「思いをはせる」という言葉がふさわしい。
「歩く地図帖」とは言いえて妙だ。 この本を手に、街歩きが楽しめそうだ。



   ブラタモリあやかり本の枠を超えた驚きの監修者の名前

                                 ―--- 「重ね地図で愉しむ大阪<高低差>の秘密」を読む(2019.3.7)

以前読んだ「重ね地図で読み解く京都1000年の歴史」の大阪版である。
京都が「1000年の歴史」で大阪が「高低差の秘密」というあたりの違いはあるが、
基本は、同じ編集プロダクションが制作し、過去と現代の「重ね地図」を使って、ちょっとした徒歩観光を案内するという本である。

あけすけに言えば、ブラタモリの公式本ではないにもかかわらず、
高低差や歴史にこだわりながら町を歩くというブラタモリ的な世界観で書かれている。
むろん高低差にこだわることも歴史にこだわることも、ブラタモリの特許ではない。
そんなモヤモヤ感はあるのだが、ブラタモリ的には驚くべき事実があった。

あの「ハンニャホンニャ、ヘンニャハンニャ」という謎の音楽を背負って登場する
「京都高低差崖会崖長」梅林秀行氏が監修者となっていたのである。

「監修者」が起用される背景には、編集プロダクションの名では本が売れないので、
著名な監修者の名前をつけて売りたいというネライがある(と思われる)。
京都版では、筑波大学名誉教授の谷川彰英氏が監修者になっている。

つまり、もはや梅林秀行氏は大学教授にも負けないほどに、
その名前で本が売れるような権威となっているのである。さすがだ。
巻頭には、「京都高低差崖会崖長」というテレ隠しな肩書とは裏腹な
梅林秀行氏による熱い「まえがき」が置かれている。

本文は、京都版と同様、キタ、ミナミ、大阪城周辺、天王寺周辺が地図で紹介され、
なるほどなあと思ったりもする部分もあるものの、「なぜ、そこを取り上げた/取り上げない」と思うところもあった。
むろん、紙数に限りがあるのも承知だ。

そもそも、比較的歩いたことがあり、ある程度、街としての大阪を知っている分、別に、改めてこの本で学ばなくてもよかったようなところもある。
ならば、なぜ買ってしまったのかといえば、ひとえに「監修者・梅林秀行」の衝撃に打ちのめされてしまったからに他ならない。

ある意味、思うつぼというわけだ。


    
      宝島社サイト内 「重ね地図で愉しむ大阪<高低差>の秘密」ページ  
      京都高低差崖会ページ

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