実は当事者だった興福寺視点で描かれる「応仁の乱」の時代

                                      ---- 呉座勇一「応仁の乱」を読む(2017.9.3)

話題の新書である。
 しかも、「地味すぎる大乱」の謳い文句に、「スター不在」「ズルズル11年」「勝者なし」の言葉が添えられると、
かえって、気になってしまうというものだ。(上手く、してやられたのかもしれない。)

ただし、「スター不在」はともかく、「地味すぎて勝者なし」のまま「ズルズル11年」続いたからこそ、
「応仁の乱」という言葉を誰でも知っているにもかかわらず、きちんと解説することが困難で、乱暴に説明されてきたきらいがある、らしい。

そんなことで著者が着目したのは、興福寺の最高位である別当職を務めた僧・経覚と尋尊の二人による日記である。
京都や地方の事情については不正確なものも少なくないとしているが、
当時の興福寺は全国に荘園を持っている上、大和には守護が設置されず興福寺が事実上の守護職を務めていることから、
彼らはけっして単なる傍観者ではない。

また、興福寺は他国では国人とされる土着の武装集団を興福寺僧侶系の「宗徒」、春日大社神人系の「国民」という形で配下にしており、
興福寺内部でも門跡寺院の一条院・大乗院が長く争っていたこともあって、 むしろ興福寺配下の武士たちは応仁の乱の当事者だった。
しかも、経覚と尋尊が年齢も立場も異なっていたことから同じ事実に対する解釈が異なっていることもあり、
左右の目による像の違いが景色に立体感をあたえるように、両者の日記を対比することで当時の世相に奥行きを持たせて読ませてくれる。

そんなわけで、本書では、将軍の後継者争いから守護たちの家督争い、
京都在住の守護と地元で領国を管理する勢力との力関係の変化など ヅルヅルな11年間とその前後の時代を概観する。

類型的な理解では、応仁の乱によって室町幕府が弱体化し、戦国時代が始まるとされる。
しかしながら、応仁の乱に至った関係する各家の事情を見ていくと、 そもそも、室町幕府はそれほど盤石だったのではなかったことがわかる。
南北朝時代は全国の武士が自分たちの勢力を拡張しようと争っていたし、北朝への統一後も旧南朝勢力をはじめとする反乱が続いていた。
京都においても、将軍と数か国を領有する有力守護との間で権力の綱引きがあり、 現に6代将軍・義教は暗殺されている。

どうやら、室町幕府は応仁の乱の11年間で揺らいだ、というようなものではなく、
最初から最後まで、これといったスターが不在のまま、地味な争いが継続しつつ、
圧倒的な勝利者が生まれるわけでもなく、ヅルヅルと崩壊していったらしい。

300ページ近い分量は、新書としては長いものだが、本当に、よく知らない武士たちが地味でヅルヅルと争い続けるので、
どう決着するのかが気になって、結果的に最後までスイスイと読んでしまった。
宣伝コピーが功を奏した例だろうか。




     
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