社会学の巨人が描く軽快で浮遊するようなグランドデザイン

                             ---- 見田宗介「現代社会はどこに向かうか」を読む (2018.12.2)

齢80を超える社会学の巨人・見田宗介の新作新書である。

しかも、本文158ページ、文字も大きめと情報量はそれほど多くない。
しかし、いったん読み始めると、 その知の力を見せつけられるかのような簡潔かつ軽やかな論理展開に、
感服、もしくは平伏しながら読み進めてしまうのだった。

使用する資料は、ごくありふれた社会調査だ。
たとえば、NHK放送文化研究所の「日本人の意識」調査のデータを用い、
15年刻みで、戦争世代、第一次戦後世代、団塊世代が大きく離れているのに対し、
団塊世代と新人類世代は近く、新人類世代と団塊ジュニアは一部重なり、 団塊ジュニアと新人類ジュニアはほぼ重なっている。
これはこれで、ごく平易な調査分析である。

次に、「世界のエネルギー消費量の変化」のグラフを示し、 人類のエネルギー消費量が現在も加速度的に増加し続けている事実と、
先ほど示した世代間の意識における変化の減速との「矛盾」を提示する。

その次に登場するのは、「ロジスティック曲線」と呼ばれる時間の経過と個体数の変化を示した曲線である。
すなわち、閉鎖した環境に、その環境に適合する新しい動物を放つと、
初めは少しずつ増殖していたが、ある時期、急速に増殖するようになり、
環境限界に達すると、増殖を停止し安定平衡期に入る。(もしくは減少し、絶滅する。)

だから何なのだと思っていると、
返す刀で 世界人口の増加率が、1970年以降、急激に低下していることを示す。
すなわち、地球という閉鎖環境の中で、人類は「近代」という爆発的増殖を経た後、
「未来」にやってくる安定平衡期に至る変曲ゾーンこそが「現代」なのであるとする。

そして、かつての人類が交易と都市と貨幣というシステムによって
「有限」の共同体から「無限」に広がる世界に解き放たれて戦慄したたように、
交易と都市と貨幣のシステムが普遍化した近代の最終局面でグローバル・システムが成立することによって、
より具体的には、情報を消費することで無限の成長が可能であったとしても、無限の資源採取と廃棄物処理が不可能であることによって、
改めて人類は世界が「有限」であるという事実に戦慄する、と看破する。
このあたりを、球面に際限はないが球体は有限である、とするわかりやすさも心憎い。

その上で、私たちは「成長しないこと」を恐れるのではなく、「成長が不要となったこと」の安定平衡の高原を享受すべきなのだ、と宣言する。
「この新しい戦慄と畏怖と苦悩と歓喜に充ちた困難な過渡期の転回を、共に生きる経験が<現代>である。」(p18)

ここまでの序章で、わずか18ページ。
NHK意識調査から出発して、文明の始動から近代に至る人類史へ展開し、さらに未来への展望までもを見通してしまう。
一つ一つの提示された事実は自明であったり、実感に合うものばかりだ。
ところが、それらを補助線として使いながら見はるかすと、 見事に雄大な人類の過去・現在・未来の構図を描き出しているのである。

とはいえ、そう簡単に結論を出してよいものかと思うのが人情で、そのために6章と補章の全7章にわたる本文がある。
特に、ロシア革命やナチスドイツといった二十世紀型革命の破綻について論じた 補章が興味深かった。
というのも、天国や極楽の実現のような未来像を見田が描きだすのに対し、
昨今の世界的な自国中心主義の風潮をどう評価するのかが気になったからである。

見田の答えはこうだ。
20世紀型革命は真剣かつ壮大な実験ではあったが悲惨な結果に至ったとした上で、
その失敗の構造を、 とりあえず敵を打倒すればよいとする「否定主義」、
一党支配や思想統制を計画経済と不可分とした「全体主義」、
理想の実現のために今は耐え忍ぶべきとする「手段主義」、とする。

そして、20世紀の革命が利用し、また破綻した「憎悪」に基づく扇動を21世紀の右翼民族主義も利用しようとしていることを指摘した上で、
この「憎悪の罠を抜け出すことができるのは、(論理的に)憎悪を否定し、(その論理的な破たんによって)のりこえようとすることによってではなく、
どこかで(憎悪の罠に捕えられた者自身が)憎悪の反対の感情の感情を経験することをとおしてだけである」(p147、( )内は補記)、とする。
なるほど、いささか楽観的な気もしなくはないが、 本人の自然治癒力以外に、憎悪の罠からは抜け出せないというわけだ。

むしろ、新しい世界を創造するためには、それらと正反対の 「肯定的で」「多様な」「現在を楽しむ」を公準とすることが必要であり、
その実践として、新しい世界の「胚芽」となるネットワークを創造すべきとしている。

軽快で浮遊するような論理は、短くて荒っぽいと言い換えられるかもしれない。
しかし、グランドデザインについてはきちんと描いたから、
もし不十分な点があるとすれば、実際に生活する若い人たちが実践し補足してくれればよい、とバトンを手渡された感もある。

本当かなあとも思いつつも、少し希望がもてて元気になるような本だった。



     岩波書店サイト内「現代社会はどこに向かうか」紹介ページ
     Wikipedia「見田宗介」ページ
   

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