本物の「倶楽部」の奥深さ

                    −おりおりの香櫨園倶楽部(2002.3.24)
  香枦園倶楽部の例会に行ってました。
 この会は、「藤本由紀夫による一日だけの展覧会「美術館の遠足」を愛好する人たちの集まり」で
要するに「美術館の遠足」のファンクラブです。年に1,2回の例会があって、藤本由紀夫をホスト役にさまざまなアート体験を企画しています。そして、今回の例会のテーマは、大阪の建築家・村野藤吾の
建物見学とスライド・トークというものでした。
 「建築」そのものには予備知識もないので興味もさほどではなかったのですが、建物見学のメインに
あげられていた「綿業会館」内部見学(職員による案内付き)がなかなか貴重な経験となったのでした。

 「綿業会館」というと紡績関係の建物かという程度の印象かと思いますが、「日本綿業倶楽部」が管
理する建物となると、意味が違ってきます。「違ってきます」というか、中に入ると「違う」というこ
とが、否応もなくよくわからされたのでした。
 昭和6年竣工でですから、それなりに風格をもった外観なのはわかります。しかし、中に入るとそれ
どころではありませんでした。天井から下がった巨大なシャンデリア、当然のように敷いてある厚手の
絨毯。しっかりとした椅子(というよりもソファ)や机が並ぶ玄関ホールは、すでに巨大な「応接間」に
なっていました。

 そこは「倶楽部」だったのです。それも、戦前の日本の産業をリードした紡績業界の幹部だけが(たぶん)会員になることができた。

 ロビーの本棚には、業界誌、総合月刊誌、新聞社系を中心とする週刊誌が常備してあります。あわせて、囲碁・将棋・俳句・短歌・写真などの趣味の雑誌が置いてあるのも、これぞ「紳士の社交場」というイメージです。地下はグリル(「会員並びにご同伴専用」 (1))になっていて、ランチは魚三種・肉二種があるのですが、値段はいずれも3〜5,000円代という「紳士価格」でした。あらかじめ料理毎におすすめワインが示してあるのも、お客様に対する親切というのでしょうか。
 階段を上がると、飲食不可という「会員談話室」。雑誌類もなくて、談話そのものが目的となるような人々がきっと憩うのでありましょう。正面の暖炉の左の壁面は、高い天井まで色模様の焼き物タイルが敷きつめられています。右側の壁は(誰だか知らないがきっとこの倶楽部の偉い人の)肖像画が並んでいます。ふりかえると、壁にそって上りの階段がつけられており、登りきったドアの向こうには、(今は閉鎖されている)図書室につながっています。
 「特別室」は来賓の控えの間となる小さな部屋。ここでは戦前からの政財界の大物のサイン帖や歴史の教科書でしか知らないリットン調査団の写真やらが見学者用に用意されています。そして、そこから続くのが、扉一枚が数百万円もするというメインの「会議室」。もともと細長い部屋にあつらえられた中央の長いテーブルは、映画の中で貴族が食事をしている巨大なダイニングのような感じ。それとは別に、壁にそって秘書や通訳のための椅子が用意されています。この部屋の椅子は壊されても直せる者がもういないので、取り扱い注意とのこと。そんなこと言われなくても、どの調度も傷つくということを想像するだけで恐ろしいような風格があります。照明も、柱も、時計も、エレベーターの扉までが、とにかく豪華なのです。

 聞けば、同時期に再建された大阪城天守閣とほぼ同額の150万円(現在の費用で60−70億円らしい)の巨額を投じて建設されたといいますから、そのお金のかけ方はわかろうというものです。しかも、そのうちの100万円が当時の東洋紡績専務からの寄付という個人でまかなわれたというあたりも、戦前の紡績業の持っていた力というものを感じさせます。

 見学後のトーク(解説者は香櫨園倶楽部会員でもある建築家)によると、豪華であることはそのとおりなのだけれど、建築としてはいろいろな様式を「良いとこ取り」した不思議なデザインの建物だといいます。確かに、パンフレットによると玄関ホールは「イタリアルネッサンス調」、談話室は「イギリスルネッサンス初期のジャコビアン・スタイル」、特別室は「クイーン・アン・スタイル」、会議室は「アンピール・スタイル」 (2)とありますが、そのことがどれくらいどう「変」なのか、あるいは「アリ」なのか、手ごたえはつかみかねるところです。
 また、見学ツアーで見た他の作品にも、ビルの中腹の四隅にになぜかコンクリートの羊(かなりリアル)がいたりして(3) 、合理性では計り知れない村野藤吾のこだわりを見ることができました。といいつつ、建築に対する基本的な見方ができていないので、本当の意味をわからないまま枝葉末節の「あそこに羊がいるでしょう。不思議ですね。」というようなサービストークに反応しているだけではあるのですが。


 そんな私的には興味のない「本論」の建築の話はおきます。要は、この村野藤吾のデビュー作に近い戦前の名建築と、それをフランチャイズとする「日本綿業倶楽部」のありさまが、会員制倶楽部とは本来どのようなものであるのかということを、しっかりと教えてくれたのでした。「クラブ」というと、反射的に坂田靖子の「バジル氏」が思い浮かんでしまうのですが、バジル氏が「暇つぶし」に出かけていたクラブというのが、本当はこのようなものだったということなのでしょう。

 正直に言って圧倒されました。ここでひと時をすごす人々のことを本当の「紳士」だというならば、私たちがどんなにがんばったところで、しょせん「労働者階級」なのだと言うことを思い知らされたひとときでした。



 (1) 案内パンフレット「社団法人日本綿業倶楽部(綿業会館)ご案内」。毎月第4土曜日の午後に一般公開をしている   と、インターネット上の訪問サイトには書いてある。(パンフレットには、特に何も書いていない。)
 (2) 同上
 (3) 新ダイビル(大阪市北区堂島浜)


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