不可解なまでに手間がかけられている、自由にはじけたエッセイ集

                      ------こうの史代「平凡倶楽部」を読む(2010.12.19)


こうの史代の初エッセイ集とある。
「WEB平凡」に、おおむね4ページずつ掲載されていたものに、雑誌「わしずむ」に掲載された短い作品が集められているのだが、
とても、単なるエッセイ集と言ってしまえるような生易しいものではない。

エッセイ漫画あり、イラストまじりの文章あり、 備後絣の布地から袋が出来るまでをデジタルカメラで撮影したもの、
原稿用紙、五線譜、方眼紙を活用したイラスト作品くらいまでは、まだ普通だ。

万葉仮名かジェスチャーゲームかというように、奇妙な「絵文字」の入った文章、
印鑑を押すことで(濃淡をつけて)作成したイラスト作品、
 「水なのに油絵とはこれいかに」と言うだけのために描かれた滝の油絵など、
なぜ、こんなことまでやる必要があるのか不可解なほどに、手間をかけた作品が満載なのである。
(唐沢なをきの「怪奇版画男」を思い出させる手間のかけ方である。)

思えば、こうの史代は、これまでのマンガ作品でも、
手の込んだ伏線やなかなか気づかれないような細かい描写を作品に忍び込ませていた。
おそらく、気付かれない苦労をすることをいとわない人なのである。

また、「夕凪の街 桜の国」「この世界の片隅に」のヒットで、
こうの史代が戦争や原爆に特別な興味を持っていると思われたり、
いろんな側からある種の政治的な立場で見られしまうのが苦痛で、
エッセイという形で、自由に心情を吐露して「はじけたかった」のかもしれない。

もちろん、マチエールだけが面白いのではない。
深い洞察力と静かなユーモアで人間を描いてきた作品そのままに、読ませる文章を描いてくれる。

とにかく、誰でも読んで楽しくなること間違いなしの本になった。
分類すれば、ユーモア生活エッセイになるのだろうか。
このジャンルの本を絶賛することは珍しいが、絶賛したい。

ちなみに、私はp60の2段目「いいまわし」(とルビが振られた「ピカピカのまわし」の絵文字)がツボだった。



   新聞連載を見た人にこそお勧めしたい、魂のこもった絵物語

                         ------こうの史代「荒神絵巻」を読む(2014.11.18)


こうした本は、普通、世に出ないとしたものだ。

2013年3月から2014年4月まで、朝日新聞の朝刊に宮部みゆきの小説「荒神」が連載された。
こうの史代は挿絵を担当し、毎回、物語の展開に合わせた水彩画が掲載されていた。

連載終了後、宮部みゆきの小説「荒神」は、朝日新聞出版から単行本として出版されたが、
こうの史代の挿絵はカバーに使用されているだけで、本文中には使用されなかった。
通常、560ページにもなる小説本に、フルカラーの挿絵を載せるような余地はない。

私も、こうの史代が新聞小説の挿絵を担当すると聞いた当初は、なかなか名誉なことと喜んだが、
毎日一枚、数百枚にも及ぶ珠玉の挿絵が、結局、モノクロの新聞紙面に掲載されただけで、
日の目を見ることなく忘れ去られていくのでは、あまりにも惜しいというものだ。

そうはいっても、挿絵だけを集めて画集にしたところで、物語抜きでは何が何やらわからないし、
一枚ずつに説明的なタイトルをつけたところで、物語を知っていないと楽しめない。
できることなら、挿絵を活かしつつ、短い文章を添えた絵物語に仕上がればよいのだけれど、
小説を深く読み込んだ上で、短い文章に再構成するなどというのはたやすいことではない。

ところが、適任者がいたのである。
小説「荒神」と長く向き合い、物語を平易かつ効果的に構成して見せることをなりわいとし、
挿絵の意図もきちんと理解している人、挿絵を担当した漫画家・こうの史代その人である。

そんなわけで、最初からそういう予定だったどうかはわからないところだが、
宮部みゆきの小説を「原作」とし、こうの史代が「絵と文」を担当する「荒神絵巻」が
小説と同時に朝日新聞出版から出版された。

1ページは3段組みで、1段に1枚ずつの水彩画が並ぶ。
横長の絵の横には、9行×19字の短い文章が置かれている。
絵が助けてくれるとはいえ、後の物語の展開も考慮しつつ大切な言葉を拾いながら、
たった9行で物語を進めていくには力が要る。

物語は、宮部みゆきによる時代怪奇もの。
江戸初期、今の福島県あたりにあった小藩で、とある山すその村から人が消える。
調べるうちに、凶悪な魔物の仕業であるらしいことがわかってくる。

もちろん、こうの史代の上手さは、小説を短くまとめた文章だけではない。
二つの藩の武士と農民、旅人など入り乱れる登場人物たちを、
独特の色使いで、時に軽妙に、時に神妙に、時に優しく、時に薄気味悪く描き分ける。

この本で初めて挿絵を見た私でも、その美しさに目を見張るのだが、
新聞連載の折からモノクロの挿絵で見てきた人には、魂でも入ったように映るのではないか。

すでに見ている人にこそ、お薦めしたい。 そんな奇妙な一冊である。


   漫符の図鑑と、その実践としての現代版鳥獣ギガタウン

                      ------こうの史代「ギガタウン 漫符図鑑」を読む(2018.2.3)


いろいろ複雑な成り立ちの本である。

まず、「ギガタウン」というと、どこかの通販サイトのようだが、「ギガ」は「鳥獣戯画」の「ギガ」である。
登場するのは兎のみみちゃん、蛙のあおいくん、猿のきい子ちゃんとその家族たちで、
要するに、鳥獣戯画に登場した鳥獣たちが、現代の小学生として登場する。

かたや、「漫符図鑑」だが、その名の通り、漫画に付けられる様々な符合である「漫符」を、
具体例を使いながら紹介している図鑑であるということだ。

1ページに1作品の4コマ漫画がある。
右肩に、その漫画で使われている「漫符」が記されており、
その下には、その漫符が何を表現しているかについての「解説」が置かれている。
そして、そんな「漫符図鑑」である4コマ作品に役者として登場しているのが、筆で描かれたらしいギガの鳥獣たちなのである。

「漫符」を紹介するためという大義と、ギガの鳥獣たちで描くというシバリがあるため、
4コマ作品としての面白さとか、漫符図鑑としての有用性というよりも、
そんな趣向で一冊の本に仕上げた、こうの史代の漫画家力を賞賛すべきなのだろう。
制約があると、かえって燃え上がるようなところも、何ともこうの史代らしいところだ。

ところで、巻末におかれた6ページの「あとがき」マンガがなかなかに秀逸なもので、
さらりと書いているようで上手さもあり、よくできた教科書のように感服してしまったのだった。



   「あのとき、この本」に添えられている、「あの、ときこの本」

                      ------こうの史代・漫画「あのとき、この本」を読む(2018.2.25)


もともと「こどものとも0.1.2」というから2歳児まで向きの絵本雑誌に、「折り込みふろく」として連載されていたもので、
絵本作家、小説家、詩人などが絵本を紹介する「あのとき、この本」に、
こうの史代の四コマ漫画が添えられた見開き2ページが70本、 6年間に及ぶ月刊連載をまとめたものだ。

五味太郎、松谷みよ子、安野光雅のように自作についての思い出を語ったものもあれば、
谷川俊太郎、井上荒野、中沢けいのように子ども時代に与えられた本を語るものもある。
天野祐吉、今江祥智、古川タクらは大人になってから刺激を受けた本を紹介し、
宮下奈都、恩田陸、中脇初枝らは自分が子どものために読んだ本を紹介している。

こうの史代の四コマは「ときこの本」と題され、 (つまり、「あのとき、この本」には「あの、ときこの本」が併載されているわけだ。)
<本好きの高校生・ときこ>と<表紙に「本」と書かれた「本さん」>が登場し、
紹介された本の内容を受けつつ、それを少しずらした作品となって掲載されている。
ちなみに、「本さん」は言葉を発することはないが、 「本さん」が言いたいことは「本さん」のページに文字で書かれている。

最後に自らも本の紹介者となったこうの史代は
あとがきで、 「紹介文と紹介される本と、ひと月に二つずつの出逢い」と振り返っているが、
こうの史代の四コマ作品は、紹介された本についてのもう一つの紹介になっており、
読者は、こうの作品も含めた3つ目の出逢いができることとなる。

絵本とは縁のない暮らしなので、紹介された本の大部分は初めて知るものだったが、
周到に仕掛けられたこうの史代の四コマだけでも、 くすりとか、にやりとかしながら、十分に楽しめたのだった。



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