精神分析医・北山修としての禁をやぶった、きたやまおさむの自分語り

                                 ---- きたやまおさむ「コブのない駱駝」を読む(2017.2.16)

精神科医、それも精神分析を使って患者の心を分析する立場にある北山修は、
患者との信頼関係を築く上でも、おいそれと自分の心を明らかにできない立場でした。
そのため、芸能人や文化人としての活動を行う際には、
わざわざ「精神科医・北山修」とは別人格の「きたやまおさむ」を名乗るという、面倒な手続きを踏むようにしていたほどです。

そんな「きたやまおさむ」も齢70歳を迎え、大学人として一線を退くことが決まり、
臨床医としての活動は続けているものの、さすがに一区切りついたのでしょう。
「きたやまおさむ「心」の軌跡」という副題をつけ、自分の生い立ちや人生のいろんな場面での思い出を語った本を出すこととなりました。

内科医の父、薬剤師の母のもとに生まれた子ども時代。医師を志すかたわら、ビートルズに衝撃を受けた思春期。
医大生時代に結成したアマチュアの「フォーク・クルセダーズ」の解散と、
思わぬ「帰って来たヨッパライ」の大ヒットから始まった一年だけのプロ活動。
札幌医科大学での研修生活、ロンドンでの精神分析との出会い。精神科医としての臨床、九州での大学教員としての研究。
坂崎幸之助を迎えてのフォーク・クルセダーズとしての期間限定での歌手活動。そして、突然の加藤和彦との別れ。

前半は、いかにも「精神科医・北山修」が、慎重に言葉を選びながら 「文化人・きたやまおさむ」の生い立ちの分析を試みているようでもあり、
医大を卒業してからのイギリス留学から臨床医としての活動のあたりは、
功成り名を遂げた医師が若いころの迷いと苦労を振り返っているようでもあります。

そして、それらの期間を通じて、きたやまおさむの人生と重なっていたアマチュアから新結成までの「フォーククルセダーズ」については、
「きたやまおさむ」の多面性の象徴として、大切な宝物のように描かれます。

だからでしょうか。加藤和彦との別れに対して特に一章が割かれ、
フォーククルセダーズ解散後はミカバンドを始めとするオシャレな音楽で、常に日本の音楽界をリードしていたかに見えた加藤和彦が、
実は、人生の最後に至るまでフォーククルセダーズを大切にしていたことを、加藤の部屋に遺された物から明らかにします。

むしろ、加藤和彦への自分の思いに決着をつけるために、「きたやまおさむ」は精神科医としての禁を破って自分語りを始めたのであり、
自分の人生におけるフォーククルセダーズに対する思いを語り、「精神科医・北山修」時代にはどんな風にすごしてきたのかについても語り、
フォーククルセダーズの再結成、という加藤和彦との再会について語り、
その直後の加藤和彦の喪失に対する空しさや哀しさを語りたかったのではないか。
そんな風にさえ思ったのでありました。

そんな「きたやまおさむ」の心を分析しようとする 「精神科医・北山修」の言葉に、
いくぶんかのもどかしさとともに、痛々しささえも感じたことも含めて。



    
      岩波書店サイト内「コブのない駱駝」紹介ページ                         
     Wikipedia 北山修ページ

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