「愛の物語」としての「探偵!ナイトスクープ」

                        ――― 松本修「探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子」を読む(2005.5.26に加筆)

 
あの名作「全国アホ・バカ分布考」で<どうでもいいことに真面目に取り組むこと>のすごさと素晴らしさを教えてくれた
朝日放送・松本修プロデューサーが、「探偵!ナイトスクープ」の生みの親としてナイトスクープの誕生から現在までを描いた記録である。
作る側だからこそ書けるような、見る側からは気づきにくい様々な思い出話が語られている。

例えば、「視聴者からの依頼に答える」というスタイルはもちろんのこと、
「カメラが先まわりをせず、探偵の後からついていくこと」「映像としての連続性は度外視して単に面白いシーンを無造作につないでしまうこと」
「素人の依頼者を出演者として同行させてしまうこと」「ビデオの登場人物に対して、スーパーテロップで突っ込みを入れること」などが、
ナイトスクープが始めた新しい試みであったという。

さらに、「突っ込みスーパー」は、「話している言葉をそのままスーパーテロップでフォローすること」に発展し、
今やバラエティ番組の常識にまでなっている。つまり、テレビの歴史を変えたということである。

また、見る側はどうしても探偵の活躍ぶりに注目してしまうが、制作サイドとなると演出したディレクターの側に目がいく。
あの名作、この名作を作ったのがあのディレクターであると紹介されていくと、
今まで考えたこともなかった(ビデオごとのディレクター名は紹介されないから考えようもないのであるが、)
個々のディレクターの個性や才能というようなも のが、だんだんと見えてくる。

スタッフ間のライバル意識も強く、あるスタッフは
「(監督たちがそれぞれ「組」を名乗っていた)日本映画の全盛期て、こんなんやったんとちゃうかなあ」と言う。
「おれは、自分がスピルバーグやと思ていけど、こんな近くにスピルバーグ、おったんか」と言ったあるディレクターの言葉は、
他のディレクターには負けたくはないが、相手の力もちゃんと認めている熱い関係をよく表している。

次々と紹介されるスタッフの番組にかける情熱を見ていると、
ナイトスクープという番組が優秀な映画監督たちが選りすぐりの作品を持ち寄ってくる映画祭のようにさえ思えてくる。
そして、そんな「お化け番組」であるナイトスクープを企画し、「浪速のスピルバーグ」である猛者たちを束ねているのが、
著者である松本プロデューサーなのである。

この本は、ナイトスクープに最も近い場所にいて、最もナイトスクープを愛しているであろう松本プロデューサーが、
再びナイトスクープファンに届けてくれた素晴らしい贈り物である。ナイトスクープを欠かさず見ているファンであるなら、まず読んでほしい。
そして、こっそりハンカチも用意しておくべきかもしれない。

なぜなら、そこには人に対する愛の物語があるからだ。



   * 引用は、いずれも「探偵ナイトスクープ!アホの遺伝子」(松本修・ポプラ社・2005)からである。

       ポプラ社サイト内「探偵ナイトスクープ アホの遺伝子」ページ
      探偵!ナイトスクープ公式サイト                  
      Wikipedia 「探偵!ナイトスクープ」ページ




    「方言周圏論」の現代の姿を提示したのかもしれない

                                 ――― 松本修「<お笑い>日本語革命」を読む(2011.5.22)

松本修と言えば、「全国アホ・バカ分布考」である。

探偵ナイトスクープ」のプロデューサーとして、「アホとバカの境界はどこにあるか?」という依頼に真剣に取り組み、
本格的に「アホ・バカに類する言葉の全国調査を行った。
しかも、その分布を丹念に見て行くことで、同じ言葉が京都を中心とした同心円状に並んでおり、
文化の中心である京で生まれた新しい言葉が、少しずつその周囲に伝搬していく、
という柳田国男の「方言周圏論」が示すとおりに分布していることを証明したのである。

その松本修が2010年に上梓したのが「お笑い>日本語革命」である。
もはや、時代は徒歩の旅人が新しい言葉を広めているのではない。テレビは、一瞬にして同じ言葉を全国に伝える。
伝わった言葉は、その言葉が持つ強さによって一気に使用されるようになり、新しい日本語として定着していく。

著者はバラエティ番組の制作に長く携わってきたことを武器に、
「どんくさい」「マジ」「みたいな」「キレる」「おかん」という、それまで日本で広く使われることがなかった言葉が、
もともと、どこで使われてきた言葉であり、いつ、誰が、どんな過程を経て、全国に広めていったかを丁寧に検証する。

もちろん、ただの読み物としても十分に面白い。
よもや、松本修本人が、「どんくさい」を全国的に流行させた張本人とは思わなかった。そのあたりのエピソードは、テレビ史的にも楽しい。
大阪の言葉が多いのは、著者が在阪局に勤務していたこともあるが、
明らかに東京で使っていない言葉によって「言葉の革命」が起きたことを、強く感じさせる効果もある。

したがって、この本は、テレビでおなじみのお笑い芸人ばかりが登場しているが、
実は「全国アホ・バカ分布考」の延長線上にある著作であり、柳田国男の「方言周圏論」の現代の姿を、新たに提示して見せたものなのである。
と、せっかくだから大風呂敷を広げておこうか。




       朝日新聞サイト内好書好日「<お笑い>日本語革命」評



    新書の姿を借りた、絶対に放映されることのないドキュメンタリー特番

                                    ―― 松本修「全国マン・チン分布考」を読む(2019.1.12)

30年を越えるバラエティ番組の老舗にして、その画期的な企画により、多くの劣化コピー番組を産んだ
「探偵!ナイトスクープ」の企画者にして初代プロデューサーである松本修の新著である。

すでに、松本修には「全国アホ・バカ分布考」という前著がある。
「探偵!ナイトスクープ」の依頼をきっかけに、全国の教育委員会に調査票を送り、
その結果をもとに、全国の「アホ・バカ」表現の分布を考察したもので、
18周にも達する方言分布の円は方言周圏論の貴重な検証例として学会を驚かせ、
松本が方言周圏論に基づき主張した「アホ」「バカ」の語源説は、
最新版の「日本国語大辞典」においても「語源の一つとして採用されているほどだ。

というわけで、本書である。
にしても、「マン・チン分布考」では下ネタみたいと思ったあなた、御明察である。
本書は、私たちが「マン・チン」と聞いて思い浮かべるモノの方言の分布を、
全国調査の結果に基づき、きわめて真面目に考察した350ページを越える大著である。

実は、松本は「アホ・バカ」の印税収入を使って調査と分析を続けており、
その中には「マン(=女陰語)」や「チン(=男根語)」も含まれていた。
しかし、方言周圏論を実証するには、その言葉が周圏的に存在しているだけは不十分で、
その「マン・チン」語が存在する地が京から離れているほど、
古い時代に京の地で存在したていことを証明しなければならない。

かくして、松本は、用例が豊富で使用年代が特定しやすい「日本国語大辞典」や、
作成年代がはっきりしているポルトガル人宣教師が作成した「日葡辞書」などを駆使し、
さらに、女房詞や近世随筆、春画の研究者などからのアドバイスも受けながら、
どんどん「マン・チン」語の年代や語源の特定作業を続けていく。

あわせて、東北言葉独特の鼻濁音が中世までは京でも同じ発音されていたことや、
「ハ」行を「パ」行で発音する奈良時代以前の日本語が沖縄の一部に残ることなど、
方言が古い言葉だけではなく、発声まで含めた古い日本語を遺していることに触れつつ、
かたや、方言分布から考えて成立しえない「マラ=梵語由来」説に対しては、
近代国語学の権威・大槻文彦が「言海」て採用した説であっても真っ向から挑み、
マラは平安初期には出現している和語である、と論破してしまう。

そんな学問的なアプローチをしつつも、
あるいは、松本の本意が女陰語をもっとおおらかに使いたいというところにありつつも、
松本は、「マン・チン」語に関する識見や経験談などを披瀝した協力者を紹介する際、
その人物が深い知識と高潔な人格の持ち主であるというエピソードを過剰に投入する。

それは、「マン・チン」語に関する知識や経験をためらわず披露してくれた 協力者の名誉を護ったり、
その発言の信頼性を高めたりするためのテレビ制作者らしい謝意を込めたエクスキューズであるとも思うのだが、
多分に、松本自身がそんな面倒な「手続」そのものを楽しんでいる風にも感じられた。

というのも、最後に置かれていたのは協力者が総出演した「妄想」の祝宴だったからだ。
この本をまるごと2時間くらいの特別番組にしたら、さぞ楽しいだろうとか、
しかし、言葉のタブーがある中、番組が制作される時代は当分来ないのだろうとか、
読んでいて、ワクワク感とやりきれなさがないまぜになった。

それでようやく気付いたのは、
本書は新書の姿を借りた、もしくは可能な限り文章で描いて見せた、
けっして放映されることのないドキュメンタリー番組だったということだ。

というのも、もともと松本はけっして根っからの学者などではなく、
むしろ、人々に喜びを届けること自体を喜びとするテレビマンなのであるから。



       集英社サイト内「全国マン・チン分布考」ページ

        
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