清原なつのファンならば手に入れてほしい単行本未収録作品集

                             ――――清原なつの「サボテン姫とイグアナ王子」を読む(2005.6.5)


「千利休」の好調に味を占めた本の雑誌社が発刊した清原なつのの単行本未収録作品集。
2004年の新作もあれば、作画グループの同人誌に掲載された30年以上前の作品もある。

「五月の森の銀の糸」「さよならにまにあわない」のような心の病を取り扱った作品や「ロストパラダイス文書」のようなホラー作品は、
コメディが多い清原なつのの単行本にはなじまなかったのもわからなくもない。

ちなみに「五月の」はGROUPに収録された短編なのだが、
描かれたのが「あざやかな瞬間」や「群青の日々」という青春恋愛コメディを発表し続けていた時期というのが驚きだった。
やはり、コメディを描き続けるとある種の反動で、こういう暗い作品を描きたくなるのだろうか。

もう一つのGROUP収録の初期作品「とまとジュースよ永遠に」は、清原なつのがまだ高校生当時の作品らしい。
アレックスってこんなところから始まったのかとか、やっぱり清原さんもポーにはまってたんだねとか、
ファンには嬉しくてたまらない一作になっている。

清原なつのを知らない人に薦める本ではないが、
清原なつののファンならば、絶対に手に入れて損はないという一冊である。




   20年たった花岡ちゃんと清原なつのと清原読者の成長物語

                             ――――清原なつの「二十歳のバースディ・プレート」を読む(2005.6.6)


というわけで、忘れ物BOXの2冊目である。
このうち半分は、1996-97年に連載された表題作。これがいい。

1976年に生まれた彩は二十歳。学生結婚した両親は、その二十歳ほど年長。
ちょうど1956年生まれの清原さん本人と重なる。
母親と同い年のワンルーム暮らしのいとこがいるので、こちらの方が清原さんの視線に近いのだろう。

この作品もまた、親の視線から見た子供の成長物語である。そして、清原読者の成長物語でもある。
メガネっ娘でもあるいとこのまみちゃんは、1996年に描かれた花岡ちゃんでもある。
彼女も、こんな感じで年齢を重ねていったのだろう。

こんな素敵な連載が、どんな事情で単行本にならなかったのかはわからないが、
とりあえずは単行本になってくれたことに素直に感謝しておこう。




   原作を知っているほど楽しめる、漫画らしく仕上げる構成の妙

                                ――――清原なつの「家族八景」上・下巻を読む(2008.3.16)


筒井康隆の名作「家族八景」を漫画化したものが、なぜか上・下同時に発売された。
エロ・グロ描写を含む原作だけに、なぜ清原なつのが描くのかとも思ったが杞憂だった。

もともと清原なつのは、生物学者の冷静な目線でヒトという生物の生理を描いてきた。
選りすぐりの醜悪な家族も、観察記録でも見るかのように淡々と描かれる。
家政婦の七瀬のような強い意思を持った少女を描くのも、 清原の得意とするところだ。

原作見比べると、地の文が多い前半部は うまく登場人物の言葉に置き換えて描いているし、
テレパシーはもとより死・発狂・抽象的イメージなどの表現を、きれいに描ききっている。
一見、筒井の原作どおりに流れるように描いたようにも見えるが、
実は清原が漫画として読めるように原作を構成し直しているのだ。

原作どおりなのに原作とは違う。
筒井自身が解説で「プロの仕事だなあ」というのも、うなづける。




   エロくて切ない交尾を冷徹に観察する生物学者・清原なつの

                                ――――清原なつの「人魚姫と半魚人王子」を読む(2009.1.25)


2006年から2008年にかけて連載されている「○○姫と××王子」と題された
姫と王子が結ばれるハッピーエンドの読み切り連作である。
本の雑誌社から出ている「サボテン姫とイグアナ王子」の表題作がこの連作の端緒となっており、
7pだった同作も30pにリメイクされている。

「人魚と半魚人」「サボテンとイグアナ」という取り合わせを見てもわかるように、
清原なつのの仕掛けは一筋縄で行くようなものではない。
ところが、とても折り合いがつくとは思えない設定の姫と王子は、
かつての清原なつののSF作品を彷彿とさせるような自由な感覚で、
いろんな障害をもろともせず、平然と結ばれるのである。

しかも、エロい。 二つの奇妙な生命体の交尾を、冷徹な生物学者が観察するかのようにエロい。
これもまた、清原なつのらしい世界かもしれない。
そして、最後は少し切ない。ああ、そうだった。これが、清原なつのだ。

この連作は、雑誌「flowers」に不定期ながら連載されている。
しかも、副題は「お伽ファンタジー1」とある。つまり、「2」があるということだ。これは吉報だ。




       思考実験としてのSFの中で、色気を感じさせる一瞬のカット

                               ――――清原なつの「雨降り姫と砂漠王子」を読む(2012.1.18)


どんな物語であるかは、すべて「あとがきまんが」に書いてある。

 お姫様たちは 趣味や仕事や野望や家業や伝統や伝説やら なんやかんやで 忙しく暮らしておりました
 いつか王子様が現れて 違う世界に連れていってくれることを 夢見ていたり いなかったり
 なんだかんだ 成り行きまかせの姫と王子の遭遇シリーズ

という「お伽ファンタジーシリーズ」第2弾である。

「お伽」的であっても、説話的にならないのは、「根が理系」であり、「根がSF」であるからなのだろう。
「趣味や仕事や野望や家業や伝統や伝説やら」で忙しいお姫様と旅の王子様を
特定の環境のもとに封じ込めた時、どのような反応が起こるのか、
そんな思考の実験室でとるべき態度は、真摯に観察することであり、
「教訓」などというバイアスで改ざんしようとすべきではないのだ。

それにしても、清原なつのは、 ときどきフッと思いもよらぬほどにエロい絵を描く。
たとえば、p42の一番下の横顔だ。 別に胸や性器があらわに描かれているわけではない。
ただ、横顔だけでもエロいのだ。大女優の名演技を思いおこさせる。

そして、そんな一瞬のカットに現れる「エロさ」の源泉もまた、
清原なつの独特の冷徹な観察眼からくるものなのである。



 

       和物の芸事を楽しむ清原なつのの悠々自適の日々

                             ――――清原なつの「ヤマトナデシコ日和」を読む(2014.12.18)


清原なつの本人による習い事体験を、軽妙に描いたエッセイ漫画である。
華道、陶芸、歌舞伎鑑賞、鵜飼鑑賞、盆踊り、書道と、主に和物の古典的な芸事を楽しむ日々が描かれている。

それにしても、この本の中の清原なつのは実に悠悠自適で、
美術館のガラス越しでしか眺められない名品に「チュウしたい」と、そのニセモノを作ったり、
毎年、仲間数人と「こんぴら歌舞伎」を観ては、帰りにさぬきうどんを楽しんだり、
実は、郡上おどりの免許を4枚も持っていたりしている。

もちろん、学究肌の清原なつのだけに、的確な解説をつけるとともに、それぞれのウンチクや裏話も盛りだくさんで、
その芸事をまったく知らない者でも、なんとなく楽しめてしまう。

清原なつのの中の人は、漫画家や研究職やらで忙しい日々を送っているのかもしれないが、
この作品を見ている限りは、とても楽にヤマトナデシコな暮らしをすごしているように見える。
まだ、清原なつのは世間でいう定年という年齢に達していないのだが、
理想の老後というのは、こんな姿をしてるのだろうか、などと空想してしまった。



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