演劇を語ることの出来た演劇人

                ----------追悼・如月小春(2000.12.19没,44歳)

 必ずしも感動させる舞台を作りつづけていた わけではありませんが、真摯に演劇を愛しつづける演劇人で
あった如月小春さんが急逝されました。

 「理論派」「実感派」という分類で言 うなら典型的な「理論派」で、(キーワードの一つでもあった)「都会の生活」
をあるがままにクールに「見つめる/認める」姿勢は、アングラという言葉に代表されるアウトサイダー的なそれ
までの演劇人とは違う新しさを感じさせてくれました。
 ちょうど、 「NOISE」を結成して評判になった時期は、「パフォーマンス」という言葉が流行してきた時期と重な
り、「VOICE PERFORMANCE」と題された一連の試みは、「中央公論」(1985年8月号)や「美術手帖」(1985年
10月号)がわざわざ紹介記事を載せるほどでした。
  しかし、冷たく提示するだけの「パフォーマンス」という形式を離れ、思いを物語に載せていく芝居に転ずる
と、その理屈っぽさがやや息苦しく、いつのまにか新作を見ることができなくなっていました。

 むしろ、同時に行ってきた演劇や都市 に関する発言が注目され、劇団主宰者、演劇ファン、都会人など、
さまざまな立場から、エッセイ、対談、劇評などの仕事を次々とこなしていきました。特に、劇評は、小劇場
第三世代の一人として、同時代・同世代の目線で語られており、その的確さは、痛快ささえ感じさせるものが
ありました。

 今でも忘れられない昔の講演会 (1)での一言があります。ちょうど様々なメディアが鴻上尚史に注目しだした
ころで、インタビューなどで鴻上はわざと「必ず笑わせます」と答えていたのですが、そんなことから「鴻上尚史
は笑わせるとばかり言っていて、テーマが見えない。鴻上にはテーマはあるのか、あるとすれば何なのか」
というような質問が会場からでました。それに答えて、如月さんは「鴻上は、単純にテーマを掲げることができ
なくなった現在の状況において、どうすればテーマを掲げることができるようになるのか、ということ自体を
テーマにしている」と、さっと言ってのけました。
 古い記憶ですから、どれだけ正確に再現でき ているかはさだかではありませんが、当時、「笑い」の中に隠し
た鴻上の照れ気味のメッセージを、如月さんが即座に、また明解に解きほぐしてくれたようで感服しました。
 
 さ「作る」側にも身を置くことで単に「見る」 側からでは届かない深さを持ち、演ずる側と同世代であることで
時代感覚も失わず、「作る」側にたっても「見る」側の立場を楽しみ続けていたような人でした。また、全国
各地で精力的に続けられたワークショップや、複数の大学で後進の育成に力を注いだことは、「見る」、「作
る」にとどまることをしらない演劇に対する深い愛情を感じさせてくれます。

 少なくとも「語る」という仕事につい ては、まさに「これから」という年代であり、果たすことのできたはずの
仕事の数々を思うと、あっけないなさすぎる幕切れと言わざるをえません。もう一度、今の都市、今の気分に
向かって語りかける新作も見たかったのですが、今となってはそれもかないません。

 最後に、初めての大阪公演のときに書 いた感想(NECO12号・1985.12.1)(2)が出てきましたので、その時の
わくわくした気持ちを思い出しながら引用します。(否定的になることでしか「評価」することができなかった
「若い」語り口ですが、当時のこだわりは感じられると思うので)

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   NOISE「DANCING VOICE」 〜扇町ミュージアムスクエア(1985.7.25-26)

 「ボイス・パフォーマ ンス」というから何なのかと思えば、19景に分けられた寸劇風の(あるいは、芝居のエッ
センスのような)ものを積み重ねたものだった。
 
 内容も奇をてらわず、悪く言えば少々優等生的に、「都市に住む現代人」を照らし出している。

  朝起きたら、身体中 に端子がついていた。赤や黄、青に緑、群青色のもある。首の後ろやくるぶしや脇腹
 など、 見えないあたりにさりげなくつけてある。動作にはたいして支障がないし、別に痛いというわけでもない
 ので
不快ではないが、やはり気になる。    (System)

  デデ パパ デデ パパ デパート
  にちよう び いいてんき おでかけ
  デデ パパ デデ パパ デパート

  でんしゃ こんざつ バス ラッシュ
  マイカー 渋滞 自転車 故障
  デデ パパ デデ パパ デパート   (Department Store)

  ぼくたちはとても仲 が良い
  だからあ いつがきらいだ
  時には喧嘩することもあるけれど
  たいていはニコニコと
  すぐ仲良くなる
  うわべだけ                 (Capitalism)

 ここにあげたのは各断章の冒頭部分だ が、このような 調子で、同じ白っぽい衣装を着けた役者たちが、時に
は独白調
に、時には集団で威勢良く、時には二人のかけあいで、各部分を演じていく。こうしたテーマが最も
はっきりと出ているのが「都市」という歌。

  都市 それはゆるぎなき全体
  絶対的な 広がりを持ち 把握を許さず (略)
  個は辺境にあり ただ辺境にあり
  楽しみはあまりに幼くて
  ざわめきのみが たゆたいつづける
  こんな夜に 正しいなんてことが
  なんになるのさ

 個人的には、常識的とさえいえそうな 都市論よりも、「Information」と題された、言葉を意味から切りはなした
音声へ返して発声するという実験の方が興味深かった。(この人の独自性は、こうした音のおもしろさで言葉と
肉体をつなぐところの方にあると思う。)

  わ / わわ / わわわた / わた / わたし / わわ / わたし / わたしが / がが / ががが / がこ /
   わたしがこ /がここ / ここ / ここに / ここにい / い / いる / こ / ここに / ここにいる / が / がこ /
   たしがこ / わ /
わたし / がここ / ここに / いる / いること / を / をし / をしら / をしらせ / せ /
  せせ / せせた / ら /
らせた / たい / た / たい

 これを順番 に叫び、最後は全員で叫ぶ。
 それにしても、身体をつかう表現になると、 どうして女性はのびのびとするのに、男性はこわばってしまうの
だろう。


 (1) 「日本ペンクラブ土曜セミナー・昭和63年12月17日・阪急ファイブオレンジルーム・700円」というチケットが出てきた。昔は物持ちが
   よかったのだ。

 (2) この感想を書くにあたってなされている如月小春「DANCING VOICE」の引用は、「中央公論」(1985年8月号)・「美術手帖」(1985年  
  10月号)によっている。

 *  私の所有する如月小春の著作
     「工場物語」(戯曲集・「工場物語」「光の時代」収 録・新宿書房・1983)
     「如月小春のフィールドノート」(演劇をめぐるエッ セイ集・而立書房・1984)
     「はな子さん、いってらっしゃい」(都市をめぐる エッセイ集・晶文社・1984)
     「DOLL」(戯曲集・「DOLL」「トロイメラ イ」「LIFE」収録・新宿書房・1985) カバーイラストが大島弓子!!
     「私の耳は都市の耳」(都市をめぐるエッセイ集・集 英社・1986)
       「MORAL」(戯曲集・「MORAL」「ISLAND」「SAMSA」・新宿書房・1987)
       「都市民族の芝居小屋」(演劇論、「MORAL」の作業ノートなど・筑摩書房・1987) サイン本
     「はな子さんの文学探検(対談集・糸井重里、高橋源 一郎、島田雅彦、木野花など・集英社・1988)
           「鏡の中の人間」(サイエンス・インタビュー集・BNN・1988)
     「東京ガール」(東京をめぐるエッセ イ集・PHP・ 1989)
      CD「都会の生活」(全編如月小春作詞、作曲も手がけた劇中歌も・キング・1987)  

    こうして並べると、よく読んでいる。

 * 高等学校国語教科書「展開現代文」準拠「指導資料」第一分冊<T部-随想・評論編>(桐原書店・2004)に、
  単元・随想U−如月小春「<からだ>の情景」の「参考資料」として転載されました。(たぶん、2006年くらいまで)

   Wikipedia如月小春ページ 

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