今も、樹村みのりは社会を語ろうとしている

                             ――――樹村みのり 「彼らの犯罪」を読む(2009.4.5に加筆)

 
 1990年代の樹村みのりというと、少女マンガ雑誌への掲載が少なくなり、私のような不真面目なファンの視界か らは消え失 せているような状態でした。この本は、そんな1992年〜93年に「ROSA」「Bell ROSA」という少年画報社から出ていたレディース誌に掲載さ れた3作と、1990年 〜92年に性教育誌の「Human Sexuality」に掲載された数ページの連作を集めています。

 表題作を含めた
「ROSA」に掲載された3作は発表時に日本で起きていた事件や問題を扱っているもので、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」「高校教諭による長男殺人事 件」の 傍聴記と、私有財産を捨て理想郷を建設するという「ユートピア会」の洗脳体験を取り上げています。
 傍聴記については、ともすれば著者による断罪になりかねない事実をルポライターの視線で整理し直す形式ではなく、あくまでフィクションとして描こうとし ています。主人公も「出版社に勤務するわたし」や「パートタイムでタウン誌の編集をするわたし」です。そして、事件について「わたし」と語り合う複数の人 物を登場させることで、事件を複数の異なる目線で多角的に捉えることができるように配慮しています。特に、女子高生の事件では、被害者の尊厳を失いかねな いような表現は注意深く取り除かれており、あくまで犯罪を犯した 「彼ら」の側に視線を集まるようにしています。

 樹村みのりがデビューしたのは1964年、まだ中学3年生でした。
 当時から社会問題への関心は深く、中学2年の夏休みに「戦争中のポーランドを舞台としたマンガ」や「アメリカの黒人の女の子と白人の男の子の話」をりぼ ん編集部に持ち込んだのだといいます。
(1) その後も、(編集部の意向にそった)子どもたちを描いた作品を発表しながら、要所要所でジェノサイドやベトナム戦争などの問題をとり あげてきました。
 そして、樹村みのりも強く影響を受けたであろう「若者たち」による全国的な異議申し立ての運動は「大人になること」で終息し、現実の生活との折り合いを はかることとなる中で、樹村みのりの作品も「一人の女性として、どう生きるか」という方向に転ずるようになっていきました。

 そのような意味では、この本に描かれた社会問題を取り上げるというスタイルは、いわば先祖がえりのようなものといえましょう。樹村みのりにとっても、 1990年代になって改めて周囲を見回してみると、若いころに外国でおこったさまざまな問題が理解できず許せなかったのと同じように、今、日本という国で 起きている様々な事件が理解できず許せないものであったのでしょう。

 そんな中で、いささか意外でもあり、その分興味深かったのは「ユートピア会」への告発です。
(2)
 エコロジーを目指し、共同生活による理想郷を作るという考え方は、それまでの作品から垣間見えていた樹村みのり の理想や考え方と良く似ているように感じられたからです。それだけに、ことさら厳しい論調で正面から告発しているということに驚かされたのです。
 そもそも樹村が描いてきたものと近い所にあるように「見えた」からこそ、つい合宿講習会に参加するような友人もいたのかもしれませんし、外から「見えて いたもの」と中を垣間見た人による「現実」の違いがはっきりと見えてしまったことによって、ことさらに裏切られたという強い思いが生まれ、より厳しい論調 で告発する形になったのかもしれません。

 それはそれとして、今もやはり樹村みのりが社会に目を向け、語り、理解しようとしていることに妙に安心しましたが、実は、これらの作品もまた20年近い 前のものであったりするのでありました。
(3)
 最近、時間がたつのが早すぎて困ってしまいます。


 
  (1)  樹村みのり「ピクニック」(1979・朝日ソノラマ) あとがき。「戦争中のポーランドを舞台としたマンガ」は「雨の中の叫び」として、「アメリカの黒人 の女の子と白人の男の子の話」
   は「ふたりだけの空」として発表され、どちらも「ピクニック」に収録されている。 
  (2) 「夢の入り口」は樹村みのり自身により自主出版がされており、そこには「ヤマギシ会特別講習会(特講)について」のサブタイトルがつけられ、 作中の「ユートピア会」がヤマギ
   シ会を指すことを明示してている。
  (3) 
当の樹村みのり「彼らの犯罪」(2009年・朝日新聞社)の腰巻には、「“裁判員制度”を予感する著者渾身の 作品群!!」とある。どうなのだか。



       少女マンガ家も死の準備をする時代がやってきた

                            ――――樹村みのり 「見送りの後で」を読む(2008.1.9に加筆)

 樹村みのりの新作単行本は、約20年ぶりになりそうです。
  しばらくフェミニズム系の雑誌や単行本に描くことが多かったのですが、 2006年になって、雑誌「夢幻館」で定期的に作品を発表するようになり、 ようやく少女マンガの世界に戻ってきてくれたようです。

 この本は、「夢幻館」に掲載された新作三本と、 単行本にならなかった旧作二本を集めています。
 表題作は、親を「見送る」ということをテーマにしたものです。 いつも「なぜ生きるのか」「どう生きるのか」と考えてきた樹村みのりだけに、 「どう死を見送るのか」「どう死を迎えるのか」に向かうのもうなづけます。
 女性学者が、年齢を重ねるほどに老人学に向かう傾向にあることとも、 重なるところがあるようにも思います。 萩尾望都が「バルバラ異界」で、竹宮恵子が「ブライトの憂鬱」で、 親の目線から子ども成長を描くという作品を描いていますが、 死や老いを描くということも、少女漫画家の行き着く先の一つなのでしょう。

  「星に住む人々」は、1976年に発表された同名の作品をリメイクしたものです。 樹村本人を思わせる高校生が美大を卒業し恋人となるらしい男性と出会うまで、 あるいは、反戦運動が急速な盛り上がりと急速な終息に帰着した中で、 ベトナム戦争が終わるまでを描いています。
  旧作と見比べると、セリフの改変はほとんどありません。 ページ数は35ページから41ページと増えていて、見やすい構成になっています。 「当時は思いどおりの絵が描ききれず、ずっと心に引っ掛かっていました」 というコメントが作品の後ろに載せられていましたが、 新作の洗練された線に技を感じる一方で、 旧作の力強い線もけっして悪くないと感じました。

 旧作の単行本でも、ベトナム戦争を 「どうにか自分のまんがの中に入れたいと思っていた」という言葉がありました。それほどに、樹村みのりとは精神的に近い場所にある作品なのでしょう。 掲載誌も版元の朝日ソノラマの会社清算により存続が危惧されていましたが、 親会社である朝日新聞社が受け継いでくれるようです。
 今後も、樹村作品を掲載し続けてくれると、なお嬉しいのですが。

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