面接試験を受けるかのような新しい才能としての萩尾望都

                      ―――「マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都対談集 1970年代編」を読む (2012.4.22)

萩尾望都のマンガ以外の仕事がどんどん出版されている。
この本は、1970年代後半に、雑誌などの特集で行われた対談を集めたものだ。

当時の萩尾望都は、「ポーの一族」「トーマの心臓」といった初期の名作を描き終え、
光瀬龍原作の「百億の昼と千億の夜」やブラッドベリィの短編のマンガ化に取り組みながら、
雑誌「奇想天外」でSFショートショートを発表していたころだ。
つまり、萩尾望都が少女マンガの枠を超え、SFの描き手として注目されはじめた時期である。

それゆえ、27歳から29歳の萩尾望都の対談相手には、
すでに日本SF(マンガ)界の巨匠だった手塚治虫(49歳)・石森章太郎(39歳)・小松左京(46歳)・松本零士(40歳)に、
少女マンガの先輩格にあたる水野英子(37歳)や、ほぼ同期の美内すずえ(27歳)、
24年組周辺のマンガ家とその読者の美意識に強く影響を与えた寺山修司(42歳)と、豪華な面々が並ぶ。

特に、SF界の第一線で活躍している人たちとの対談では、
SFという新しく狭くマイナーな世界に、少女マンガというさらにマイナーな世界から、
萩尾望都という新しい才能を持った若い女性が登場したことで、
本当に自分たちの仲間にできるかどうかの「面接」をしているかのようになった。

しかし、話題の方向が1970年代後半という時代を感じさせるところもあって、
神様・手塚治虫が、女性のSFの書き手の人が少ないことを嘆く一方で、
ふっと、「あなたの場合、ご主人ができると、あなたがメシスタントになるの?」 というような発言もしたりする。

当時の社会通念からすると、第一線で創作活動を続けようという女性には、
寺山修司に語ったように、結婚生活をあきらめ、
「少女漫画家のみんなで資金をだしあって、将来、養老院のマンションを建てよう」
という人生モデルしかなかったのだろう。

最後におかれた羽海野チカとの語り下ろしは、唯一、対談者が見上げる目線で、
30数年前の萩尾望都と現在の萩尾望都を上手くつないでくれている。

また、挿入されたカットにつけられた解説文が的確かつ秀逸で、
作者の想いや時代背景、技術的な側面などを補足しながら、
対談者が伝えきれなかったことを読者に伝えてくれる。

それにしても、筋違いを承知で言うのだが、
写真の中の20代の萩尾望都が、なんと瑞々しく、かつ、神秘的であることか。

ところで、手塚治虫との対談の中で、萩尾望都にニューウェーブSFを
「砂浜にすわって、自転車の前輪と後輪の関係について、考えをめぐらす」
と紹介した「佐藤さんって友達」(p24)というのは、
きっと、当時、大泉サロンに出入りしていた佐藤史生のことなのだろう。
こんなところで名前が出てくるのも、一つの供養であるのだろうと感じさせられた。


    インタビュアーと化した知の巨人と、ふと言葉にした炭坑町のこと

                     ―――「コトバのあなた マンガのわたし 萩尾望都対談集 1980年代編」を読む (2012.7.29)

1980年代の萩尾望都は、31歳から40歳。
前半は、長編「メッシュ」「銀の三角」を発表し、 問題作「半神」「エッグスタンド」などの短編を経て、
後半は、長編「マージナル」などを発表していた時期にあたる。

対談相手は、詩人にして思想界の巨人・吉本隆明(57歳)、
「半神」の脚本・演出を手掛けた若き小劇場の旗手・野田秀樹(29歳・32歳)、
「百億の昼と千億の夜」の原作者にしてベテランSF作家・光瀬龍(56歳)、
伝説の雑誌「血と薔薇」に「吸血鬼幻想」を書いていた評論家・種村季弘(47歳)、
ブラッドベリをめぐる鼎談では、翻訳家の小笠原豊樹(49歳)、 「火星人先史」で知られるSF作家・川又千秋(33歳)といった、
いずれもコトバを扱う第一人者たちである。

すでに萩尾望都は、少女マンガ界の顔ともいえる存在になっており、
萩尾望都らの登場によって大きく変化した少女マンガ表現も含めて、
もはやコトバの世界に暮らす人たちにとっても、
萩尾望都のことを知らないでは済まされないような存在にまでなっていた。

特に、かの吉本隆明にいたっては、(二人の娘からの影響もあったのか) 評論家として対峙する以上に忠実なインタビュアーと化し、
ネームの切り方、1日24時間の時間の使い方に始まり、 なぜ、ある時期からシリアスな作品を描き始めたかや、
なぜ、少年と少年の同性愛だったかまでを、萩尾に問いかけてくる。

対する萩尾望都の方も、時代を代表する知の巨人から直々に尋ねられたために、
きちんと自分自身や少女マンガについて理解してもらわねばならないと、 誠意を尽くして手の内や心の内をさらしてくれた。
他の対談においても、コトバの人たちに対して臆することなく、
異なる分野ではあっても同じ表現者として堂々と渡り合っている。

巻末には、ブラッドベリの文庫に向けて書かれたエッセイ(これも、80年代のもの)に、
後輩マンガ家・伊東理佐との語り下ろし対談もある。

作品では下ネタも辞さずの伊東理佐だが、それゆえにか、妙に恐縮している。
逆に、萩尾望都は、伊東のおおらかな地に足がついたエッセイマンガを高く評価し、
「私、炭坑町育ちですけど、炭坑町のこと描けない。まだ全然整理がついていない。」
という重い発言をぽろっと出してくる。

近作の「なのはな」で、萩尾は原発事故という判断が難しい社会テーマを取り上げながら、
事故に対する深い悲しみや、そこに暮らす人たちのに指し示すような希望を描いても、
原子力発電に対する感情的な拒否反応を示していない。
このことについて、以前から、根拠はないのだが、
炭坑町に育ったという萩尾望都の成育歴から来ているのではないかと私的に考えていた。

炭坑は、大量の労働者とその家族に厳しく苦しい生活を強いた上で、
日本の戦後復興や高度成長の基盤となる石炭を産出していた。
などという教科書どおりの言葉では、とても説明しきれない現実があって、
日本を代表する表現者である萩尾望都をもってしても、
「まだ、全然説明がついていない」と言わしめるものほどのものであるものらしい。

そんな炭坑町で、萩尾は労働者ではなくホワイトカラーの側の子として育った。
萩尾が「なのはな」のような社会的なテーマと向き合う時、
あるいは、そもそも原発・放射能をテーマにマンガを描きたいという強い思いの中に、
「全然整理がつかない」と言う萩尾自身の炭坑町体験があって、
誰も見ることができない原発の町に、自分が毎日見てきた炭坑町の矛盾を重ね、
その結果として、怒りを抑制した悲しみや希望の物語に至ったのではないか。

私たちが「なのはな」に始まる一連の作品から感じるもどかしさには、
「まだ全然整理がついていない」という炭坑町の問題をめぐる
萩尾自身の心情が垣間見えているのではないか。
そんな風に感じられるのだ。

そして、そんな「特別な言葉」を発見できるというのも、
つい本音を語らせてしまう対談の効用なのではないかとも思うのである。


    年下の表現者のファン目線を受け止める萩尾望都

                    ―――「物語るあなた 絵描くわたし 萩尾望都・対談集 1990年代編」を読む (2013.1.20)

1990年代の萩尾望都は、41歳から50歳。
ほぼ「残酷な神が支配する」を描いていた時期に重なるが、それ以上に重要なことは「1989年以後」であるということだ。

1989年は元号が昭和が平成に変わった年であり、昭和史的には美空ひばりも亡くなった年だが、
マンガ史としては、巨人・手塚治虫が亡くなったことで、けっして忘れることのできない年である。
そして、より萩尾望都に引きつけていうならば、
「朝日ジャーナル臨時増刊号 手塚治虫の世界」の巻頭に、萩尾望都がカラー口絵を描き、
あくまで、朝日ジャーナルによるものだが、マンガ界のトップランナーのバトンを、
手塚治虫から萩尾望都が引き継いだと認定された年でもある。

それゆえ、90年代の萩尾望都の対談は、それまでとは大きく趣が変わる。
70年代では、少女マンガ界に登場した若き才能である萩尾望都を、
手塚治虫を含めた先輩男性作家が値踏みするような対談だった。
80年代では、萩尾望都という才能については既に知られているものの、
よくわからない萩尾望都や少女マンガ界を手さぐりにするような感が強かった。
しかし、この90年代では、すでに萩尾望都自体が権威だった。

対談者は、関西独特のだるいゆるさの発信者にして万能の奇人・中島らも(39歳)、
「陰陽師」でも知られるバイオレンス系小説家・夢枕獏(48歳)、
「トーマの心臓」を小説化した小説家兼工学博士・森博嗣(42歳)、
コバルト文庫で活躍した元祖ライトノベル作家・氷室冴子(36歳)、
大泉サロンにも出入りしていた少女マンガ家仲間・ささやななえ(47歳)、
シュルレアリズムの伝道師にして文化批評家・巌谷國士(52歳)。

対談者のうち、6歳年長の巌谷國士以外は、皆、萩尾望都よりも年下になっている。
おそらく中島らも以外は、皆、萩尾望都の愛読者であり、
森博嗣や氷室牙子のように、萩尾望都の影響を受けていると公言する者さえいる。
90年代の部分と、今回の語り下ろしである東村アキコとの対談との間に、ほとんど落差が感じられないほどだ。

あとがきで、萩尾望都が「編集者の熱意」として絶賛していたのだが、
ささや作品の中にある萩尾望都・竹宮恵子・山田ミネコが描いたコマを探し出したのは、
きっと資料協力の「図書の家」の人たちが大きくかかわっているに違いない。
確かめたわけではないが、そういう仕事をいとわずにやりとげるという信用はある。

最後に「この対談集、まだ続きます。」とあるので、 あと1冊なのか、2冊なのか出版されるようだ。
楽しみにしながら待つとしよう。


    萩尾望都の初期作品は、若き表現者たちの教養であるかの如く

                    ―――「愛するあなた 恋するわたし 萩尾望都対談集 2000年代編」を読む (2014.8.24)

2000年代の萩尾望都は、51歳から60歳。
前半は「バルバラ異界」、後半は「ここではないどこか」シリーズを描いていた時期である。

対談者は、マニアックSFネタと美少女で知られた同世代の漫画家・吾妻ひでお(57歳)、
萩尾デビュー後生まれの「大奥」で知れるボーイズラブ系少女漫画家・よしながふみ(35歳)、
萩尾読者として育ち、萩尾譲りの幅広い作品世界を展開する小説家・恩田陸(42歳)、
「トップをねらえ」「ナディア」を経て「エヴァ」で社会現象となったアニメ監督・庵野秀明(40歳)
ロンドンの映画学校で「半神」を卒業制作で撮った映画監督、脚本家・佐藤嗣麻子(36歳)
「はいからさんが通る」でおなじみ、デビュー時代からの漫画仲間・大和和紀(56歳)
「月の子」など硬質なSF大作で知られる漫画家・清水玲子(41歳)
そして、語りおろしは、萩尾望都も大推薦の「テルマエ・ロマエ」で売り出した漫画家・ヤマザキマリ(47歳)

もはや、萩尾望都は漫画界をはじめとするサブカルチャー全般からリスペクトされる存在だ。
10歳以上年下の若い対談者は、ちょうど萩尾望都を子どもの読者として発見した世代だ。

たとえば、よしながふみは、今市子の言葉として「グレンスミスの呪い」という言葉を紹介する。
すなわち、「グレンスミスの日記」がたった24ページであるにもかかわらず、濃密なドラマが描かれていることから、
少ないページ数でもたくさんの情報を入れねばならないと思いこんでしまい、
その影響で自分の作品のコマも小さくなったというものだ。
恩田陸は、萩尾望都のファーストコンタクトが初期SFの「ドアの中の私の息子」だったと語る。
10代からイタリアで暮らしたヤマザキマリは、少女が海外に飛び出す「ケーキケーキケーキ」に影響を受けたという。

同世代との対談でも思わぬ発見がある。
大和和紀が40代で出産し、育児漫画も発表していたとは、全く知らなかった。
そして、吾妻ひでおとの対談漫画で暴露されていたのは、 萩尾望都が昼食にワイン1本をあけるほどの酒豪という逸話で、
萩尾自身も、「そのころのわたしにとって酒は水であった」と書いている。

そんなファン目線やら、同業者目線、若いころの苦労話など、
いろんな側面から萩尾望都像が垣間見られるエピソードが満載の2000年代なのだった。

トップ       書評