あのイントロを聞けば心が震えるように出来てしまっている

                             ――― 映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見る(2019.1.7)


思わぬ大ヒットで話題の映画である。

1970年代に10代をすごしているだけで、洋楽を聞 かない私のような者であっても、
Queenの楽曲は自然に聞こえてきたし、中でも「ボヘミアン・ラプソディ」には、その荘厳さと美しさに圧倒された。
そんなわけで、1975年の「ボヘミアン・ラプソディ」の発表から40年以上、
1991年のフレディ・マーキュリーの死から数えても30年近くが経過した2018年に、
フレディ・マーキュリーの評伝映画「ボヘミアン・ラプソディ」が作成されたことは、私のような世代には喜ばしくもあり、懐かしくもあった。

物語は、いかにもな天才ロックシンガーの成功と変転と 再生の物語である。
Queen結成のきっかけになったフレディの歌声、才能見せつけるようなアルバム制作、
プロデューサーの反対を押し切っての大成功、そして、その結果として訪れてしまう孤独と放蕩。

ペルシャ系でインド出身という出自と、そんな民族や宗 教に誇りを持つ両親との葛藤、
バイセクシュアルの自覚していても続く、元恋人に対する身勝手な甘えなどが
フレディの精神を形作るものとして、Queenの物語と並行して描かれる。

作ったように劇的な物語なのだが、フレディがおおむね そんな人生だったので仕方ない。
とはいえ、知られている話も多く、あらすじを知っている物語を見ている感もあった。
逆に、Queenの成功のすべてをフレディの功績とするような脚色が、
若い人たちが鵜呑みにしないかというような、変な心配をしながら見ていた。

それでも、映画の最終盤に長い時間をあてられたライ ブ・エイドでの、
フレディが不敵に歩きまわりながら歌い上げ、音を断ち切るために拳を突き上げる姿は、
スタジアムと、それを埋め尽くす観客(なんと大量のエキストラ)の再現とともに、実際のライブ映像以上に感動的な仕上がりだった。

にしても、それは予算と時間をかけた大がかりなモノマ ネではないのか、という異議や違和感も否めないところだ。
では、なぜ、この映画に文句を言いつつも、心地よい気持ちになったのだろう。
考え続けていると、あの「ボヘミアン・ラプソディ」のイントロのピアノを聞けば、
自然に心が震えるように出来てしまっている、ということであるらしい。

本当のファンなら、もっと微に入り細に入り熱く語って くれるのだろう。
この程度しか語れないことが申し訳ない気持になるが仕方ない。
それでも、あのイントロを聞くと心が震えてしまう、同時代人の一人ではあるのだ。




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