ハート・ファウンデーション [Hart Foundation]
ブレット・ハートとジム・ナイドハートのタッグチーム。スピード&テクニックのヒットマンとパワーのナイドハート、というバランスの取れたチームでタッグ王座に幾度も就いた名コンビ。なお、97年にアンチアメリカを掲げて結成された「ニュー・ハートファウンデーション」はヒットマン軍の別名。

ハートブレイク・キッド [Heart Break Kid]
ショーンのニックネームで、HBK(エイチビーケー)と略されることが多い。そのまま訳すると「失恋小僧」だが、「女性を失恋させる罪深い男」というのが正しい意味。

ハートブレイク・ホテル [Heart Break Hotel]
ショーンが持っていたインタビューコーナー。この名前は、ショーンのニックネームのハートブレイク・キッドとエルヴィス・プレスリーの曲名から取ったものと思われる。

ハヤブサ [Hayabusa]
日本初公開のスウィート・チン・ミュージックの犠牲者。ちなみに、ここでのハヤブサは元祖の江崎英治ではなく、Mr.雁之助が一時期変身していたハヤブサである。

パワー・アンド・グローリー [Power & Glory]
ハーキュリーズとポール・ローマのチーム名。パワーのハーキュリーズとインサイドワークのローマ、というコンビ。

ハンター・ハースト・ヘルムスリー [Hunter Hurst Helmsley]
クリックの一員。5人の中では最もブレイクが遅かったが、今ではWWEになくてはならない存在にまで成長した。いつの間にか、HHH(トリプルエイチ)が正式リングネームとなっている。

ヒットマン [Hitman]
ブレット・ハートの通称。元々は「殺し屋」という意味だが、ブレットがベビーフェースのトップに君臨し続けるうちに「気高きヒーロー」というニュアンスの愛称へと変わっていった。

ビンス・マクマホン [Vince McMahon]
泣く子も黙るWWEのオーナー。プロモーター業を始めたのは祖父のジェス・マクマホンで、現在のWWEの母体であるWWWFを設立したのは父のビンス・マクマホン。ちなみにフルネームは、ビンセント“ケネディ”マクマホン。

ブリティッシュ・ブルドッグ [British Bulldog]
日本ではデイビーボーイ・スミスとして知られているイギリスのレスラー。ダイナマイト・キッドとのブリティッシュ・ブルドッグスは絶大な人気を博したが、シングルプレイヤーとしてはトップに立てなかった。ただ、サマースラム92でのヒットマンとのシングルは、WWFニュージェネレーションの到来を告げる名勝負であった。2002年5月17日、心臓発作により死去。

ブルータス・ビーフケーキ [Brutes Beefcake]
ホーガンの実弟という触れ込みだけで出世した男。インタビューコーナーを持っていて、ショーンとマーティ・ジャネッティとの決定的な仲間割れはここでのインタビュー中に起きた。

ブレインバスターズ [Brain Busters]
アーン・アンダーソンとタリー・ブランチャードのコンビ。マネージャーはボビー・ヒーナン。渋そうに見えて実際に渋いというコンセプトの分かりやすいチーム。テクニシャン系のタッグとの対戦では、玄人ファンを唸らせる名勝負を残している。

ブレット・ハート [Bret Hart]
通称、ヒットマン。文句なしに、ショーンの生涯における最大のライバル。90年代のWWFは、ショーンとヒットマンの熾烈なトップ争いに縮約される。ショーンとは、互いの実力を認めていながらも、プロレスの方向性の違い及びプライドの高さから、忌み嫌い合う関係となってしまった。レッスルマニア12でのアイアンマンマッチは90年代のWWFを代表する名勝負だった。

ベイダー [Vader]
96年にWCWからWWFへと移籍。最初の抗争相手のヨコズナが負傷すると、ショーンとの抗争を開始した。サマースラム96でのシングルでは、ショーンのスウィート・チン・ミュージックをカウント2で返すという強靭さを示すものの、ムーンサルトアタックで3カウントを奪われた。その後、WWFからはフェードアウト。

ヘル・イン・ア・セル・マッチ [Hell In A Cell Match]
籠状の巨大な金網でリングを囲い、完全決着を着けるという試合形式。が、第一回の試合でショーンが金網から脱出し、さらに金網から机に墜落するという壮絶なことをしたため、以後は天井の上から試合が始まったり、6人による試合があったりと、当初のコンセプトは薄れていくこととなった。

ホセ・ロザリオ [Jose Lothario]
来日にしたのは日本プロレスに一度のみで、しかも途中帰国だったためにあまり知られていないが、テキサスでは確固たる地位を築いた実力者。1983年頃に引退し、地元でレスリングスクールを開校する。そこにショーンが入学したことから、ショーンの師匠となる。96年にはショーンのセコンドに常についていた。

ボブ・ガイゲル [Bob Geigel]
レスラーであり、中西部地区の大プロモーターでもあった。NWAの会長を務めたこともあったが、1987年にはNWAを脱退し、カンサス州でWWAという団体を旗揚げした。

ポール・ダイヤモンド [Paul Diamond]
テキサスオールスターレスリングでは同郷のショーンとアメリカンフォースというタッグチームで活躍。その後、パット・タナカとバッド・カンパニーというタッグを結成し、CWAタッグ王座を3度、さらにミッドナイト・ロッカーズからAWAタッグ王座を奪取する。WWFではオリエント・エキスプレスとしてパット・タナカとのコンビを再結成した時期も。また、レスリング・アカデミーではコーチを務めていた。