技の話4「トラースキック」



日本とアメリカで名称が異なる技の一つに「トラースキック」があります。


この技の元祖は引退したグレート・カブキで、83年に日本に逆上陸したときから使いだし、あっという間に日本にも定着しました。

トラースとは英語で書くとthrustで、発音は“スラゥストゥ”となります。これが、発音しやすいようにと“トラース”となったのです。radio(レィディオ)をラジオと発音しているのと似ていますね。
thrustは「押し込む」という意味で、足を横に出して相手のアゴにめり込ませるキックを、上手く表現している単語だと思います。

トラースキックはアメリカでは主に「スーパーキック」と呼ばれています。
これは、テキサス州ダラス地区でカブキと同じ時期に活躍していたクリス・アダムスという選手が、カブキのトラースキックを盗み、スーパーキックと称してフィニッシュに用いたからです。
以降、ダラス地区ではスーパーキックが流行したとのことです。



さて、当代随一のトラースキックの使い手といえば、ショーン・マイケルズをおいて他にいない、と私は思います。
ショーンはトラースキックを「スウィート・チン・ミュージック」と称しており、初めてWWF世界ヘビー級を獲得したのもこの技でした。

若手の頃から得意技としていましたが、その頃は“終盤に差し掛かる頃合い”に主にカウンターで出しており、フィニッシュとしては使っていませんでした。
フィニッシュには他の技(変形バックドロップなど)を使っていたのですが、どれも今一歩完成させることが出来ず、繰り上がりの形でトラースキックをフィニッシュとして使うようになり、ようやくチャンピオンになれたのです。

フィニッシュ技を大事にするアメリカのプロレスにおいて、ショーンもトラースキックは「ここ!」という場面でしか使いませんでしたし、出す前には足踏みをしてリズムを取るなど、一工夫も二工夫もして使っていました。

ディーゼル・ビシャス・アンダーテイカーといった2m選手のアゴにも見事な一撃を決めていましたが、ショーンがどれくらい本気で(?)蹴り上げているかは、蹴った後にどの程度体勢が崩れているかでわかりました。
いろいろな試合を見ていると、やはり最大のライバルであったブレット・ハートには、キツイ一撃を見舞っているようです。
受身を確実にとり、試合の勝敗でも政治力でも争っていたブレット相手には、かなり本気で蹴り上げざるをえなかったのでしょうね。



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全日本分裂、その3



全日本が分裂してから、最初のシリーズが始まりました。

当然ながら川田の試合・発言には以前よりも注目が集まります。

渕も、「半年に一回くらい、鬼になって本領発揮。それ以外はラッシャーさんと抗争」というスタイルは完全に崩れ、連日若手やトップ選手と戦っています。


さて、ここで私が注目したいのはマウナケア・モスマンです。
一応は全日本所属という立場のようですから、繰り上がりで全日本NO.3の地位を得たことになります。

彼は97年にジュニアヘビー級王座を奪取、98年にはヘビー級に転向し、試練の七番勝負を行うなど、実に順風満帆に出世街道を上っていきました。
しかし、ここまでは全て馬場政権下でのこと。三沢政権に移行されるや、モスマンは一気に急落します。タイトル挑戦などはおろか、地方のタッグマッチでは志賀にしょっちゅうピンフォールを奪われるという始末。これは、「シリーズが終わるとハワイに帰るんだから(三沢はこれが気に入らなかった)モスマンは外人選手。ハンセン&スミス&モスマン組だったらモスマンがフォールを奪われるのが当然。志賀の方が先輩なわけだし」という考え方を三沢が持っていたことに起因するようです。


そういう背景があったからかどうかは分かりませんが、モスマンは全日本に残留する道を選びました(分裂騒動の時ハワイにいたから連絡が取れなかったことも原因のようです)。

残留し、自分の立場の重さを感じているのか、川田に「ケア(モスマン)が今までと違うんだよ。自分が頑張ろうって気があるから、前に前に出てくるでしょ」と言われるほどの活躍を見せています。ようやく自分にスポットライトが当たる状況がきたわけです。
最終武道館ではメインに立つわけですし、今後は川田の正パートナーの座につくかもしれません。前シリーズに秋山とのコンビで得た勢いを失うことなく、頑張って欲しいと思います。



ところで、天龍の参戦が決定して、大仁田の参戦拒否ということは、川田の意向なり希望が上の方に通っていると考えていいようですね。

天龍の電撃参戦が決定したわけですが、馬場さんは
メガネスーパー(SWS)に行った選手を、オレは絶対使わないよ」
と言っていましたし、三沢も社長就任会見で
(交流戦は)ウチと問題の無い選手に限る。それをやってしまうと全日本が全日本でなくなってしまうから」
と言っていました。とすると、天龍参戦は、まさに全日本の奥の手中の奥の手であるといえるでしょう。

確かに馬場さんの遺志に反することかもしれません。しかし、それを承知のうえでも「天龍vs川田」は見てみたいカードです。



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ケンドー・カシンはどう?



新日本のジュニアで異彩を放っているケンドー・カシンについて分析してみたいと思います。


カシンがアマレスの強者であったのは有名です。
プロレスラーになるためにアマレスを始め、アマレスの名門である光星学院から早稲田大学に進み、全日本大学選手権で優勝。しかしオリンピック代表決定予選では破れ、オリンピック代表という肩書きは得ることが出来なかった。このせいで、中西ほど注目されての入団にはならなかった。
ちなみに、アマレス時代は本当に一つの技しか使わなかったそうで、現在もかなり技の数の少ない選手ですが、昔からそうだったようですね。


さてプロになってからは、珍しく飛び技を使わない選手、というような印象で私は見ていました。
が、それよりも、気難しい男という印象の方が強いです。

新日本プロレスというのにかなり誇りを持っていて、テリー・ボーイ(現・Men'sテイオー)が新日本に参戦した時に「学生プロレスあがりと一緒にするな」と発言したことがありました。
また、ジュニアタッグのリーグ戦(94年)が行われた時も、石川雄規&船木勝一コンビの不甲斐なさ(関節技を看板にしてる団体なのに)に腹を立てたり、『神風』の安っぽいコスチューム(?)に半ギレになったりしたことがありました。
さらに、Uインターとの全面対抗戦が行われた10・9では、裸足でリングに上がった金原に難色を示していました。

また、ケンドー・カ・シンとして帰国第一戦(97年4月17日、対山崎一夫)では、妙にリズミカルなマウント掌底が観客の失笑を呼んでしまいましたが、その失笑が本人にとっては屈辱だったようで、
本当はすぐ脱ぐつもりだったけど、笑われたから、(今でもマスクを)被り続けてる」
と言っています。

とここまでだと、まっすぐに道を進まない、頑固者で近寄り難い(実際入場シーンで不必要に近づくと、突き飛ばされるそうです)といった感があります。


しかしそれだけでは終わらない所がカシンのすごい所です。
卓越したサブミッションの技術を持っていながら、イスやジュラルミンケース(!)を巧みに使いこなします。
さらに我々が想像できないようなセリフを残す人で、
今日の勝利は二瓶組長に捧げるよ」
どうせカットするんだろ。だったら撮るな」
優勝賞金はコソボに寄付する(実際にした)」
どうせ1人じゃ戦えないだろっ、だから親父連れて来いって」
バカヤロー! オレは今それどころじゃねーんだ。オレは興行の精算ををしなくちゃいけねえんだ。その金でお中元出さなくちゃいけねえんだ」
等は、強気のコメントをカメラに向かってがなり立てるだけの他のジュニア選手とは一味も二味も違っており、立派な個性となっています。
さらに、第3回Jカップ最終戦での10人タッグでは、“ちゃぶ台を使いたがらないキャラ”というのを立派に演じていました。

このように、なかなかプロレス心溢れる選手なわけです。



「頑固者」と「プロレス心を持っている」の相反する顔を持っていることが、一種独特なミステリアスさを出しているわけです。
これがカシンの魅力の1つ。


そしてもう一つは、アマレスの下地があってノールール系でも通じるんじゃないかという幻想(ヘンゾ戦が実現すれば、事実なのか幻なのかがハッキリしますね)を持っています。
とある講演会で「小川直也に対抗できる選手は?」ときかれた馳浩が石沢(カシン)の名をあげ、
彼は全く運動神経のない男なんですよ。でも筋肉の反射神経は、プロレスラーに限らず、オレがいろんなスポーツ選手を見てきた中で抜群のものを持ってる」
と言っています。
実際、石沢はアルティメットを観に、アメリカへ行ったことが会ったはず。

何かとPRIDEが勢力を増している昨今、ひょっとしたら藤田以上に大きな飛躍を遂げるかもしれませんね。



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AKIRA、頑張れ



AKIRAこと、野上彰について考えてみたいと思います。


まず簡単に彼のプロフィールを振り返ってみると、
84年10月、プロデビュー。
90年4月、欧州・プエルトリコへ遠征に。
91年8月、 獣神サンダー・ライガーを破ってIWGPジュニアチャンピオンに。
91年11月、ヘビー級転向
93年9月、 飯塚孝之(現・高史)とJJ・JACKS結成。
96年3月、 小林邦明との抗争の結果、平成維震軍に参加。
98年3月、長期欠場へ。
99年2月5日、札幌での蝶野の復帰戦で、ムービースター・AKIRAとして戦列復帰を果たす。わけのわからん試合だったが(AKIRAが入ってきたのに反則にならないし、武藤は控え室で応急処置した後の方が流血ひどいし、あげくにノーコンテスト裁定)、その意外性からインパクトを残す復帰となった。

となります。その後は蝶野と行動を共にしていますが、これといった実績は残せずにいます。

そこで、勝手にAKIRAがより話題の中心に立てるような案を、3つほど考えてみました。


1、蝶野とのコンビでタッグ王座を狙う
ズバリ、小川良成のようになるわけです。
今のT2000では蝶野・天山・小島が前面に出ているため、“6メンでの負け役”以上のポジションにはつけないでいます。そこで、蝶野の正パートナーになってみるわけです。
蝶野はIWGPシングルには一度しかついていませんが、タッグには何度も就いていて実績十分なので、もしタッグを組めれば王座を獲る力は十分にあると思います。

2、ジュニアヘビー級の壁となる
現在新日本ジュニアが打ち出しているのが「対ヘビー級」です。そこで、ジュニアヘビー級出身のAKIRAがジュニアの壁として迎撃する立場につくわけです。
2000年2月10日の金本浩二戦は、都合11シングルマッチでのベストバウトと言われる内容でした。何より元IWGPジュニア級チャンピオンであるわけですから、ジュニアの選手ともいい試合ができると思います。
ただ、この対ヘビー級路線がいつまで続くかは分かりませんけどね。

3、JJ・JACKS再結成
飯塚がブレイクした今、その勢いを借りて、かのブレイクしきれなかったコンビを復活させる。跳ぶ野上に、絞める飯塚。以前とは一味も二味も違ったチームになるはずです。
さらに飯塚の正パートナー(?)である橋本は、どうせ出てきてもドームでしか試合をやらないはずですから、飯塚にとってもいい話なんじゃないかと思うのですが………、有り得んだろうなぁ(笑)。



AKIRAのレスラーとしての最大の特徴は、体のバネにあるとおもいます。
決して大きいとは言えない体ですが、ドロップキック・ミサイルキック・トペスイシーダ・ムササビプレス・そしてラリアットに対する一回転受身、とその跳躍力はヘビー級ではトップクラスです。
マスクを被っているので、飛び技を連発しても、さしてイヤミには見えないはずです。だからこそ、AKIRAには飛び技を全面に押し出したファイトを期待します。

このままではヒロ斉藤と同じ道を辿ることになってしまいますから、どうかあと一奮起して、越中詩郎くらいまでになって欲しいと思います。



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全日本分裂、その2



前回のコラムでは川田に焦点を当てましたが、今回は、全日本プロレス中継の最終回についてお話ししたいと思います。


馬場さんが日本プロレスを離脱した理由は、幹部の放漫経営に嫌気がさした、というものでした。
特に日本テレビに義理を感じていたのに、あっさりとテレビ朝日に乗り換えようとした幹部の決定が最終的な離脱の理由だったそうです。

その後の全日本プロレスの旗揚げ以来27年間、日本テレビは中継番組を持っており、日本テレビは全日本プロレスの独占放送権を持つ代わりに、多額の放映料・肖像見権料を全日本に払っていました。
「テレビ局なしでは、プロレス団体の経営は無理だ」と馬場さんは言っていましたが、これは紛れも無い事実だったわけです。

その27年間続いてきた「全日本プロレス中継」も、この6月一杯で終了してしまいました。



その最終回の内容ですが(45分スペシャル)、前半では、三沢派の新団体設立会見と、川田と渕の次期シリーズに関する記者会見の模様を伝え、後半は通常通りの試合中継方式でした。

前半部分を見ると、日本テレビは三沢派と川田派に対し、中立の立場を保っていることが分かります。
…内容だけだと中立なのですが、「三沢派に、日本テレビから出向してる取締役がついた」 「三沢派を映すことは『全日本プロレス中継』の看板に偽りありだ」そして何より「放送が終了してしまう」ということを考えると、日本テレビは三沢派についたと見るのが普通でしょう。

旗揚げ以来放送してきたというのに、テレビ局ってのは随分とドライですね。




さて後半部分の試合ですが、私の印象に残ったのは、世界タッグ王座決定戦ではなくて、バーニング解散を賭けた「小橋&志賀vs秋山&モスマン」でした。
とにかく秋山の強さと志賀の弱さが際立った試合でした。


この試合を見て私が思い出したのは、98年世界最強タッグ決定リーグ戦での「三沢&秋山vs泉田&キマラ」です。
この前年の世界最強タッグ決定リーグ戦では、初めて2回総当たり制が採用され、その一度目の対決で泉田が秋山からピンフォールを奪ったのです。すでに世界タッグを獲っていた秋山を、未だアジアも獲ってなかった泉田が押さえたわけですから、金星と言えました。

しかしその後、泉田が負傷欠場している間に(しかも秋山との試合中の負傷)秋山は大きく成長し、二人の間に去年以上の差があるのは明らかでした。
その差を打ち消すべく、泉田はファイトしたのですが、気迫が空回りし、スピード・パワー・スタミナ・技のキレと全ての面で秋山が上でした。
最後は泉田を欠場に追い込んだジャンピングニーをあえてフィニッシュに持っていき、堂々の勝ち名乗りを受ける秋山、大の字のまま動けない泉田。両者の差がクッキリと出てしまい、私の目には、中途半端なデスマッチよりも、よっぽど残酷に見えました。

この泉田の姿と、今回の志賀がダブって見えたわけです。
泉田は少々体が締まっていませんが、志賀は痩せています。そういう見た目もあいまって、秋山が強過ぎるように感じられました。


こういう“残酷さ”を出せるのが秋山の特徴の一つでしょう。
レスラーとしてのセンスも万人が認めるところですし、コメント等も気の利いたセリフを思いつけますので、是非新天地では三沢・小橋を超えるような活躍を期待したいと思います。
記者会見での「永源さんと同じです」は、あまり誉められたものじゃありませんでしたけどね。



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