Lou Thesz |
パーソナルデータ |
本名 | 同じ |
生年月日 | 1916年4月24日 |
出身地 | アメリカ・ミシガン州バナット |
身長 | 191cm |
体重 | 102kg |
ニックネーム | 鉄人 |
得意技 | バックドロップ |
デビュー戦 | 1933年9月、対戦者不明 |
主要タイトル歴 | NWA世界ヘビー級、インターナショナルヘビー級、TWWA世界王者、UWA世界ヘビー級、NWAテキサスヘビー級 |
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略歴 |
16歳のときに地元セントルイスでデビュー。ジョージ・トラゴス、アド・サンテル等のコーチを受けて、21歳でエベレット・マーシャルを破り、早くもNWA世界チャンピオンとなる。48年のワイルド・ビル・ロンソン戦から55年3月22日のレオ・ノメリーニ戦まで前人未到の936連勝(引き分けをはさむ)という大記録を打ち立てる。日本でも57年10月7日の後楽園球場で力道山と歴史的名勝負を繰り広げた。結局、66年1月7日にジン・キニスキーに敗れるまで通算6度のNWA世界チャンピオンとなる。特に第38代王者(自身4度目)政権は7年8ヵ月もの長期政権となった。
その後もTWWA世界王座・UWA世界王座の初代チャンピオンとなり、また、馬場のインターナショナル王座の2度目の防衛戦・猪木のNWF王座の初防衛戦に来日するなど健在ぶりを示していたが1986年に右臀部の大手術を行い、それ以後、レスラーとしてはほとんど活躍していない。
名コーチとしても知られており、サム・スティムボード、ブラッド・レイガンズ、ムグエル・ペレスJr、ジャンボ鶴田、ブルーザー・ブロディ、蝶野正洋、田村潔司などにコーチをしている。2002年4月28日、心臓マヒのため死去、享年85歳。
“20世紀最大のレスラー”と呼ばれ、アメリカでのプロレスの最盛期を作り上げた、まさに「鉄人」である。 |
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雑誌「BRUTUS」1999年2月15日号より |
プロレスを考える時、いつも思うのは以上の4箇条だ! |
1、 |
プロレスは骨折競技ではない。芸術でなければならない。 |
2、 |
歴史を作っているのはレスラーであって、歴史家じゃない。 |
3、 |
プロレスラーに必要なもの? 心、技、体に決まっている。 |
4、 |
プロレスを幻想だと言うなら勝手に言え。子供たちにこんなに多くの夢を与えられる幻想ってほかにあるかね? |
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ルー・テーズのライバル達 |
テーズに “あなたの王座期間に挑戦してきたレスラーのベスト5を挙げて下さい” という質問をすると必ず返って来るのが、順不同で、ディック・ハットン、ジョージ・ゴーディエンコ、力道山、ダニー・ホッジ、カール・ゴッチの5人。それぞれのレスラーについて、テーズは次のように言っている。
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ハットン |
寝技だけを取れば、古今東西ハットンに敵うレスラーはいない。無論、私も含めてだ。 |
ゴーディエンコ |
全身のパワーがとてつもなく凄いレスラー。そしてゴーディエンコほどスタミナのあったやつはいない。どんな攻撃を仕掛けてもパワーでクリアされてしまう気がしたよ。 |
力道山 |
私のキャリアの中で、これほど短期間に、しかし壮絶にライバル関係にいられたのは力道山を置いて他にいなかった。とにかくキル・インスティンクト(殺意)に満ちたレスラーだった。 |
ホッジ |
試合中に殴り合いになれば誰にも負けない自信があったんだが、ホッジと殴り合いをするのは愚の骨頂だったよ。モハメド・アリは実際はハード・パンチャーではなかったよ。ホッジのパンチの方がはるかに強烈だったよ。 |
ゴッチ |
ゴッチさえいなかったら、私の王座はあと二年は長持ちしていた。本当に恐ろしい男だったよ。グレコローマンの技術と関節技の技術では、ゴッチは完全に私を上回っていた。 |
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ルー・テーズの師匠 |
テーズが最も尊敬するエド・ストラングラー・ルイスについては、
「皆が私のことを史上最高と呼んでくれるのは嬉しいが、史上最高は私ではなくルイスだろう」
と言っている。 |
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