2003.08.22up

夜明けには 2

上郷  伊織

◇ ◇ ◇

 蒸し暑い午後の事だった。
 いつものように学校帰りにアイツの家に立ち寄って、クーラーの効いた部屋の中で勉強会と称して俺達は互いの体温を確かめ合っていた。繰り返される、その行為は俺にとって気持ちの確認に他ならなかった。
 アイツからの愛情や俺に対する執着が形なく存在しているものだと思っていた。
 金の無い学生なんて、殆どがどちらかの部屋というのが逢瀬の場所になる。ご多分に漏れず、アイツの部屋はそういう場所だった。
 父親は仕事に明け暮れ、母親はカルチャースクールやスポーツクラブに通い続ける。
 両親が出掛けたきりのアイツの家は人の気配がまるでしなくて、いつだって俺は安心していられた。
 幸せな時間を送っていた。
 その日はスポーツクラブに行っている筈のおばさんが珍しく昼間に帰宅した。

 俺達はその時、いつものようにベッドで睦み合っていて・・・・・。
 ドアを開けた瞬間のおばさんの顔に酷く傷ついたのを憶えている。
 まるでバイ菌や害虫でも見るような目つきでおばさんは俺達の事、凝視してた。そして、悲鳴にも似た怒りを俺にぶつけた。
 あまり意味をなさない言葉の群れは、俺に向けられていた。「出て行け」だとか「たぶらかした」「汚い」などという侮蔑を含んだ言葉が矢のように降ってきて・・・・・・・・・・。何故だか、おばさんの後ろには同じような年齢の女性がもう一人いて・・・・・。
 その時は何がなんだか分からなかった。
 俺達だって、バレたらまずい事くらいは知っていた。
 でも、まさか目の前で半狂乱のおばさんを見る羽目になるなんて思ってもみなくて・・・・。
 その上、よくも知らないもう一人のおばさんが出てくるなんて。

 小さな町の出来事は瞬く間に噂となって広がっていった。

 翌日、学校へ行ってみると、俺の机には下劣な落書きが描かれていた。
 俺達の行為はそんなに醜くなんか無い。
 俺は叫び出したかった。
 そして机の中には牛乳漬けになったパンがギッシリと詰め込まれ、中身を処分しようと掴んだ先は悪臭を放つ液体がジトジトと手にまとわりつき、ネットリとした滴を流し始めた。
 様子を伺っていた奴等の中には、これ見よがしに笑い声を立てるもの。眉間にしわを寄せるもの。傍観するもの。それぞれの反応は、だが、どれも好意的ではなかった。
 アイツにも俺にもまともに話し掛けてくるクラスメイトなんていやしない。不思議な事に幼稚とも言えるイジメのターゲットにされたのは俺だけで、アイツに直接的な危害を加える者はいなかった。

 それでも、俺がアイツを好きな事に変わりはなくて。
 ひとつの醜聞で離れていくクラスの連中なんて要らないと、その時、俺は思った。

 でも、事はそんなに簡単には運ばなくて、学校だけでは終わらなかった。
 自宅に帰るなり、居間に呼びつけられ、「いつからオカマになったんだ」と親父は真剣に聞いてきた。
 オカマになんてなってなくて、俺の場合はアイツを好きになっただけなのに、親父には俺が男なら何でもいいように思えるらしかった。
 おれは必死に話したさ、それこそ真剣に。
 でも、「将来はどうするんだ」と聞かれたら、何も言えなくなってしまった。
 母は、こんな筈じゃ無かったと、一人台所で泣いていた。
 何の競争になってもこの子は勝てますように、そう祈って付けた名前が「勝利(かつとし)」だと母は耳にタコが出来るくらい聞かせてくれた。
 大事な長男が、そんなに苦労せずに人生の勝者になれますように・・・・・。
 何事にも躓きませんように・・・・・。
 そんな願いが掛かった名前だと親父も言った。
 高校に入る頃には第一志望に見事に落ちて、「名前負けだ」とからかわれたが、それでも母は笑っていた。

 お願いだから、泣かないでくれ。
 母さんを泣かせる為にした事じゃないんだ。
 俺は何度も心の中で叫んでいた。
 アイツを好きになってしまった事を、その時初めて悔やんだ。

 それから家族と口を利かない日が続いて、それでも母さんは俺に弁当を作ってくれた。
 以前の明るい笑顔の「いってらっしゃい」が聞けない日が続いていた。

 学校に行く理由はただ一つ、アイツの顔を見る為だけだった。

 しばらく離れていよう、って言われたから俺は素直に従った。ほとぼりが冷めるまでの我慢だと思って。
 もう、3年になっていたから、受験が終わって大学に入れたら、晴れて自由の身になれるなんて気持ちも頭の片隅にはあった。
 教科書や体操服を隠されたり、教室移動の連絡が来なかったり・・・・、そんな事にも慣れていく自分が不思議だった。
 俺にとって要らない人達がいくら危害を加えようとしても無駄なんだって、どこかで思ってた。
 いくらイヤな奴でも、いきなり殺すわけには行かないんだから・・・・・。

(俺は大丈夫)
(アイツがいてくれるから、きっと大丈夫)
 心の奥ではいつも呪文のように唱えていた。
 そう思っていれば、ホンの少し安心だった。



 そんな、ある日、近くに嫁いだ姉の文子が血相変えて我が家に飛び込んできた。
 噂を耳にしたらしく、えらく興奮した様が恐ろしかった。
 俺の首根っこを捕まえて、「あんたなんか、一生許さないからね!」そう叫んだ。
 それ程に忌み嫌われる事を俺はしたんだろうか?
 一番先に浮かんだのは疑念。
 その時の姉は激昂のあまり上手く言葉を紡げなくて、俺にも意味は伝わって来なかった。
 でも、一緒に来ていた甥っ子の真が言った言葉が俺を打ちのめした。

《かーくんはオカマじゃないよね?》

 誰に何処でそんな事を言われたのか、真は縋るような瞳をして言った。
 問い返すと、同じ幼稚園の子供にそう言われ、遊んで貰えなくなったらしい。

《かーくんはスカート掃かないから、オカマじゃないよね?》

 何度も何度も懇願に似た質問が繰り返された。
 こんな小さな子供まで巻き込んで・・・・。
 俺って・・・・・・・。
 普段から母さんが言ってた「世間に顔向けが出来ない」とか「聞こえが悪い」って言うのはこういう事だったんだと改めて思い知らされた。
 でも、俺は真に「違うよ」としか言ってやれなくて・・・・・・。
 自分がした事だから、自分だけが裁きを受けるものだとばかり考えていた浅はかさを、今更ながらに痛感した。
 姉が俺を憎んでも、何にも文句なんて言えない。
 彼女は母親として当然の憤りを感じたんだ。

 軽率な俺のせいで・・・・・・。 

 この家の中でのうのうと生きていく資格なんか俺にはないと思った。だから、多分、同じような立場に置かれて苦しんでいるだろうアイツ、一輝に会いに行った。
 「何処か誰も知らない所へ行こう」そんな言葉を微かに期待していた。
 携帯電話で近くの公園に一輝を呼び出した俺の手には思い付くだけの着替えと預金通帳、それに一輝から貰った手帳が入っていた。
 そんな俺を一輝は戸惑いにも似た瞳で見た。
 予想もしていなかったとでも言うように、慌てて、けれど、次の瞬間には目線がウロウロと落ち着かなくなり、俺を大きな樹の陰に引っ張り込むと背を向ける。その意味はその時の俺には分からなかった。
 じっと黙り込む一輝の苛立ちは小刻みに揺すられる足元が表している。何か困った事があると、いつも小刻みに足を揺らすのはアイツの癖だった。
 自分が一輝を困らせている。
「・・・・・・・・・頼むからさ、消えてくれよ」
 やっと開かれた口がそう告げた。
「お前が・・・ショーリがそんなマジだなんてさ・・・・・・。困るんだよ」
 言葉が見つからない。
 自分の耳を疑いたくなった。
「・・・・・・・・それって・・・・」
 理解したくなかった。
「女連れ込むと、おふくろがうるさいだろ。だからさ、お前なら・・・良くみりゃ女より可愛いし・・俺に気があるのミエミエだし・・・・、だから、遊びならいいかなって・・・。それだけなんだよ! こんな大事になるなんて思わなかった。・・・・・・大丈夫だって、ふざけてただけだって、クラスの奴には話してる。俺達付き合ってないって。ただのダチだって説明したしさ」
 誰の言葉だろう・・・?
 なぜ、一輝は俺の顔を見ようとしない?
 このビクついている男は一輝なんだろうか?
 不遜な程の自信に満ち溢れた明るい笑顔の俺の大好きな一輝はそこにはいなかった。
「頼むよ。勘弁してくれよ。俺はお前みたいに強くない。周りの全てを無視してなんか生きられない。学校だってちゃんと通って進学だってしたいんだ」
 違うよ。俺だって強くなんかない。一輝がいるから強くなれるって思っていただけ。
 我慢出来るって思っていただけ・・・・・。
「お前みたいにイジメにあっても平気じゃないよ」
 ねぇ、俺、困らせてる?
 バレたのって俺のせい?
 嫌われた・・・・・、いや、最初から好きじゃなかった?
「なんで・・・・・・」
 なんで俺にキスしたの? 俺を抱いたの? 俺の事、好きって言ったよね?
 なんでこんな時に限って涙が出ないの・・・・俺・・・・・。
 今、泣けば一輝を引き止められるかもしれないよ?
 強くないって、一輝に言えよ、俺の口。
「だから、終わり。俺、平和な生活送りたいんだ」
 一輝、何言ってるの?
 俺、もう帰れないよ。
 帰るトコないよ。
 俺、一人になるの?
 一人で居場所探すの?
 ねえ、置いてかないでよ。
 二人で行こうよ。
 俺だけいなくなれば、お前は以前に戻れるの?
 歩き出した一輝の背中に問い掛ける。
「・・・・・・・一輝・・ぃ・・・・・・・・・・」
 嗚咽に詰った声はしゃがれてロクな音にはならない。
 後になって、零れても無駄な涙は止まらなかった。
 たくさん人の棲む片田舎の町は民家の明かりがそこここに漏れ、時折、笑い声すら聞こえてくるのに、俺だけが一人ぼっちだった。


 涙も枯れた頃、フラフラ歩き回っていると、ローカル線の駅に着いた。
 何処へ行こうか、と考えて、行き先を東京に決めた。
 テレビなんかで見る東京は、俺のようなはみ出し者でも受け入れてくれそうな、そんな気がした。
 新幹線に乗り継ごうと時刻表を確認すると、終列車は終わっていた。
 駅の側のビジネスホテルに泊まった夜、音の無い部屋の寂しさにテレビをつけると、バラエティー番組で芸能人が笑っていた。何がおかしいのか、ギャラリーの笑い声がスピーカーから響き、余計に寂しい気分が染み出した。
 一人っきりの部屋がやけに広くて、一輝がいないと思うだけで、また泣けてきた。
 いつか二人で旅行に出かけて、一晩中、一輝の寝顔を眺めてみたかった。
 起きている一輝の顔しか見た事がなかったから、寝顔をじっくり見て、いつも照れくさくて言えない言葉なんか呟いたりして・・・・・・・。
「なんで、いないんだよ・・・・」

 乾いた空気が俺を包んだ。



 都会の煌く街に着いても俺の心は浮き立たなくて、ただ、ビジネスホテルを転々と泊まり歩き、時間と金だけを浪費していた。
 預金通帳の残高が0になり、財布の中身には福沢さんの姿が減って行き、バイトを探したけど、定住先も持たない高校中退の俺なんて雇ってくれる所はなかった。

 バイトを探しながら漫画喫茶に泊り込み、一日一食だけの日々を過ごして支出を控えてみたりしたけど、財布の中身は減っていく。
 頭の中では繰り返し一輝の言葉が響いていた。
《消えてくれよ・・・消えてくれよ・・・・消えてくれよ・・・》
 世間の誰もが言っているような気さえする。
 水すらも買えない状態になって、そうなると漫画喫茶にも泊まれない。野宿をしてみたけれど、空腹が俺を余計に惨めにさせた。

《消えてくれよ・・・。消えてくれよ・・・・》

(消えてしまおうか・・・・)

(消えてしまえたら・・・・・・)

 歩道橋から飛び降りようとしているところで椿さんに出会った。
         

つづく

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