2000.07.08up

ひとりよがり

上郷  伊織

刀@刀@


 真っ青に澄みわたる空の下。
 眩しい太陽の光を避け、早藤はやふじかなめは西校舎の屋上、貯水タンクの陰に座り込んでいた。
 溜息と共に紫煙を吐き出し、傍らに眠る少年を覗き見る。
 透きとおる白い肌、薄茶色の前髪から覗く額、細い眉、軽く閉じられた瞳を縁取るまつげは驚くほど長い。
 サクランボのようにふっくらと赤い唇。すっきりと通った鼻梁、そのすべてが名のある職人に精魂込めて作られた人形。
 そんな思いを周囲に抱かせていた。
だが、その容姿は少年であるが故の危うさに溢れている。
 早藤要も、その危うい魅力に落ちた一人である。
 それも物心がついた頃からなので年季が入っている。
 少年の名は徳永とくなが紫月しづき
 幼なじみの要を慕い、他人には決して晒す事のない素顔を要の前でだけ見せる。
 彼の行為は要にとって今は拷問にしかなっていない。
 徳永紫月は早藤要が編入してくる迄、人前で無防備に寝顔を見せる事もなかったのだ。
 この姿を紫月の知り合いが見たら何と言うだろう。
「こうやって見ると、やっぱり可愛いよなぁ・・・・」
 煙草を床でもみ消し、しみじみと紫月の寝顔を眺めながら、要は呟いた。
 と、その時、悪戯な風に紫月の睫毛が揺れた。
 そして、紫月はうるさそうに寝返りを打つ。
 その仕草に艶めかしさすらおぼえ、要は引き寄せられるように紫月の額に軽く口づけた。
 今、この時、この瞼が開いたら、潤んだような瞳は悲しむだろうか・・・・・・・・。
 この唇は自分を罵倒するだろうか・・・・・・。
 しかし、要の幼なじみは、静かな寝息を立てて眠り続けていた。
 ホッと胸を撫で下ろし、自分の焦りに苦笑を漏らす。
 何を慌てているのか、と・・・・・・。

───昨夜、紫月から囁かれた言葉が心をよぎる。
───確かにこの耳で聞いたではないか。

 紫月を抱き締めたぬくもりもこの腕に残っている。


 昨日までの数日間、要は紫月を避けていた。
紫月が嫌いでそうしている訳ではなかったが、自分に自信が持てなかったからだ。
 再会したばかりの頃は、毎日会える事が嬉しくて仕方なかった。
 会えるまでは、紫月に何か望もうとは思わなかった筈なのに、紫月の側にいることがだんだん辛くなっていた。
 学校にいる時はいい。
 問題は家に帰ってからなのだ。
 紫月は要を幼い頃と同じように思っている。
 兄弟同然に育ったせいかもしれないが、一日の殆どを要と共に過ごすのが当たり前のように思っている。
 学校帰りに要の家に立ち寄り、泊まる事も多い。
 この寝顔も何度見たことだろう。
 要が横目に振り返れば、紫月は相変わらず小さな寝息をたてていた。
 襟元のボタンを二つ外したカッターシャツがやけに眩しく感じられる。
 隙間からのぞく喉元が上下している。
 その動きに要の視線は釘付けになる。
 シャツの隙間から白い鎖骨が見え隠れしていた。
 無意識に要は生唾を飲み込んだ。
 すべてが見たい。
 すべてが知りたい。
 すべてに触れたい。
 相手が紫月でなければ、こんな事は考えたりしない。
 ずっと、堪えてきた。
 いけない気持ちになる度、紫月の無垢な瞳に見つめられ、身動きがとれなかった。
 紫月はそんなこと望んじゃいない。
 紫月を今の綺麗なままにしておきたい。
 いつだって紫月を守りたい。
 そう思っていた筈のなのに、それとは逆に紫月をメチャクチャにしてしまいたいと心が叫ぶ。
 誰もが知らない紫月を要だけが知っている。
 あどけない子供の頃そのままの紫月を・・・・・・。
 だが、まだ誰も、要でさえも知らない表情かおがある。
 その時の紫月が知りたい。
 紫月自身知らない紫月を見たい。
 淫らに泣いた顔が見たい。
 紫月のすべてが欲しい。
 そう思う俺はおかしいのかもしれない。
 少年の紫月にこのような感情を持つこと事態、最初から間違っていたのかもしれない。
 それでも、要自身どうしようもない事だった。
 好きになったのは紫月だけだった。
 紫月でなければ自分から抱きたいなんて思わない。
 昨夜の紫月の言った言葉は本気だったのだろうか?
 本気に取ってもいいのだろうか・・・・。
 そして要は昨夜の事を思い返した。

刀@刀@


 学校の先輩である加納かのうひじりから要のバイト先に電話が入った。
 聖のバイト先に紫月がいるという内容だった。
 取るものも取り敢えず、要は紫月を迎えに行き、礼もそこそこに自分の家に紫月を引っ張って帰った。

 どのようにしてここに帰ってきたのか、要自身はっきりとは覚えていない
 紫月の口から思わぬ台詞を聞いて、要の頭はショート寸前だった。
 
 ・・・・・・ 僕を要のしたいようにしてよ ・・・・・・・・
 
 紫月を奥の部屋に通したのはよいものの、まさか、こんなに突然、積年の望みが叶うなどと想像もしていなかった要である。
 言葉通りの意味に取ってしまえば、まさに据え膳状態であった。
 しかも、一度は拒まれた身なのだから、紫月の側に居られるだけでも自分は幸せなのだと諦めかけてもいた。
「何か飲む・・?・・」
 部屋に入って間もなく、何と声を掛ければ良いのかとまどっていた要はごく平凡な台詞を口走っていた。
 紫月は緊張しているのだろうか、俯いたまま首をふった。
「・・・あ・の、・・・なんか・・CDでもかけ・よう・・・か?」
 やはり、紫月からの答えはなかった。
 ただ俯いているだけである。
 重苦しい空気が部屋に流れていた。
「じゃあ、シャワー浴びておいでよ」
 勇気を振り絞って要が言うと、紫月は初めて顔を上げた。
 うっすらと頬を染め、蚊の泣くような声で「要から・・・」と呟く。
 浴室を出て、腰にバスタオルを巻き付けただけの姿で、要は紫月の待つ部屋のドアを睨んでいた。
 小さな頃から紫月が好きだった。
 その紫月が覚悟を決めてあのドアの向こうで待っている。
 やはり、最初は優しくしてあげなくては、紫月が恐がらないよう細心の注意を払って。
 紫月がシャワーを浴びている間にシーツを取り替えよう、初夜なのだから紫月に気持ちの良いことだけをしてあげよう、等と細かいところまで気にする要であった。
 要がドアを開けてみると、紫月はソファーの上に横たわっていた。
「・・・・しーちゃん・・・」
 スーツを着たまま眠る紫月を見て、要はドッと疲れた。
 何度呼びかけても開かない瞼に、諦めをおぼえる。
 仕方なく紫月を抱き上げベッドに横たえた。
「あーあ・・、皺だらけにしちゃって・・・・」
 手早くスーツを脱がし、カッターシャツのボタンを一つ一つ外していく。
 真っ白な肌が、序々に露わになってくる。
 気が付けば要の指は紫月の胸を撫でていた。
 白い胸元に赤く色付く小さな芽が誘うように堅くなってくる。
 すべての形を確かめるように紫月の身体に触れて、首筋に唇を落とした。
「・・かな・め・・?」
 ちょうど下着に手を掛けたとき、声がした。
 ぼんやりとした瞳で紫月が見ている。
 要の身体は凍り付いた。
 この場をどう言い繕えば良いのだろう。
 言い訳しようのない事態に、すでに要の頭は真っ白になっていた。
「要だぁ・・」
 そう言って、いきなり紫月が腕を伸ばす。
その腕を要の首に絡め、ウットリと見つめた瞳が揺れていた。
「ずっと側にいてね。・・・・ここが一番安心できるから」
 そう呟くと、要の胸に頬を寄せ、また静かに瞳を閉じた。
「・・・しーちゃん・・・・」
 要は呆気にとられて、しばらく紫月から視線をはずせなかった。
 要の首に絡めていた紫月の腕が、ぱたりとシーツの上に落ちた。

刀@刀@


こうして眠る紫月を見ると、昨夜の姿が目に浮かぶ。
 結局、あの後、要は何も出来ず、紫月にパジャマを着せ掛けその横で眠った。
 あの言葉を聞いたときの天にも昇る気持ちは、地獄と化し、寝ぼけて絡みつく紫月の腕に抱かれたまま、まんじりともしないで一夜を明かした。
 今思えば、スーツの皺などどうでも良かったではないかと。
 小さな事を気にしたばかりに、今こうして苦しんでいる。
 紫月の寝姿を見れば、昨夜見てしまった紫月の露わになった白い肌が目の前にちらつく。
あの時は紫月は寝ぼけていて、要になにをされたかすら知らない。
 要に寝込みを襲われかけたなんて・・・・。
 だからこそ、こうして無防備に眠っていられるのだ。
「また、襲うかもしれないんだぞ。判ってるのか?」
 そう言って要は紫月の鼻をちょんとつつく。
 それでも紫月は眠り続けていた。
 要の心に悪魔が囁きかける。
 今なら、何をしても気付かないぞ、したいようにしていいって言ったじゃないか。
 気が付いたら、そう言ってやればいい。
 自分の言い出した事だろうと・・・・・・。
 心の誘惑に負けて、要は紫月に覆い被さった。
 キスくらいいいよな・・・・。
 そう自分に言い訳して。
 ゆっくりと紫月の唇に触れようとしていた。
 あと数センチ。
 と、その瞬間、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「今、何時?」
 ぱっちりと大きく瞳を見開き、紫月が尋ねるのに、要は硬直して答えられない。
「十分前に起こしてって言ったのに・・・」
 要を押しどけ、紫月は慌てて身なりを整えながら文句を言い出す。
「あーあ、五時間目が始まる・・・・・。僕・・当番なのに・」 ブツブツ言いながら起きあがり、制服のほこりを払う。
「要、早く・・・もう、先に行くからね」
 呆気にとられている要には目もくれず、紫月はさっさと屋上を出ていった。
 残された要は紫月の姿が見えなくなった頃、ぺたんと床に座り込み、一人笑い出した。
「ふつう、気付くぞ・・・・・・」
 ホッとしたのと同時に、膝が笑って立てない。
 紫月のあっけらかんとした態度が、どこか悲しい要であった。
 

                          おしまい

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