2000.07.08up
雲の切れ間に
上郷 伊織
刀@刀@
朝の光の中、長身の彼が息を切らしながら走ってくる。 そのしなやかなフォームを眺めながら、僕は口元を僅かに綻ばせ、彼にそうと悟られぬよう叫ぶ。
「遅い! ギリギリになっちゃうよ。早く、早く」
彼は、いつもの少し少年っぽい笑顔で頷いて、階上へと上がってくる。
彼、早藤要と再会してから、二ヶ月が過ぎていた。
「ごめん。岡村のおばちゃんがさ、お茶でも飲んで行けって、しつこくてさー」
岡村のおばちゃんとは、要のバイト先の主人である。
バイトと言っても、三匹の犬の散歩なのだが・・・・・。
先月の要は経済的にピンチだった。
思い切って工事現場のバイトをした帰り道、早朝の公園で年配の女性が、思い思いの方向へ彼女を引き摺ろうとする犬三匹に手を焼いていたのを、見兼ねて救けてあげたらしい。
それから、要の早朝バイトが始まった。
お陰で最近の僕ときたら、遅刻ギリギリの駆け込み通学を繰り返していた。
息を切らし、走って校門をくぐる事すら、要と共に在ること、たったそれだけの事で僕は十分幸せだった。
幸せだった。
今ならそう思える。
じっと息を殺し、僕は窓の向こうに見えるお隣りの様子を窺っていた。覗き趣味がある訳ではない。
隣家の電気が消されたのを見届け、部屋を急いで出た。
「紫月、出かけるの?」
「あ、うん。ちょっと・・・・・」
僕が階段を駆け下りる音に、気付いた母が声を掛けるのに、曖昧な返事を返す。
急がなきゃ見失ってしまう。今は母に構ってる場合じゃないんだ。
「どうせ要ちゃんと一緒でしょ、遅くなったら泊めてもらってね」
背中に母の声を聞きながら、振り向きもせず、手を振る事で返事をした。
僕らの今の状況も知らないで、呑気なんだから・・・・。
道路に出たが、要の姿はなかった。
でも、僕は焦ったりしない。
ちゃんと要が駅から何時の急行列車に乗り、どの駅で降りるのか分かっているから。
電車の発車時刻ギリギリを狙って、3両目以降に乗ればいい。その方が要に気付かれる確率は低い。要は必ず1両目に乗るから。
駅までの道程を早足で歩きながら、僕はいつだって要に合わせて貰っていたことを痛感する。
こうやって別々に歩くまで気付かなかった。要がとても速く歩くって事。同じペースで歩くと、僕は息切れを起こしてしまう。
きっとそれを知っていたから、僕に合わせて今までゆっくり歩いてくれてたんだ。要との身長差を考えれば当たり前の事だった。なのに、気付かなかったのは、あまりにも自然に要が合わせていたから・・・・・・・・。
列車に飛び乗り、息を整えながら空席に着く。
これから、約三十分揺られて都心へ。
一昨日は要の歩調に追い付けず、駅のホームでこの列車を見送った。
昨日は都心の地下モールで、要を見失った。
自分が情けなかった。
いつだって要がうるさい位に話し掛けてきて、僕はそれに応えるだけでよかったのに、要が働き掛けなければ会話すらままならないなんて思いもよらなかった。
別に、喧嘩したわけじゃない・・・・。
朝も、いつも通り一緒に通学しているけど・・・・。
何かが違うんだ。
要の態度が妙によそよそしくて、朝以外は僕を避けているような・・・・・。ただ、そんな気がするんだけど・・・・・・・・・。 僕の思い違いかどうか、それを確かめたくて、今こうして要を追っている。
小さい頃は良かったなと思う。
言いたい事を好きなだけ口に出して言えた・・・・。
それが原因で喧嘩しても、いつの間にか仲直り出来て。
僕と要は幼馴染みだけれど、僕は六歳までの要と、今の要しか知らない。要が六歳の時に引っ越してしまったから。
物心がついた頃には目の前にいつも要はいた。
「しーちゃん、お隣の要ちゃんよ。か・な・め・ちゃ・ん。分かる?」
まだ、言葉も話せなかった僕に母が要を抱いて、こう話し掛けた時。
僕が生まれて初めてしゃべった言葉が「・・か・め・ちゃ・・・・・・・・」だったそうだ。
「かなめ」を言い損ねて「かめ」。
幼稚園の卒園式を済ませて、悲しいお別れが来るまで、僕はずっと要の事をかめちゃんと呼んでいた。
他にちゃんとした名前がある事は分かっていたが、要の事は「かめちゃん」としか覚えていなかったのだ。
そのせいで要が二ヶ月前に僕の通っている高校に編入してきた時、名前を聞いてもピンとこなかった。
あの時、要が僕の事を「しーちゃん」と呼ばなければ、きっと、今も僕のかめちゃんが帰って来たなんて、絶対信じなかったと思う。
もうすぐ列車は終点の駅に着く。
車両を移動して、少しでも要の近くへ・・・・。
僕が2両目の1番前の席に来た時、要は1両目の1番前で列車の進行方向を見ていた。
その姿が小さな頃の要と重なる。
小さな頃の要もあの場所で瞳を爛々と輝かせ、前を見ていた。バスに乗っても電車に乗っても、いつもそうだった。その頃、当然のように横にいた僕。
こんな時、要はあの「かめちゃん」なんだ、とホッとする。
学校の連中が僕のこんな気持ちを知ったら、きっと、変に思うだろう。
特定の友人を持たなかった僕が、今は要と四六時中ひっついていて、それでも不安を持っているなんて。
要が戻って来てから僕の事を「変わった」とか「明るくなった」と言う人は多い。
確かに要のいない9年間、僕は自分で時を留めていたのかもしれない。
大して物にも執着を示さず、まして誰かとこれほど行動することなどなかった。
学校で笑ったことも・・・・・・。
感情を表に出すことも・・・・・・。
要が戻ってから、僕の周りは色を取り戻した。
───
次は・・・・。・・・・。この列車は次の・・・・が終点です。
お忘れ物の無いようご注意下さい。─────
車内のアナウンスが入り、僕は気持ちを引き締めドアに向かった。
列車を降りて駅から地下街へと続く通路。人の波を避け、出来るだけ要との距離を詰める。
注意深く、彼に悟られぬよう。
この間は、この人波に気を取られている間に要を見失ったのだ。
もう、同じ間違いはしない。
ちょうどこの時間帯はサラリーマンの退社時刻と重なって、地下モールは決められている訳でもないのに2方向に別れて流れを作っている。
要はその流れを器用に擦り抜け、横切っていく。
幸い要の身長が高い為、頭一つ飛び出た格好になる。
その飛び出た頭を追っていけばよいのだ。
でも、気は抜けない。
僕の目の前で昨日と同じく要の姿が消えた。
焦って、ダッシュで要がさっきまで立っていた場所に走る。
辺りを見回し、出口の階段を手当たり次第に覗いていると、見慣れたジャケットが視界の端を過ぎっていった。
要だ。
そのまま後を尾ける。
非常出口を全て無視してより奥まった通路の先にドア。
その奥には昇り階段が見えた。
こんな奥まった処に出口が・・・・・・。
何故かここまで来ると人通りは殆ど無くなっていた。
地上に出ると、そこはオフィスビルの裏のようだった。
駐車場を抜けて、表通り、それから狭い路地に入り、出てきた場所にはピンクサロン。
要って、要ってどういう生活してるんだろう。
「ねぇ、ねぇ、そこのきれいなお嬢さん・・・・・・。あっ・・らっー・・・、お兄ちゃんかな? まぁいっかー。寄ってかない? 学生さんなら安くしとくよ!」
いきなり、シャツの袖を引っ張られて、振り向くとそこには、にこやかに笑うヤクザ風の強面のお兄さんがいた。 さっきの「お嬢さん」って・・・まさか・・・・僕の事!・・!
やや、引きつり気味の顔でお兄さんを凝視した。
なにか言いたいけど、顔が怖い。
「お兄ちゃん、どの子が好み? この娘なんて良いと思うけどなぁ、アイドルのなんとかちゃんに似てると思わない? あっそうか、お兄ちゃんきれいな顔してるから、きれいってのより可愛い方がいいかなぁ?」
看板に張り付けてある顕れもない写真のお姉さん達を順に指差しながら、お兄さんはまくしたてる。
僕はこういう通りを殆ど通った事が無くて、お兄さんが何故写真を選ばせるのか分からなかった。
それでもやっぱり男だから、半裸のお姉さんの写真をマジマジと眺めて、一番右の美人ではないけれどふっくらとした笑顔の可愛いお姉さんが良いな、などと思っていた。
「やっぱりこの娘? まぁまぁ女の子も決まった事だし、中入ってゆっくりしていってね」
僕の視線に気付いて、お兄さんは勝手に決め付けて、奥のドアを開けた。
このまま連れ込まれたのでは、要を見失ってしまう。
だけど、やっぱりお店の中にも興味があって・・・・・。
「ここで何をするんですか?」
未練を残すよりは聞いた方がいい。
昔から、僕は分からないことがあると、はっきりさせないと気が済まない。
その性格をここでも発揮していた。
「ナニをするんだよ」
「ナニって?」
「ナニって言ったらナjでしょう。女の子とお酒飲んで、おしゃべりして、ちょっと触らせてもくれるよ。あっそうそう、女の子に気に入られたら本番だって夢じゃない。いいだろー」
「本番って、本番てまさか?」
「まさかって、そりゃーエッチに決まってるでしょうが」
話がやっと見えてきて、僕は正直焦った。
「ぼ、僕はまだ未成年ですし、そういうのは困ります。校則でも禁じられていますし・・・・・」
こんな言葉が通用するのかどうかは分からないけど、とにかく逃げなくては、と思った。
「なに固いこと言ってんの! もしかして、こういう事初めて? いまどき珍しいねー! よし、今日は筆下ろししよう! さあさあ良い思い出になるよ!」
僕の抵抗などものともしない勢いで、お兄さんは中に引っ張り込もうとする。
そんな思い出なんていらない。
「今忙しいんです。放して下さい。お願いですから!」
好奇心さえ満足すればこんな処に用はない、そうこうする内に要の姿は通りの向こうで小さくなっていった。
「強情だな、気持ち好いんだから、ね、おーい! お一人様ご案内だ。手ぇー貸してくれ」
店の中から、明るく返事を返して下着姿のケバケバしいお姉さん方が出てきた。
「あっらー、綺麗な子」
「やだ、震えてるわよこの子」
「見て、見て。肌なんかスベスベ」
「やだー、憎たらしい位綺麗じゃない」
「お化粧してみたい」
僕を値踏みするように眺めて、論評する姿が、真っ赤な複数の口元が、取って食われそうでお姉さん達も怖い。
すでに、事態は収拾がつかなくなり、頭がショートしそうだ。
パニックに陥っている場合じゃないけど、僕はこういう時の対処法を知らない。
「やだ、放して下さい。僕は要を追わなくちゃいけないんだ。話をしなきゃ・・・・放して・・・・・かなめ!」
大勢のお姉さんに揉みくちゃにされながら、僕は叫んだ。この人達に関係無いこと。
どさくさに紛れて、僕の顔に真っ赤なルージュ近付いてくる。
恐怖の真っ只中、僕は「たすけて、かなめ!」と、届く筈もないSOSを送り続けていた。
それからしばらくして。
「ちょっと」
「なによ、今あたし忙しいんだから!」
「ねえ、この子さっき『要』って言わなかった?」
「さぁー? あんた、かなめって言った?」
お姉さん達の手が止まった。
はだけられたシャツを前で合わせ、コクリと頷く。
呆気にとられ、息を整えていると一人の紫色のランジェリーを着たお姉さんが近付いてきた。
「かなめって『輪舞(ろんど)』の『要』?」
そして、こう聞いた。
「何処か分かりませんが、要はこの辺でバイトしてるんです」
僕は正直にありのままを話した。
要のバイト先を探している事、要に会いたいって事。
「あのさ、あんたの要って背は高い? こうクリクリッとした吊り目?」
周りを取り囲むお姉さん達の中にも「あーあ、あの子」と言っている人がいた。
「要を知ってるんですか? あなた」
藁をもつかむ気持ちで僕は紫ランジェリーの手を取った。要の姿はきっと、もう、消えてしまっているだろうから。
「めぐみって言うのよ、あんたは?」
「紫月です」
「紫月・・ね・・『輪舞』はここの通りを真っ直ぐ行って、二つ目の交差点を右に曲がればすぐよ。この名詞、持って行きなさい」
めぐみさんは、僕を揉みくちゃにした時とは全く違う優しい瞳で要の名刺を僕に差し出した。
丁寧にお礼を言って、僕が立ち去ろうとした時。
「しーちゃん?」
めぐみさんが優しく呼んだ。
思わず振り返り、「どうして?」と僕は首を傾げる。
「この前を通る時、いつもあいさつするくせに、あたしが『今度、早めに来て遊んで行きなさいよ』って誘っても、『本命がいるから遠慮しとく、めぐみさんはすっごく好きなんだけど』って言うのよあの子・・・・・こんなおばさんによ」
微笑むめぐみさんを見て、要の亡くなったお母さんの写真が頭に浮かんだ。
二人の雰囲気が似ている事に気付き、僕は言葉を失ってしまった。
「早く、行ってらっしゃい。会いたいんでしょ」
めぐみさんが僕を通りに押しやった。
その時のめぐみさんがあんまり綺麗に見えたので、僕は駆け出しながら「僕もめぐみさん大好きです。ありがとう」と思わず叫んでいた。
背中にめぐみさんの叫び声が聞こえた。
「そう思うなら、今度は要と一緒にいらっしゃい。もちろん客としてよ!」
僕は口元を綻ばせ、『輪舞』に向かって走った。
すごい寄り道になってしまったけど、焦る気持ちは消えていた。
僕の知らない要の世界を少し見ることが出来て、嬉しかったからだ。
─── 要の周りは暖かいね
─────────
目の前に要がいたら、言ってやりたい。
要の顔を思い浮かべ、潤んだ目をこする。
もうすぐだよ、と自分を勇気づけて。
通りを歩くとさっきのお兄さんのように、呼び込みの人が声を掛けてくる。
でも、予定外の寄り道は避けたいので、僕は出来るだけ通りの真ん中を歩いた。
通りにはやっぱりピンクサロンや覗き部屋、煌びやかな看板が立ち並んでいる。
歩きながら、一つ一つを見て回る。
『スナック咲矢香』『サロンM』『同伴喫茶ぼん』『援助交際』んっ『援助交際』って言えば女子高生のバイトの名称の筈なんだけど、店の名前に使っていいのかな?
などと考える。なんの店だろう?
こんな処を歩くのは初めてなので、見るもの聞くもの何もかもが僕にとっては珍しい。
一つ目の交差点を通り越して、二つ目の交差点を右に曲がる。
一つ筋が変わるだけなのに、こうも雰囲気が変わるものか、と思うほど、古い薄汚れた建物は消え去り、真新しく高級感のあふれるビルが建ち並んでいた。
ネオンが眩しいのには変わりはないが、どの看板も洗練されたセンスの良いものになった。
めぐみさんの教えてくれたとおり、シックだが一際目立つ『輪舞』の看板があった。
─────どうしよう───────────
店の外の筈なのに、階段に敷き詰められた緋色の絨毯。大理石の柱に縁取られた『輪舞』の玄関前に立って、ここは僕のような学生の来るところではない、とつくづく思った。
本当に要はこんな仰々しい処にいるんだろうか?
出来れば入りたくない。
入れて貰える訳がない。
さっきまですぐにでも要に会えると思っていた気持ちが途端に後ろ向きになる。
でも、要と話がしたくて僕はここまで来たんだ。
グッと拳に力を入れた。
掌でクシャッと何かが潰れた。
めぐみさんに貰った要の名刺を思い出す。
僕だけじゃない。めぐみさんが折角親切にしてくれて、応援してくれたんだから。
思い直して、ベルに指をかけた。
数分もしない内に扉が開いた。
「いらしゃいませ。んっ、君なんの用なの? ここは君みたいな子供が遊ぶ場所じゃないんだよ。ホスト志願なら間に合ってるよ、まあ紹介もなしじゃそれも無理だけどね」 見た目には格好良いけど、すごく意地悪なお兄さんが僕の顔を見るなりこう言った。
こんな侮蔑のこもった瞳で見られたのは初めてだ。
子供って言っても、それ程年が離れているとは思えない。
「あの、僕は徳永紫月と言いますが、早藤要を呼んで頂けないでしょうか?」
僕はなけなしの勇気を振り絞って、厭な人だな、と思いながらお願いしてみたのだ。
なのに、「うちに早藤なんていたかなぁ。とにかく君みたいな子にウロウロされたらうちの品位が下がるから、さ、出て行きなさい」と追い出されてしまった。
失礼な頼み方ではなかったはずだ。
無性に腹立たしかった。
結局、要の仕事が終わるまで、どこかで時間潰しをしようと思う。もう一度ベルを鳴らして同じように扱われるのは耐えられないとも思ったからだ。
クサクサした気分で、時間を潰せそうな処を探していた。
いろんな店の看板や、時折見かける喫茶店やブティックのウィンドウに目をやる。
ふと、僕は信じられないものを目にして立ち止まった。
「すごいかっこ!」
高級ブティックのウィンドウの中、シャツのボタンは所々外れ、肩口は千切れかけ、おまけに真っ赤なルージュの模様入り、文字通りずたぼろの僕がいた。
これじゃあ追い返されるよね。
ドアを開けた時の『輪舞』のお兄さんの驚いた表情を今更ながらに思い出す。
ウィンドウの中の自分をシゲシゲと見つめ、あまりの滑稽さに、ぷっ、と笑いが漏れた。
こんな格好、要が見たら大騒ぎになっちゃうよ。
それでなくても僕は今まで人ととっくみあいの喧嘩もした事がないのだから、もちろんこんなぼろ雑巾みたいになった事もない。
今日は初めての事ばかりだ。
いろんな事がいっぺんに在りすぎて、妙に陽気な気分になっていた。
でも、これじゃ要に会えない。
出直そうか、そんな考えが頭を過ぎる。
だけど、今日じゃなきゃいけないような気が・・・、そんな気がして・・・・・・。
それなら、取り敢えずこの格好を何とかしなくちゃと思った。
家に帰るにしても母が大騒ぎするだろうし・・・。
手近なブティックを覗いたけど、どの店も僕の今の所持金ではスカーフ一枚買えやしない。
もっと、安い店を探すために、また僕は歩き出した。
要はどうしてあんな事をしたんだろう。
弾けたボタンの後に残った糸を引っ張っていて、ふと、僕が要の後を尾けるに到った出来事を思い出していた。
あの時も、こんな風にボタンが弾けた。
刀@刀@
ちょうど、要のバイトが休みの日。学校帰りにそのまま要の家に寄った。
最初から泊めてもらう予定で、一緒に宿題をしたり、夕食を作ったり、楽しい時間を過ごした。
夕食を終えて、それぞれにシャワーを浴びた。
僕がお酒を飲んだことがないと言うと、要が「じゃあ、飲んでみる?」とビールを出してくれた。
でも、初めて口にしたビールは苦くて、僕は二口飲んで止めた。
その後、僕にジュースを出して、要だけがおいしそうにビールを飲んでいたんだ。
悔しかった。
ビールを平気で飲める要に、僕は取り残されたみたいで。 だから、要が一缶開けてトイレに行っている間に、新しい缶ビールを思いっきり振って置いた。
ちょっとした悪戯の筈だった。
今思えば、あんな事、するんじゃなかったと思う。
トイレから戻った要は僕を疑りもせず、プルトップを開けた。
でも、中身は僕の方に飛んで来て、濡れたのは僕。
要は慌てて奥の部屋からタオルを何枚か持ってきた。
そのうちの一枚を受け取って顔を拭いた。
すると、要の腕が伸びてきて、もう一枚のタオルで僕の腕や胸を拭き始めた。
自分で拭くのとは違うくすぐったさに、僕は身を捩って逃げた。
僕の動きを追いかけるように要の身体が絡み付く。
いつものおふざけだと思っていた。
じゃれついているだけだと。
僕と要はよく子犬のようにじゃれ合っていたから。
「かな・め・・・?」
でも、要の大きな身体に押さえ込まれたとき、何かが違うと感じた。
見上げた瞳に映った要は何かを堪えているよう。
やがて、かぶりを振って、両手で僕の顔を包み込み、口付けが降りてきて・・・・。
何故、要がこんな事をするのか分からなかった。
戸惑っている内に、唇を割って舌が侵入してきた。
「・・・・・んっ・・・・・・・ぐっ・・・・・」
呼吸すら出来ないほど、ぴったり合わさった唇。
僕の内を蹂躙するもの。
何も言わない要。
逃れようと、暴れる僕。
こんな要は初めてだった。
僕が嫌がる事は、いつだってすぐにやめてくれるのに・・・・・・・・・・・・・・・。
押さえ込む力は緩まない。
「・・・・・・ごめん・・も限界・・・・」
口付けから解放されて、酸素を求め、喘いでいた僕に要は呟いた。
「・・なっ・・・・・なに・・」
薄れかけた意識の中、要の言葉の意味を考えていた。
ここに到っても僕は信じていた。
要は僕に危害を加えないって。
頬から首筋へ唇が降りていく。
パジャマの襟元に手が掛かり、両側に引き裂かれた。
ボタンが弾け飛び、胸まで唇は降りる。
僕をどうするの?
要のしなやかな長い指が僕を細部まで確かめるように身体を這う。
「・・アッ・・ヤッ・・・・・・か・な・・め・・・・・・・」
時折、掠める覚えのある感覚。
こわい。
ズボン中に手が入ってきた。
ちがう。
僕の知らない要だと思った。
僕の大好きな要じゃない、と・・・・・・。
「・・イ・ヤッ・・・。・・ち・がうっ・・・・・・・」
瞬間、要の頬を思い切り殴っていた。
視界がぼやけて、要の顔がよく見えない。
「おまっ・・、お前なんか、要じゃない! 僕の好きな要は・・・・要は・・こんな事・・・しない・・・・・」
口をついて出た言葉。
涙がとめどなく流れて止まらない。
傷つけるつもりはなかった。
要は僕を解放して、こう呟いた。
「・・そうだよ・・・、・・・・俺は・・・しーちゃんの大好きな子供の要じゃない。・・・・分かってた・・。でも、俺は卑怯だから、子供の要の振りをしてたんだ」
とても哀しげな瞳だった。
要の指先が震えていた。
要にかける言葉が見つからない。
その後、要は部屋を出ていってしまった。
翌朝、いつの間にか帰ってきた要は、いつもの屈託のない笑顔の要だった。
でも、あれから要の家には入れたもらえなくなった。
刀@刀@
夜の街は時間と共に活気づく。
人通りはいつの間にか増えて、時折すれ違う人が僕を振り返る。
手頃な服屋が見つからず、僕は相変わらずみすぼらしい格好をしていた。
歩き疲れ、見知らぬビルの階段に座り込んでいた。
この辺りの地理に疎いクセに、色々歩き回った。
空を眺め、ため息が漏れる。
夜空に雲が流れていた。
月すら見えない。
もう、要のバイト先の場所も分からなくなってしまった。
見知らぬ土地。
見知らぬ人。
要には会えない。
道に迷って、家に帰る事も出来ない。
これからどうするんだろう。
信じられないや。
僕を知っている人がこんな話を聞いても、きっと冗談ですまされちゃう。
「・・とく・・なが・・・・くん・・?・・・・」
僕を呼ぶ声。
ま・さか・・ね・・・・・・?
そう思いながら、声の方向を見た。
地獄に仏(悪魔?)とはこの事だろうか?
髪は茶髪、繊細な顔立ち、挑戦的に光る妖しい瞳。軟らかそうな黒のシルクスーツ、中に着ているのはレースの襟無しブラウス。
街の雰囲気に完全にとけ込む聖(ひじり)さんがそこにいた。
聖さんは僕の二学年上の先輩で、僕とは何の関わりもない人だけど、僕を見かけると必ずと言っていいほど、僕に構ってくる人だ。
「どうしたの? こんな所で・・・・・・」
僕を頭の先から足の先までマジマジと眺めて、珍しそうに綺麗な大きな瞳が見開かれている。
「聖さんこそ!」
正直言って、あんまりこの状況で・「たい人じゃなかった。
「俺? 俺はこれからバイト。それにしても・・・・・」
聖さんは言葉を止めて、途中で笑い出した。
自分でも笑ったのだから、仕方ないにしても・・・・・他人に笑われると腹が立つ。
「笑ってるだけなら、バイトに行けばいいでしょう・・・・・。あれっ、でも、確か聖さんてお金持ちじゃありませんでした?」
どうしてバイトなんて・・・・・と続けようとした。
「親がお金持ちなんであって、俺は金持ちなんかじゃないさ」
遮るように聖さんは呟いた。
いつも学校では「僕」と言ってるのに、今日の聖さんは「俺」だった。
色々と噂の絶えない人だから、不思議でもないのかな。
「うわぁ、本当にボロボロ。おいで」と手を引かれ、聖さんについてきた所は、煌びやかなシャンデリアを店の中央に吊した高級ラウンジだった。
「うーん、これは、ちょっと取れないわね。奥のシャワーを使いなさい」
僕の首筋や頬についたルージュを拭きながら、肩に掛かる黒髪のシャープな美しさを持つお姉さんは言った。
聖さんは店に入るなり「冴子っ、この子なんとかしてやって」とお姉さんを呼び捨てにしていた。
どういう関係なんだろう。
されるがままに任せていた僕を聖さんはバスルームまで案内してくれている。
時折、僕の顔をジーッと見ていたかと思うと、また吹き出し始めた。
お世話になっているわけだし、偉そうなことは言えないので、聖さんを睨むだけにする。
「・・・あ・・ごめん。でもさ、一体何人の女に襲われたの?」
サラリと聞かれ、転びそうになる。
瞳を上げると、聖さんと眼が合う。
バツが悪くて、フッと視線を逸らした。
「分かるさ。そんな真っ赤なルージュ、素人娘がつけるもんか。しかも落ちないやつなんて・・・・・・」
「でも、僕は遊んでなんていませんよ」
「ふーん、まあ、いいかな。楽しい気分にさせてくれた事だし」
何もかも、お見通しだとでも言うように、聖さんは不敵に笑った。
「何がですか」
「徳永紫月のそんな格好見たのなんか、きっと俺だけだって事」
語尾にハートマークが付きそうなくらい上機嫌な聖さん。
それとは逆に、僕はどんどん不機嫌になっていた。
やっぱりこの人は苦手だ。
「あらー、やだ、この子こんなに綺麗だったの?」
シャワーを浴び、教えられた従業員控え室に行くと、冴子さんが待っていた。
鏡の前の机には、所狭しと色とりどりの衣類が置いてあった。
僕はジーパンの上にバスタオルを肩から掛け、呆然とニコニコ微笑む冴子さんを見ていた。
背中に冷たいものを感じる。
だって、どの服もすごく派手そうなんだもの・・・。
カシャ、カシャ、カシャ、と機械音がし、フラッシュの光を浴びた。
僕は眼を瞬かせる。
「やりー、これでMOドライブ獲得だね」
聖さんか・・・・。
「はい?」
聖さんが何をそんなに喜ぶのかが分からず、僕は小首を傾げた。
「知らないの? 徳永君の写真、高値が付くんだよ」
「あんた、そんな商売までしてるの?」
人差し指を僕の目の前にチラチラさせながら、得意げに語る聖さんに呆れたように冴子さんが呟く。
「それ、学校で売るんですか?」
『商売』と言う言葉が妙に心に引っかかった。
まさか、と思って聞いてみる。
「うん。賢いだろ」
「聖のはずる賢いって言うのよ」
学校では、貴公子のように振る舞っているクセに、裏ではこんな事してるなんて・・・・・・。
でも、この時の聖さんは、今まで僕が見てきた中で、一番生き生きとしているように思えた。
「まさかとは思いますけど、入学式、水泳の時、屋上の昼寝も聖さん?」
おずおずと学校に出回っていた写真のことを聞いてみた。
「そうよー、俺は新聞部に持ってくだけなの。紫月の他は・・あ・・紫月って呼んでいい? 他はあんまりマークしてないの」
サラリとお姉言葉で応え、聖さんは頬杖を付いて電卓をたたく。
あきれ果てて怒る気も失せてしまった。
でも、言うことはきちんと言っておきたかった。
「ネガを頂けますか?」
きょとんとした瞳で僕を見る聖さん。
「校内での売買行為は禁止されているはずです」
僕は理路整然と彼に言った。
「固いこと言うじゃない」
「当たり前でしょう」
「ふーん、紫月は『一宿一飯の恩』て言葉知らないの?」
「それとこれとは別でしょう。お礼はまた別に考えます」
僕は人の袴で相撲を取るような行為は嫌いなので、悪気はなかったけれど、聖さんに突っ掛かっていた。
聖さんは余裕で応戦してくる。
「そうよねー、確かにご飯も食べさせてないし、泊まった訳でもないもの。なんならお店が引けてからあたしのとこ泊まる?」
そこに、様子を窺っていた冴子さんも会話に参加してきた。
「それいいな。俺も泊まっていい?」
冴子さんの提案に、聖さんが賛成する。
こういう雰囲気って、いいなと思う。
でも、今日の僕には大事な用がある。
「いえ・・・・・、僕はこれから行くところがあるんです」
本当は冴子さんの所、泊まりたかったな・・・・・・。
すまなさそうに目を伏せる僕を元気付けるように、冴子さんが肩をポンと叩いた。
「あら、じゃあ早く服選ばなきゃ。選びがいがあるわー、どれも似合いそうだもの」
夢見る少女みたい。
冴子さんはうっとりして呟く。
「ところで、どこへ行くの?」
「えーと、二丁目の『輪舞』です」
「ロンドー!」
聖さんに問われ、道も聞かなきゃ分からないし、隠してもしょうがないので正直に答えた。
「『輪舞』ね」
すると、聖さんと冴子さんは眼を見合わせ意味深な笑みを浮かべた。
僕が着替えている間に、聖さんは携帯電話を掛けている。
高校生なのに、携帯・・・・・必要性はあるのか?
「聖だけど、・・・・・呼んで・・・・・る? ああ聖だ・・・・・・拾った。ウソだと・・・・・なら来いよ」
聖さんは、僕の視線に気付き、声をひそめた。
恋人に電話なのかな?
冴子さんの勧める服の中から出来るだけ地味なグレーのスーツを選んだ。
「なんか、地味よね」
ちょっとがっかりしたような、冴子さんの呟き。
これでもラメのストライプが入っていて派手だと僕は思う。
「まあまあ、本人がいいって言ってるんだから・・・・・」
「でもね、この顔よ、この顔。サーモンピンクなんて良いと思ったんだけどなー」
「じゃあさ、このスカーフ着けさせるから、それで譲歩しない?」
「んー、いいわ。譲歩しましょう」
当の本人である僕を無視して、聖さんと冴子さんはファッション談義に花を咲かせていた。
僕をさかな兼着せ替え人形として・・・・・。
冴子さんの目つきを見たとき、こうなるような気がしていた。
うちの母と同じだったから・・・・。
「本当にそれ僕が着けるんですか」
サーモンピンクと白を基調にした派手なスカーフが目の前でひらひらしている。
出来れば着けたくないと思っていた。
首に巻くのだろうと思いこんでいたのだが、聖さんはそのスカーフを胸ポケットに入れて花のように広げた。
「これならさほど目立たないだろう? 冴子は言い出したら聞かないから・・・・・。逆らうと後がこわいし、俺の営業用も全部冴子の見立てなんだ」
そう言って聖さんは苦笑を漏らした。
二人で顔を見合わせて笑った。
苦手だと思っていたけど、聖さんを好きになれそうな気がする。
予定の時間までお店の方で軽く食事でもしないか、と冴子さんに誘われたので、お言葉に甘えることにした。
実際、お腹が空いていたので、この申し出は有難かった。
要のバイトが終わる時間まで、どうせ行くあてもないわけだし・・・・・・。
好き勝手なことを言っているようでも、僕が話さなければ無理に事情を聞いたりしない。
何気ない気遣いをしてくれるこの二人といることが心地良い。
不思議な事に、僕は今日初めて来た場所で、くつろいだ気分になっていた。
人見知りの激しいこの僕が・・・・・・。
親切な人達に囲まれ、優しいひとときを過ごせた。
──── バンッ
───────────
物凄い勢いで店のドアが開かれた。
ビクッと肩を揺らし、僕は恐る恐る振り返る。
「・・・・・しーちゃん・・!・・・・・・・」
息を切らし、肩を上下させ、ブルーグレーのスーツに身を包んだ要がドアの付近の柱に凭れて僕を見ていた。
苦しそうに息をつき、高衿のシャツの首を緩めている。
後ろに撫で付けた髪は乱れて落ちてきていたけど、目の前の要はまるで雑誌から抜け出たみたいに、洗練された大人の男を思わせた。この姿を見て誰が十五歳の少年と気付くだろう。
─── マ・ボ・ロ・シ・?
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バイト中の要がこんな所にいるわけがない。
そう思ったけれど、眼が離せなかった。
金縛りにあったみたいに、カウンターの椅子に腰掛けたまま僕は動くことも、声を出すことすら出来ずにいた。
隣では、ドアに向かって店を壊す気か、と怒っている冴子さんの声。
彼はゆっくり僕に近付いてくる。
いっぱいに見開かれた瞳が驚きを隠せずに揺れていた。
後ろからからかうような口笛の音が聞こえる。
「なんで、なんでしーちゃんがこんな所にいるんだよ」
掠れた声で要が呟く。
それはこっちの台詞だと、心の中で叫んだ。
「・・・かな・め・・・だよね・・・・・・」
伸ばした腕がグイッと引っ張られた。彼の胸に顔を埋め、紛れもなくここにいるのは要だと、僕の要だと安堵の息を漏らした。
「しーちゃん、帰ろう」
やっと要に会えた事が嬉しくて、要にしがみついていた。
要は僕の肩を掴み、僕を引き剥がしながら不意にこう言った。見上げると、そこには無表情な要がいた。
聖さんと冴子さんに丁寧なお礼を言って店を出た。
繁華街を抜けて、大通りに出る。あれ程迷ったのが、嘘のように、以前、要とよく来たショッピング街が見えだした。
一人の時と、僕と一緒の時では歩く道まで違う。そんな些細な事に寂しさがこみ上げる。
黙って歩く要の後をついていく。
振り返って要は僕の腕をとった。
ぐいぐい引っ張られ、腕が軋む。
痛い、と抗議したが、無視された。
駅を通り越し、何処へ行くのかを尋ねても、要は何も答えない。
怒ってる。要が怒ってる。
何にかは分からないけど、これは絶対に怒ってる。
ショッピング街を抜けて、閑散としたビジネス街の広場まで来た。その時やっと要が口を開いた「座って」と。
促されるまま石のベンチに腰掛ける。
僕の前に要もしゃがみこむ。
ジッと瞳を見据えられ、無意識にこわいと思った。こんな風に要に見られたのは生まれて初めての事で、どうしていいのか分からず、要の様子を窺っていた。
肩に掛かった要の手が震えていた。
「・・も・・・・・二度とこんな事しないでくれ・・。紫月・・に・・何かあったら・・・・・・・俺は・・・俺は・・・・・・・」
要の声も震えていた。
「一人であんな所歩くなよな」
僕の額に額を着け、念を押すように何度も何度も「な、な」と繰り返す要。
そんな要を見ていると苦笑が漏れる。
怒ってたんじゃなくて、心配してたのか・・・・・・・。
「要、バイトは?」
「バイトなんか紫月がいなきゃ意味がないんだ。紫月がどんな目に遭ってるかと思ったら、居ても立ってもいられなかった」
力一杯抱きしめられた。
「・・イタッ・・・・・痛いよ・・要・・・・・」
「何もされなかった?」
「何もって?」
「・・・いや・・、その・聖さん・・・に・・悪戯・・・・・とか・・・・・・・・・・とか」
「聖さんはそんな人じゃないよ、ひどい。確かに裏に回って色々とやってるみたいだけど・・・・・・・」
もう一度、要は僕を抱きしめた。さっきと違い、やさしい包み込むような抱擁だった。
この腕やこの胸が好きだ。
要の体温を感じながら、そっと目を閉じる。
要の鼓動を感じる。
不意に、要が身体を離した。
「・・ごめん・・・・」
「やだ」
まだ、離れたくない。
ずっと抱き締めていて欲しかった。
要の温もりの中でいたかった。
要の首に両腕を絡め、抱きつく。言葉にならない気持ちを伝えたくて・・・・・・。
それなのに要は困ったように眉をしかめ、僕を拒む。
「やっ・・だから・・そのー・・・・・これ以上ひっついてると・・・また・・・・・この間みたいな事したくなる・・・から・・・・・」
恨めしげに僕が見つめると、言い辛そうに要が言った。
しばらく、僕は黙って聞いていた。
「・・いい・・・・・、してもいいよ」
照れくさそうに鼻の頭を掻いていた要は目の前でしばらく硬直していた。そして、かぶりを振って「分かってないだろ?」と言う。
「分かってる『本番』がしたいんだろ」
「しーちゃん」
サラリと答えた僕の台詞に、要は上擦った奇声をあげて頭を抱えた。
「あれから僕なりに考えたんだ。子供の頃の要はもちろん大好きだけど、今の要もやっぱり僕の大好きな『かめちゃん』だって・・・・・。・・イ・ヤ・なんだ。要が側にいるのに遠く感じるのは、ありのままの自然な要に側にいて欲しい。無理に笑わないで欲しい。僕を要のしたいようにしてよ。要がいないと僕は・・・・・ぼくは・・・・・」
最後まで声に出来なくて、泣いている僕を要が包む。
「もういいよ」って何度も何度もあやすように背中を叩いてくれる。
「ちゃん・・と・話が・したくて、要に会いたくて・・・・・後を尾けたんだ・・・・・・・」
要の胸でみっともない位、大声で泣いた。
要は一言『ごめん』と言ったきり子供のように泣きじゃくる僕に付き合ってくれた。
ひとしきり泣いて、落ち着きを取り戻し、今日僕の身に起こった出来事を一部始終要に話した。
すると、要は赤くなったり青くなったりしながら僕の話に耳を傾けた。
「もう一つ言い忘れてた」
「なに?」
小さく呟く僕の声を聞き逃すまいと要は屈んで耳をそばだてる。
──── 要の周りは暖かいね
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その耳に僕はそっと囁いた。
首を傾げる要に僕はくすくす微笑う。
なんだよ、と頭を小突かれ走って逃げた。
「・・・あっ・・・・・月・・・・・・・・・・」
見上げた空。
雲の切れ間から月が覗いていた。
おしまい
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