2001/10/22 月曜日 01:00:54

お日さまの匂いがする

上郷  伊織

刀@刀@


 その時、僕達は、僕の家のリビングルームに座っていた。
 テレビからは、恋愛ドラマの再放送が流れていた。
 いつになく、かめちゃんの元気がなかった。
 物心ついてからというもの、かめちゃんと僕はずっと一緒だった。
 彼は彼の父親の出勤時間と共に我が家に預けられ、夜、彼の父親が迎えに来るまで、ずっといる。
 僕の父と彼の父親は、学生時代からの大親友で、庭付き一戸建て分譲住宅を二人同時に、しかも隣り合わせに買ってしまう程、とても仲がいい。
 彼の母親は、彼を産んですぐに亡くなってしまった。だから、うちが預かっている。
「かめちゃん、どしたの?」
 尋ねる僕に、彼の返事はなかった。ただ青い顔で俯いている。
「お腹いたいの?」
 彼は首を振って、やがてゆっくりと顔を上げた。涙がいっぱい溢れる瞳で僕を見つめていた。
「しーちゃん・・・・・おれ・・・おれ・・約束守れない」
 言い終わる頃には、しゃくり上げていた。
「やくそく?」
 心配になって、彼の顔を覗き込みながら、僕は尋ねた。
「・・・・ずっと・・一緒だね、小学校も・・・その後も、ずっと一緒って・・・・約束したのに、とうちゃんが・・言うんだ。・・・・もうすぐ遠い所に行くって、・・おれ・・も、連れてくって、・・・ずっと、・・・・ずっと、・・・・遠い所だって・・・・・・・」
「そんなの、・・・・やだ、かめちゃんが一緒じゃなきゃ・・・・やだぁー」
 思いがけないかめちゃんの言葉に、僕は泣き出すだけだった。
「おれも、・・・・しーちゃん・・・いないとこなんてやだ」
 僕達二人は、絶望的な事態を悟って、テレビの前で、抱き締め合って泣いた。
 駄々をこねるように。
 口から飛び出すのは、嗚咽と『どーしよー』と『やだぁー』ばっかりだった。
 二人とも、涙やら、鼻水やらで、グチャグチャの顔になっていた。
 ひとしきり泣いて、疲れ果てた頃。
 目の前のテレビに目をやった僕は、弾かれたように画面にしがみついた。
 かめちゃんは相変わらず、しゃくり上げていた。
 彼の両肩を掴んで僕は叫んだ。
「これだ! これだよ、かめちゃん!」
 悲劇的な場面にそぐわない僕の明るい表情に、彼は涙を拭いながら、僕に怪訝な目を向けた。
「これ、これ。か・け・お・ち」
「かけおち?」
 眉を顰める彼に、僕は根気よく説明した。
「さっきね、このお姉さんが、『親に反対された二人が一緒にいるには、もう、駆け落ちでもするしかないのかしら』って」
 僕はテレビに映る女優さんを指差して言った。
 かめちゃんも、やっと泣き止んで、真剣にテレビを見始めた。
 ドラマは佳境に入って、荷造りを終えた二人が、待ち合わせ、手に手を取って夜の闇に消えていったところで終わってしまった。また来週。
 コマーシャルが始まると、二人はこれからの事に、一条の光を見いだして、両手を膝の上について、見つめ合った。
「かめちゃん」
「しーちゃん」
 僕達はお互いの名前を呼び合い、鼻をずずっと鳴らした。

 幸い母は買い物に出掛けていない。いつも商店街に出ると、知り合いに会う度に長話が始まるので、しばらく帰ってこない。
 僕達は、出来るだけ急いで荷造りをし、かけおちを実行に移した。
 その行為は、今考えると、殆ど『かけおち』というより『かくれんぼ』の域に入っていたかもしれない。
 僕達の行き着いた先は、いつも遊んでいる近所の公園。
その奥まったところに、樹木に隠れるように置かれている大きな土管の中だった。
 そこは、僕と彼だけの秘密の基地だった。少なくとも僕達にとっては、誰にも絶対内緒の神聖な場所なのだ。
 幼稚園の卒園式を終えたばかりの僕達には、精一杯の思いつき。
 家から持ち出した懐中電灯、おかし、ジュース。その当時、僕のお気に入りだった、くまさんの貯金箱を傍らに、僕らはここでずっと一緒に暮らしていけると、信じて疑わなかった。
 今、思えば、なんてガキだったんだろう。

──  ずーっと、ずっと一緒だよ。絶対一緒だよ。

──  やくそく ───────

 

刀@刀@



 青く澄み渡る空をゆっくりと雲が流れていく。
 午後は、柔らかい日差しの中で過ごすのが気持ちいい。
 こんな春の日には。
「校内禁煙」
 頭上の声に視線を上げると、田中が覗き込んでいた。
 最近の僕の習慣は、晴れた日に西校舎の屋上で日光浴をしながら昼休みを過ごす事だ。
 ここはあまり人気もなく、一人でゆっくり出来る数少ない場所である。
「何か用?」
 素っ気なくそう答えながら、僕は田中に煙草を差し出した。
「黒田がそんな姿見たら嘆くぞ、優等生でクールな我が1−Aの委員長さまが、屋上で煙草なんて」
 煙草に火を点けながら、田中が呟いた。
 まるで説得力がない。
「たまに吸いたくなるだけ、君も同罪だよ」
 突然の来訪者に、不機嫌そのものの声で僕は言った。
「そんなに冷たくするなよ。今日はちょっと珍しい情報を持ってきてやったのに・・・・・・・」
 田中は僕の態度など、気にも留めていないように続けた。
「この4月も半ばっていう中途半端な時期に、編入生だって。紫月しづき、知ってた?」
「ああ、そんな事か」
編入生が一人増えたところで僕の学園生活には何の変化もない。
「そんな事って・・・・、じゃあ細かい事も聞いてるのか?」
 僕の返事にがっかりしたのか、田中は語気を弱めた。
「いや、名前とかは聞いてない。一応うちのクラスだから面倒みてやってくれって、昨日言われたとこ」
 僕は先日、担任に聞いた通りを話した。
「なんだ、なら俺の方が詳しいな。名前は早藤はやふじかなめ、編入試験5教科総合460点、紫月とどっこいだろ」
「Aクラス入りするんなら、優秀で当たり前だろ」
 我が修栄学院高等学校では、成績順クラス編成だ。

──  早藤はやふじ かなめ ───────
 
 頭の中で繰り返しながら、何かが引っかかっていた。
 僕の気のない台詞にもめげず、田中は身を乗り出した。
「それよりなんでそんな奴が、1年のこの時期に此処に来るのか? なぁー、気にならないか? 入学試験の方がずっと楽なのに。試験の日に見たって言う奴の話だと、かなり長身の目立つタイプらしい」

──  要 ───────

「紫月、聞いてるのか? おい」
 目の前で手を振りながら田中が覗き込んでいた。
「ああ、でも、僕には興味の無い話だから。他の奴に教えてやれば?」
 言葉とは裏腹に、気になる名前だった。
 まさかね・・・・・・・。


 

刀@刀@


──  なんなんだろう ───────

 初対面の相手にジロジロ見られて、僕は不審に思っていた。
 教壇横で、教師から紹介されている転校生。
 先日、田中が話していた通り、目立つ程の長身に、どちらかと言えば整った顔立ちが僕を見つめている。
 送られてくる視線の意味を僕は考えていた。
「紫月、おい紫月ってば」
 田中に小声で名をよばれ、顔を上げると、担任が呆れたように僕を見て言った。
「早藤の校内案内を頼んだんだよ、徳永とくなが紫月しづき君!」
 わざと嫌味にフルネームで呼ばれた事に眉をしかめながら、立ち上がり、俯いていると、聞き覚えのない声がした。
「・・し・・・・・づき・・・・・」
 呟いた早藤は、制止する担任の手を振り解き、心なしか顔を綻ばせて、こちらに向かってくる。
 僕の間近に来たと思ったら、いきなり僕の眼鏡を奪った。
 眼鏡に気を取られている間に、彼は僕を抱きすくめた。
 相手の突飛な行動に、大した抵抗も出来ず、気が付けば彼の胸にすっぽりと収まっている。
「しーちゃん」
 彼が呟く。
 僕の頭を優しく撫でながら。
「しーちゃん・・・、やっと会えた」
 幼い頃の僕の愛称。
 その呼び方をするのは、母と、もう一人。
 そう思った途端、体中の力が抜けていくような錯覚を僕は憶えた。
 何も考えられない。
 まさか、また会う日が来るなんて思いもしなかった。
 だって、僕はとっくの昔に見捨てられたんだから・・・・・。
 それなのに、どうして彼は「会いたかった」なんて言えるんだろう。
 僕は・・・・僕は、会いたくなんかなかった。
「想像通りだ、いや、昔も可愛かったけど、想像以上だ」
 訳の分からない事を口走りながら、彼は僕の顔を覗き込んでくる。
 どんな顔をしていいのか分からず、僕は彼から視線を外す。
 不意の振動に我に返った。
 担任が彼の上着を引っ張って、なんとか僕から引き剥がそうとしている。
 だが、僕への戒めは解かれる事はなかった。
 冷静さが徐々に戻ってくる。
 この状況はありがたくない。
 今はホームルーム中だし、此処は学校だ。
 さっきまで、教室内は結構騒がしかったのに、彼が僕に抱きついた途端、級友達は水を打ったように静まり返り、固唾をのんでこちらの様子を見守っている。
 担任も、半ば諦め加減に怒ってこちらを睨んでいる。
 落ち着いてよく見ると、彼はすごく大きかった。
 僕が彼を見つめていると、彼も僕の視線に気付いて見つめ返してきた。
 その時、僕を抱きしめる腕の力が、先ほどよりも強くなった。
「イタッ・・・・・・」
 咄嗟に漏らした僕の声に彼は腕の力を緩めた。
 その時、風を切るような音がして、ばさっ、と足下に何かが落ちた。英和辞典だった。
「つっ・・てぇー・・・・・・」
 彼が呻きながら後頭部を押さえている。
「徳永を放せ!」
 静寂を破ったのは黒田の一声。
 英和辞典を投げてくれたのは黒田らしい。
 クラスメイトの黒田は小学校からの腐れ縁で、いつも僕にかまってくる人物の一人だ。
 昔から何故か僕の事を女の子のように扱う。
 いつもはそれでいい加減迷惑しているのだが、今日ばかりは黒田のお節介を有り難いと思える。
 お陰で僕を戒めていた彼の腕は一層緩んでいく。
 彼は興奮から醒めたように、周りを見始めた。
「放せよ」
 僕がそう言うと、素直に放してくれた。
「眼鏡も」
 少し厳しい口調で僕が手を差し出すと、彼は寂しげな眼をして眼鏡を返した。
僕は何事もなかったかのように自分の席に座った。
「しーちゃん・・・・・・」
 縋るような声。
 でも、僕は振り返らない。
 彼が何を考えて編入してきたのか分からない。
 偶然なのかどうかも・・・・・・・。
 でも、僕は会いたく無かったんだ。
 出来ることなら忘れてしまいたいと思っていた。
 今更会って、どんな風に接したらいい・・・・?・・・。
「憶えてない?」
 彼は消え入りそうな一言を残して、一番後ろの席に向かった。
 あまりに悲しそうなその声に、何か話しかけようかとも思ったが、担任によってそれは遮られた。
「早藤、放課後に職員室に来なさい。それから、徳永はご苦労だが、この馬鹿に校内の案内をしてやってくれ」
 担任は出席簿で彼の背中を叩き、席に着くように怒鳴ると、付け足しのように僕にも声をかけた。
 さっき僕は何を言うつもりだったんだろう・・・。
 
 ホームルームが終わり、取り敢えず黒田に先程の礼を言うと、からかうような視線が返ってきた。
「らしくないね」
「なに?」
 黒田の声に内心ギクリとしながら、僕は平静を装った。
「さっきの態度さ」
「誰だって突然抱きつかれたら驚くだろう」
 何事もなかったかのように答える僕に、黒田は『ふーん』と意味ありげに視線を向けた。
「で、あいつって紫月の何?」
 黒田は、僕の席に座って田中と親しげに話す早藤を指さしている。
「今日会ったばかりで、何って事もないだろ」
「でも、あちらさんは、お前を知ってるって態度だ」
「人違いだと思うけど」
 素っ気なく言って、手に持った辞書を黒田の目の前に置き、『この話はこれで終わりだ』とばかりに彼に背を向けた。
 黒田に細かい事情を話す義理はない。
「無抵抗とは『アイスドール』とも思えない」
 その台詞にカッとして、怒りを込めて黒田を睨み付ける。
「いや、悪かった。怒らせるつもりはなかったんだ。ただ、あいつ、早藤って言ったっけ、あいつがお前に馴れ馴れしいから、いつものおまえだたら、あんなにされるがままにはなっていなかった筈だ、と思っただけなんだ」
 言われてみれば、そうかもしれない。
 でも、黒田にまでそんな呼び方はして欲しくなかった。
自分の席を見れば早藤が座っている。
僕は廊下に出て10分休憩をやり過ごそうと思った。
 
 『アイスドール』この不本意な通り名は、自業自得とも言える状況で僕につけられた。
 中等部の頃、僕は図書室通いをよくしていた。
 ほとんど誰も出入りしないような書庫で知り合った高等部の先輩と意気投合して、そのころの僕は先輩と共に行動する事が多かった。
 小学校の頃はよく女の子と間違えられたせいで、女子とは仲良く出来なかったし、これに関しては黒田が起因しているのだが・・・・・。
 女子が全員揃っている場で「この中のどんな子より紫月が一番綺麗でかわいい」と豪語してしまったのだ。女子に取ってそれほど失礼な事は無いと、当事者の僕でさえも思った。男子からはからかわれてばかりで、それまで僕は友人と思える人に出会っていなかった。
自分が同級生の中でただ一人異質な存在である事を身を持って教えられた。
 人なんか信用してはいけないと思っていた。
 だから、その先輩が初めての友人というか、僕が同胞として仲間意識を持った人だった。
 でも、そんな平和も長くは続かなかった。
 周囲の人間にいろいろ噂を立てられたりしているのは僕も知っていた。
 でも、せっかく仲良くなれた先輩と一緒にいたくて、僕は他者からの忠告に耳を傾けようとはしなかった。
 先輩には下心があって、ある日僕は図書室の書庫で先輩にキスされた。その時、僕は先輩を殴って逃げたのだが、間の悪い事にその一部始終を他の上級生に見られてしまったのだ。
 もちろん、その後、僕は先輩を避け続けていたけれど、噂は尾鰭を付けてアッという間に広がっていた。
 それまで学年も違い、中等部と高等部という校舎も違う状況で一緒に登下校をしたりしていたのだから、先輩が勘違いしても仕方がなかったのかもしれない。
でも、それは僕の中では認められない関係だった。
手ひどい裏切りを受けた気分だった。
 そうして長いこと僕が先輩を無視し続けていた事でついてしまった通り名だ。
 僕はそれから、もう誰かに何も期待しない。
 特別な友人なんて作らない。そう心に誓っている。
 人を信じたって、ある日、突然裏切られるんだ。
 いつだってそうだった。
 黒田だって最初は僕に親切だった。だけど、黒田は僕の周囲から他者を遠ざけるような事ばかりした。
 田中だって僕の前でいつもニコニコしているけど、何かが起きたって面白がっているだけだ。
 田中に言わせると、僕の周りにはトラブルが転がっているらしい。
しかも、トラブルを呼んでいるのは僕自身だと・・・・・。
 そんな事を思い出すと、ため息しか出ない。
見上げた空はくっきり青いのに、僕の気持ちはどんよりと曇っていく。

 視界の隅に数学教師の姿を見かけ、休憩時間の終わりが近い事を悟る。
 教室に入り、自分の席に戻ろうとした僕は信じられないものを目にした。
 早藤が僕の隣に座っている。
嫌な予感がする。
このクラスは席替えは自由だ。
いや、まだ分からない。
 まだ、休憩時間は終わっていない。
 きっとチャイムが鳴る頃にはきっと自分の席に戻るはずだ。
 僕は平静を装って自分の席に座った。
 教材を机上に出しながら、視界の端に早藤の様子を伺う。
 彼はジッと僕を見ている。
 彼の視線を無視して、今日勉強する予定のページを開く。
 教科書を眺めていても、彼の様子が気になって仕方がない。
 そうこうしている内にチャイムが鳴り、数学教師が教壇に立った。
 号令をかける。
 再度着席しても早藤は隣の席に座っていた。
 数学教師は出欠を取り終えると同時に早藤に声をかけた。
「なんだ、転校生、教科書が間に合ってないなら隣に見せて貰え」
 早藤はそつのない返事をして、上機嫌に自分の机を寄せてきた。
「よろしく」
 仕方がないので僕は黙って教科書を自分たちの真ん中に置いた。
「へへっ、席、替わって貰ったんだ」
僕の小さな希望は早藤の笑顔と共に、いとも簡単に崩れ去った。
 陽気に話しかける彼を僕は無視した。
 彼が嬉しそうにすればするほど僕はイライラとした気分になる。
早藤の存在そのものが僕の気持ちをかき乱している。
その一時間は僕にとって地獄にも等しかった。
隣の早藤は教師の隙を盗んでは僕に話し掛けてきた。
「懐かしい」とか「丈夫になったか?」とか、脈絡もなくつまらない事ばかり。
彼が諦めるまで、ウンザリしながらもずっと無視し続けていた。
やっと隣りが静かになって、根競べに勝った気分になっていると、彼は僕の耳元に囁いた。
 油断したばかりに耳に入ってきた言葉に僕は凍り付いた。

──  処女? ───────

 そして、次の瞬間に僕の頭は沸点に達していた。
「僕が処女だと! それを言うなら童貞だ! 馬鹿!」
 僕は下ネタが大嫌いだ。
 しかも言うに事欠いて・・・処女!
 気がついた時には彼の頭を叩いて怒鳴りつけていた。
 慌てて彼は僕の口を塞いだが、手遅れだった。
 いきなり響きわたった僕の怒鳴り声に、教室はしんっと静まり返っている。
 思わず僕は俯いた。
 穴があったら入りたい。
 なのに、彼は満面の笑顔を讃えている。
 何が楽しいって言うんだろう。
 彼を殴り殺してやりたいと思った時には教室は大騒ぎになっていた。
 いい笑いものだ。
 まもなく終了のチャイムに僕は救われた。
「あんまり真面目な奴をからかうんじゃない」
 数学教師は珍しいものを見るような目つきを僕に向け、早藤には捨てぜりふを残して去っていった。
 しばし僕は机に突っ伏して落ち込んでいたが、これからの事を考えたら落ち込んでいる場合ではない。
 こんな調子が毎時間続いては堪らない。
 彼を何とかしなければ。
「君ね、授業を何だと思ってるの? 僕はまともに授業を受けたいんだ。君が話しかけると集中できないだろ、僕の邪魔をするなら教科書は他の人に見せて貰ってくれ」
 僕は怒りを一気に彼にぶつけた。すると、彼は大きな体をめいっぱい縮めて、頷いた。
 上目遣いに僕を見上げる様は、ひどく可愛らしい。大型犬がご主人様に叱られた図に似ている。
 僕たち二人の様子を見て、田中がクスクス笑っている。
「紫月でも怒鳴る事があるんだな」
「お前も同じ事やられてみろ、絶対怒鳴ってるって」
「いや、とんでもないのが入ってきたな、と思ってさ」
 田中のクスクス笑いは止まらなかった。
 こいつは何でもすぐに面白がる。
「笑い事じゃないよ」
 僕が憮然としていると、尚もクスクス笑っている。
 よくよく周囲を見渡せば、チラチラこちらを伺いながらクスクス笑っている人間は他にも数名いた。
 黒田だけが、右手を額に当て天井を仰いでいた。
「俺の紫月のイメージが・・・・・」
 黒田の呟きは力無く、クスクス笑いの狭間に消えていった。

 その後は授業の妨害を避けるのに成功して、昼休みを迎えられた。
                                    

 

つづく

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